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「ただいま魔力暴走中!」天才魔導剣士ヴィクター/血塗られた祝宴篇 第二章①

 ヴァルミリア統一王国は、国土の形が東西二つの大陸を繋ぐ橋のような形をしていた。
 南北は海。つまり陸路で大陸間を移動するにしろ、海路で二つの海を行き来するにしろ、必ず通る交通の要衝であった。

 ヴァルミリア統一王国は大きくブランシュトルム辺境伯領とサフレア、ヴァルミリアの三つの地域に分かれていた。
 王国の上三分の一がブランシュトルム辺境伯領。下三分の二の西側がサフレア。東側がヴァルミリアで、元は別々の国であった。それを旧ヴァルミリア王国が戦って統一したのだが、それはわずか五十年前の事だった。その後、表面上は平和な時間が続いているが、裏では常に内戦の火種がくすぶっていた。
 特にブランシュトルム辺境伯領を治めるラーデ家はヴァルミリア王家の潜在的な敵であり続けていた。

 ヴィクターが王宮に入ってから二年の月日が流れた。
 この間、特に王子・王女の命を狙った事件は起こらなかった。王国魔導剣士団・近衛剣士隊による警護も厳しかったし、さらには遊びの時間においても二人の側で警戒を怠らないヴィクターの存在も大きかったのかもしれない。
その代わりに王国を騒がせていたのがヒスティアの盗難・横流し事件だった。

ヒスティアはヴァルミリア特産の医薬品で、元来が痛み止めや麻酔薬として使われるものだが、使い方によっては麻薬にもなるというやっかいな代物で、いつの頃からか、闇のマーケットで、高値で取引されるようになっていた。
そういう事情で、ヒスティアは今では王国内務省によって製造販売が厳しく管理されている。しかし犯罪組織による盗難・横流しは収まらなかった。
「また内務省が摘発に失敗したらしいぞ」
「トーレン・マクヴァリス内務卿の首もそろそろ危ういかもな」
 近頃、王都レガリアではそんな会話がよく交されるようになっていた。

「踏み込んでみたら、もぬけのから。ご丁寧に犯人どもはマクヴァリス内務卿をねぎらう手紙まで残していたそうです。全く当局を馬鹿にした話だ」
王宮内に設置されている王国魔導剣士団の団長執務室で、団長のリンデンを相手にそう言って憤慨している男がいた。副団長のギヨーム・コストロヴィツキだった。
ギヨームはよく手入れされた細い口ひげを撫でながら「団長。このままでは王国魔導剣士団も非難のやり玉に上がりかねませんね」と付け加えた。
短く刈り込んだ金髪。鋭い目つき。皮肉笑いを乗せた薄い唇、筋肉質の大柄な体格。まだ二十代の若者ながら名門コストロヴィツキ伯爵家出身のプライドが露骨に出ていて、態度は非常に横柄。
常々リンデンも持て余し気味の男なのだが、魔導剣士としての腕は一流で、団の中でも戦ってギヨームに勝てそうなのは団長のリンデンと近衛剣士隊長のマクセル・ブラックソーンぐらいだった。ちなみにマクセルはリンデンの長男でヴィクターの六歳上の兄だった。
「ギヨーム。君の不満もわかるが、これまで我々が内務省に渡している情報に間違いはない。我々が非難されるいわれはない。いずれ内務省の方で対処できなければ、王国魔導剣士団が動いても良いと私は考えている」
「無能な者どもの尻ぬぐいとは気が重い話です」
ギヨームは壁際のキャビネットを開けると、リンデンのとっておきの酒を勝手にグラスにつぎ、一口に飲み干した。それにはさすがにリンデンも不快感を覚えたが、何も言わなかった。
「では団長、出動の際にはご連絡ください」
そう言うとギヨームは薄笑いを浮かべて部屋を出て行った。

夏の昼下がり。セレナが親しい貴族令嬢を王宮に招き、庭の木陰でお茶会をしていると、鮮やかな青い制服を颯爽と着こなした近衛剣士隊長のマクセルが現われた。
「あら、マクセル。お昼にこんなところにおいでとは珍しいのね。どうされたのかしら」。  
普段、マクセルとセレナは朝夕の挨拶の時に顔を合わせるくらいで、昼に会うことは滅多にない。マクセルは隊の勤務で、セレナは遊びと勉強で、昼間はお互い、それなりに忙しいのだった。
 軽やかな薄いピンクのサマードレスを着たセレナは、いつも通りの快活さだったが、周りの貴族令嬢たちの反応は違っていた。それまで空腹を訴える小鳥ほどの勢いで言葉を投げ合っていたのだが、マクセルが出現すると急に口を閉ざし、かしこまってしまった。明らかに緊張感が場を支配していた。
「いえ、ちょっと弟に用事があるので、こちらかと思いまして」
 マクセルは年齢が二十歳。父に似て背が高く、目鼻立ちが整い、身体つきも日頃の厳しい訓練によって引き締まっており、立ち居振る舞いもさわやか。まずは申し分ない美男子だった。
 王宮では、その切れ長の目で見つめられて心を乱さない娘はいないとまで噂されていた。セレナは十四歳となり、少しは大人っぽくもなってはいたが、まだまだお転婆なお姫様で、色恋沙汰には疎いところがあった。しかし友人の令嬢たちは敏感にマクセルの男性的な魅力に反応したらしい。
「ああヴィクターならアレクシスと剣の稽古をしているはずよ」
「ありがとうございます、姫殿下。行ってみます」
 そう言い残してマクセルは去って行った。
 その後のセレナこそ災難だった。マクセルの姿が見えなくなったとたん、令嬢たちは一斉にセレナに対し抗議を始めた。
「セレナ様、せっかくマクセル様がおいでになったというのに、お茶の一杯もお勧めにならないとは、どういうご料簡ですの」
 そのあまりの勢いにさすがのセレナも目を丸くしたものだった。

