「ただいま魔力暴走中!」天才魔導剣士ヴィクター/血塗られた祝宴篇 第一章②
ヴィクターが意識を取り戻したのは、大きなベッドの上だった。柔らかくひんやりとしたシーツが身体に掛けられていた。見上げると天井が高かった。壁にも色鮮やかで豪華なタペストリーが掛かっていて「とても贅沢な部屋だ」とヴィクターは思った。
「ここはいったい」
ヴィクターが呟くと「良かった。気がついたのね。ここは王宮の中よ」と頭のすぐ上の方から声がした。見ると、あの魔獣に襲われていた女の子が椅子に座ってヴィクターを見ていた。サファイアのような深く青い瞳。すっと通った鼻筋。ふっくらした赤い唇。窓から射してくる光を反射して輝く、細かく丁寧にカールされた金色の髪。
思わず見とれそうになるほどの美少女だった。
「どうして僕は。ここに」
「あなたが気を失ってしまったので、運んで来たのよ、赤毛の英雄さん」
そう言うと女の子は振り返って「メリサ。お父様にヴィクターが目を覚ましたとお知らせしてきて」と扉の脇に控えていた侍女に声をかけた。侍女は軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「君はいったい。それにどうして僕の名前を」
「落ち着きなさい。そんなにいっぺんに質問もされても困るわ」女の子は笑った。ヴィクターはその笑顔がとても眩しいものに見えて、顔が勝手に赤らんだ。
「私はセレナ。セレナ・ヴァルミリア。あなたはリンデン・ブラックソーン団長の次男のヴィクターでしょう」
「セレナ? セレナ・ヴァルミリアだって。ああ、何てこと」
ヴィクターは驚いてベッドから飛び出したが、急に襲ってきた骨折の痛みに顔をしかめて、床にうずくまってしまった。それがあたかも椅子に座っているセレナの前に跪くような格好になった。
「あら無理はしないで寝てなさいよ、ヴィクター。あなたは私と弟の命の恩人なんですもの。それとも私に剣士の誓いを立てたいのかしら」
「めっそうもありません、王女殿下」ヴィクターは息苦しさに咳き込みながら何とか答えた。
「セレナでいいわよ。私もあなたのことはヴィクターと呼ぶから」
「わかりました、セレナ様」
そう言いながらヴィクターは展開の目まぐるしさに混乱していた。仕方がないので一番気がかりなことを質問することにした。
「ところで、あの魔獣はどうなりましたか」
「え、覚えてないの。あなたが魔法でバラバラにしちゃったじゃないの。それで私とアレクシスは助かったのよ」
「魔法で? 僕が?」
「そうよ。さあベッドに戻って」
セレナはヴィクターの手を取って優しく立たせた。ヴィクターは恐れ多いとばかりに急いで手を引っ込めると、痛みをこらえつつ、ベッドにもぐりこんだ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ヴィクターはシーツで顔を隠しながらセレナを盗み見て、あらためて思った。
「なんて綺麗な人なんだろう」
やがて多くの近習を引き連れたヴァルミリア国王レオニウス一世が部屋に入って来た。
ヴィクターは慌てて跳ね起きた。
レオニウス一世はまだ三十代の若さのはずだが、実年齢よりも老けて見えた。やや小柄な身体にまとった深紅の分厚いマントがいかにも重そうで、一歩一歩、足を引きずるようにしてヴィクターが眠るベッドに近づいて来た。
その王のかたわらには、ヴィクターの父のリンデン・ブラックソーンが、金モールに飾り付けられた青い王国魔導剣士団の制服を着て付き従っていた。リンデンは王より十歳ほど年上だが、背が高く、動きのひとつひとつに切れがあり、筋肉質の身体は鋼でできているような強さを感じさせた。
ヴィクターはベッド脇に跪き、頭を下げて王を迎えた。
「そなたがヴィクターだな」
レオニウス一世は近習が用意した椅子に座ると、しゃがれた声で問いかけた。
「王国魔導剣士団団長、子爵リンデン・ブラックソーンの次男、ヴィクター・ブラックソーンでございます、陛下」
貴族の子弟らしい堅苦しい答えにレオニウス一世は思わず相好を崩した。
「おお、良くできた挨拶じゃ。感心、感心。じゃが、そなたは怪我をしていると聞いておる。まずはベッドに横になれ」
「ほら、ヴィクター。早くベッドにお入りなさい」
横からセレナが母親のような口調で付け足した。ヴィクターは確認のために父を見た。
「陛下のご慈愛に甘えさせていただくがよい」
「では、失礼をいたします」リンデンの許可が出たのでヴィクターは安心してベッドに戻った。黙ってはいたが、やはり身体に痛みを感じていたのだった。
「ところでヴィクター、そなたは魔獣からわが息子アレクシスと娘セレナの命を救ってくれたな。先年、王妃を失い、わしはこの子たちだけがこの世で唯一の宝と思っておる。礼を言うぞ」
国王が頭を下げた。この国で一番偉い人であるはずなのに、レオニウス一世はむやみに権威を振りかざそうとはしない人のようだった。これまで「国王陛下」という敬称に強い畏怖心を持っていたヴィクターは驚いた。