 マクセルが庭を回って王宮の裏にある広場に行ってみると、そこにアレクシスとヴィクターがいた。カンカンと乾いた木剣の音が響いていた。剣の稽古とセレナは言ったが、ヴィクターはマクセルですら脱帽するほどの剣の天才なので、アレクシスが一方的にヴィクターに稽古をつけてもらっているのだった。
「そうそう、今のは良かった。うん、反応が速くなりましたね、アレクシス様」
 ヴィクターはいっぱしの教官気取りで、得意気に指導していた。
 マクセルは遠目に見て密かに舌を巻いた。わずか十二歳と十四歳の子供同士の稽古とは思えない鋭い太刀筋だったからだ。ヴィクターの実力は良く知っていたが、アレクシス王子もなかなかに侮れない実力を習得しているようだった。
「あ、兄上」
 マクセルの姿に気がついたヴィクターが稽古を中断し、笑いながら走って来た。その後にアレクシスも続いた。
「アレクシス様。見事な剣筋でしたね。感心いたしました」
 剣の腕でも名高い近衛剣士隊長に褒められてアレクシスは満足気だった。
「いやいや、まだヴィクターに一太刀浴びせることもできないのだ。そなたの弟は強すぎるぞ」
「兄のひいき目とおっしゃるかもしれませんが、ヴィクターの剣技は王国一かもしれません。私でも一太刀浴びせるのは難しいですよ」
 その評価を聞いてヴィクターは幸せな気持ちになった。魔力が制御できずに幼い頃から同世代の子供たちに馬鹿にされ続けたヴィクターだったが、この兄だけはいつも「お前は誰よりもすごい。自信を持て」と励ましてくれたのだった。
「それで兄上、今日は何かご用事でしたか」
「ああ、お前と少し話がしたくてな。勤務に追われてゆっくりと話もできなかったので、昼に時間がある時を狙っていたのだ。アレクシス様、申し訳ありません。少しだけ弟をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか」
 アレクシスは自分が仲間外れにされたようで不満そうだったが、ここは王子の威厳を見せる時と思ったのか「苦しゅうない」と吐き捨てるように言うと、木剣を置いて姉がお茶会をしている方に向かって歩き出した。
「では少し歩こうか」
 去って行くアレクシスの後ろ姿をしばらく見つめた後、マクセルが逆方向に歩き出した。
「はい、兄上」
 どうやら重大な話らしいと感じたヴィクターは黙ってマクセルの後に従った。

 二人が歩く先には庭園が広がっていた。
「ここでお前が魔獣に襲われていたアレクシス様とセレナ様を助けたのは、二年前の秋だったな」
「はい、僕も最後は気を失っていたので、全部は覚えていませんが」
 ヴィクターは照れたように笑った。
「あの事件に黒幕がいるのはわかっている」
「ブランシュトルム辺境伯アーリック・ラーデでしょうか」
「あるいはな。あの事件の後、アーリックの動きに奇妙な変化があったからな」
「ヴァルミリア王家に対する反乱の兆しが無くなったと聞きました」
「ああ、それは表面的には良い事ではあるのだが、アーリックの本心だとは思えない。むしろ危険な兆候ではないかと思われる」
「反乱の準備を隠すために、わざと大人しくしているのだと父上もおっしゃってましたね」
「そして、その父上の見方がどうやら正しかったようなのだ」
「ブランシュトルムが戦いを仕掛けてくるのですか」
「ここ最近、ブランシュトルムに潜入させている密偵が密かに始末されることが多くなっている。これまでは正体がわかっても、やつらはすぐに密偵を殺すような真似はしなかったが、もはや情報漏洩を防ぐためにはなりふり構っていられないということかもしれない」
「では近いうちに何か仕掛けてくると」
「父上はそうおっしゃっていた」
 王国魔導剣士団は国王直属の剣士団というだけでなく、憲兵隊であり、また諜報機関でもあった。その団長であるリンデン・ブラックソーンの元には国内外の様々な情報が集まってくる。
「兄上、戦いには勝てるでしょうか」
「戦力的にはヴァルミリア王国の方が勝っている。正規軍同士、正面から戦えばまず負けることはないだろう。ただそれはやつらもわかっているはず。何か仕掛けてくるとして、素直に戦争という形を取るかどうか」
 マクセルは立ち止まった。目の前に森が見えていた。
「王宮内に魔獣を放つようなことをするやつらだ。必ずしも戦いは戦場で起きるとは限らない。油断していては足元をすくわれる」
「わかりました。油断しないようにします」
 ヴィクターのいかにも子供らしい率直な物言いにマクセルは笑った。
「頼むぞ、ヴィクター」そう言うとマクセルはヴィクターの頭に手を置いた。体格的にも大人のマクセルと並ぶと、その胸ほどの背の高さしかないヴィクターは、やはりまだ子供だった。
「ところで兄上、今日のお話はそれだけですか」
「いや、もうひとつある。明日はお前の十四歳の誕生日だ。お役目もあるだろうが、明日は朝から家に帰って来るように。お前の好物を用意して待っているからと。これは母上からの伝言だ」
 そう言うとマクセルはくるっと半転し、今来た道を引き返し始めた。慌ててヴィクターも後を追った。
「ですが兄上、今日の明日では王宮を出る許可をもらえるかどうか」
 それを聞いてマクセルは満面の笑みを浮かべてヴィクターの顔を覗き込んだ。
「心配ない。国王陛下には、ご許可をいただいている。アレクシス様とセレナ様もご一緒にお連れするがいい」


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