「陛下、もったいないお言葉です。私はブラックソーン家の者として、当然のことをしたまでです」
「いやいや、そなたはまだ十二歳と聞く。あのような魔獣を目の前にして、命をかけて誰かを救おうとするなど普通はできぬものじゃ」
「そうよヴィクター。もっと自慢していいのよ」
セレナはあたかも自分の手柄であるかのように得意気な顔をしていた。
「アレクシス。お前も礼を言うのだ」
レオニウス一世に促されて、王の後ろに隠れていた王子が前に出てきた。
「ヴィクター・ブラックソーン。そなたのおかげで命が助かった。礼を言う」
アレクシスの言葉はどこかぎこちなかった。しかしまだ十歳の子供としては、それも当然かもしれなかった。
「ありがたいお言葉です、殿下」
ヴィクターは如才なく答えた
「それに、わしはお前たちに謝らねばならない」
レオニウス一世はアレクシスとセレナをヴィクターが寝ているベッドに腰掛けさせた。
「あの庭園での出来事は、もともとわしが仕組んだものだったのだ。ヴィクター、そなたを試すためにな」
「僕を試す」
「そうじゃ、暴漢にアレクシスとセレナが襲われていたら、たまたま居合わせたそなたは、どんな反応を示すか見たかったのでな」
王の言葉を聞きながらリンデンは申し訳なさそうな表情でヴィクターを見ていた。
「ヴィクター、お前には悪いことをした。特に理由を告げず、お前を王宮に連れて来たのは、そのためだったのだ」
普段、父が団員でもない自分を王宮に連れて来ることはない。今日は何か特別な用事があるとのことだった。そしてヴィクターがひとりで庭園を歩いていたのも、父がそうしろと命じたからであった。
「いいえ父上、これも訓練と思えば何ということもありません。ですが、あの場に暴漢はおらず、代わりに魔獣がいましたが」そう言いながらヴィクターは気づいた。魔獣の周りに身体を引き裂かれた男たちの遺体が転がっていたが、あれが暴漢役の者たちだったのだ。
「そこなのだ。誰かがわしの計画を利用してあの場に魔獣を放ったのだ」
レオニウス一世の顔に怒りの色が走った。
「僕も姉上も、最初はあの魔獣もきっと父上の計画だと思っていたんだ。でも男たちが魔獣に次々と殺されて」
アレクシスはブルブルと身体を震わせた。セレナが弟を安心させるように優しく抱き寄せた。
「お前たちには恐ろしい思いをさせて申し訳なかった」
レオニウス一世は子供たちの頭を撫でた後、感情が高ぶったのか急に口調が強くなった。
「危うくわしは娘と息子を失うところであった。犯人には生まれてきたことを後悔するほどの厳罰を下してくれようぞ」
レオニウス一世は強い視線をヴィクターに向けた。
「だがヴィクターよ、これでわかったであろう。王家は、この王宮内においてすら安全ではないのだ。国を乱そうとする者が常にわが命を狙っておる。とはいえ、わし自身は王国魔導剣士団によって固く守られておるので、さほど心配はしておらん。問題は子供たちじゃ」
「陛下は、お前をアレクシス様、セレナ様の護衛役にしたいと思われておいでなのだ」
「その役目に相応しいかどうか僕を試そうとされたのですね、陛下」
「そうじゃ。子供の護衛は子供でなくでは務まらん。大人ではどうしても目が行き届かなくなるのでな」
「ですが陛下。僕の他にもっと強い者はおりますし、何より僕は魔法が使えません」
その言葉を聞いてリンデンは悲し気な表情を見せた。
「ヴィクターよ、陛下のお言葉をしっかり受け止めるのだ。護衛は強いだけでは務まらない。いざという時に、命を賭して躊躇なく他人を救うことができる者でなくてはならんのだ」
「そうよ、ヴィクター。あなたなら安心だわ」
「僕もそう思う」
セレナとアレクシスがヴィクターの手を取って言葉を重ねた。
「魔導剣士にもなれない半端者」の自分に、これまでそんな事を言ってくれる人などひとりもいなかった。ところが今、この国で最も高貴な方が僕を大事な王子と王女の護衛役にと望んでくれている。僕でも頑張れば、何か人に誇れる仕事ができるかもしれない。こんな機会はこの先二度と無いかもしれない。
ヴィクターは「命がけでやってみよう」と覚悟を決めた。
「わかりました。命に代えまして、お二人をきっとお守り申し上げます」
ヴィクターは感激に震えながら力強く宣言した。
事件後、魔獣の出元はすぐにわかった。
秋の祝祭が近いため王都には魔獣を見世物にしている旅の一座が入っており、その中の一頭が盗み出され使われたのだった。数日の内に都の路地裏で実行犯だと思われる異国の魔獣使いが遺体で発見された。しかし手がかりはそこで途切れた。
あれほどの事件を起こすには、王宮内に協力者がいたはずだが、そこまでは捜査の手が届かなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?