「ただいま魔力暴走中!」天才魔導剣士ヴィクター/血塗られた祝宴篇 第四章①
ヴィクターの誕生日から十日あまりが過ぎた。
あの日、庭で別れた後、ヴィクターが屋敷内でノクスの姿を見かけることはなかった。リンデンもヴィクターが帰る間際まで姿を現さなかったので、きっとどこかの部屋でノクスと密談でもしていたのだろう。
帰り際に「昼間、庭でノクス・カリオンと名乗る冒険者と会いました」とヴィクターが話題を向けてもリンデンは「そうか」と言うばかりで、それ以上に話は広がらなかった。
「兄上もノクスのことはよく知らないようだったし、いつか時間がある時に、父上にノクスがどんな素性の人なのか聞いてみよう」とヴィクターは思った。
「たぶん近いうちに聞く機会もあるだろう」そう思っていた。
たしかに昼間、ヴィクターと別れた後、ノクスはリンデンと会っていた。。
リンデンに依頼されてノクスはヒスティアの事件に関する情報収集をしていたのだが、この時、驚くべき報告をした。リンデンは、その内容に気を取られていたためヴィクターの帰りがけの言葉にも素っ気ない態度を取ってしまったのだった。
それから数日、リンデンは内偵を続け、ついにノクスの報告が正しいという確信を得た。
ある朝。
リンデンは王宮内の王国魔導剣士団本部の団長執務室に、主だった五人の幹部を集めて自分が知り得た事実を伝えた。
「ヒスティアを不法に闇のルートに流していた張本人は、内務卿トーレン・マクヴァリスだ」
リンデンの言葉にそれまで和やかだった幹部たちの態度が一変した。
「私は彼の不正が記録された帳簿も入手した。もはや間違いない。本日、マクヴァリスを捕縛する」
しばらく沈黙の時間が続いた。
「前からどこか胡散臭いやつだとは思っていましたよ」
最初に口を開いたのは実戦部隊の第一戦隊の隊長を務めるライアン・モースだった。ライアンはリンデンより十歳ほど年下で、「熊」の愛称を持つ中背でずんぐりした体格の魔導剣士だった。どんな場面でもパニックになることがなく、冗談を言いながら命のやりとりをしてきた猛者で、リンデンが最も頼りにしている部下でもあった。
「では内務省に乗り込むんですね」
副団長のギヨームが楽しそうに言った。
「そうなる。しかし戦争をするわけじゃない、行くのは少人数でいいだろう」
「私も行きますよ。マクヴァリスの泣き顔をこの目で見たい」
ギヨームは「それが当然の権利」という顔で言った。リンデンは当初、細かい命令違反をしがちなギヨームを捕縛隊のリストから外していたが「諜報活動を統括する副団長を連れて行くのもメリットがある」と思い直して、同行を許可した。
「私も行きます」
ライアンも捕縛隊に立候補した。
「悪いがライアン。お前は留守番だ。団長と副団長がいなくなるんだ。お前までいなくなると緊急事態に対処できないだろう」
「何ですって。この大捕り物に参加できないなんて後で娘に何と言われるか」
ライアンは早くに妻を亡くしたこともあり、十六歳になる一人娘のエッダを溺愛していた。
「お前の判断基準はエッダが喜ぶかどうかなんだな」
「当然ですよ、団長。娘は俺の生き甲斐です」
「では後日、俺が直接エッダに説明してやる。お前の父は強いから留守を任されたんだとな」
「頼みますよ、団長」
ライアンは少し機嫌を直した。
「私も連れて行ってください」
マクセルもそう言ったが、これも却下された。
「俺とギヨームがいれば、あとは平団員で構わない。マクセル、お前は何よりも王家の守りを優先させねばならん立場だろう」
そう言われるとマクセルも納得せざるを得なかった。さらに第二戦隊の隊長のゴーダン・リヒターと事務長のヨウム・ベネシスも留守番ということになった。
リンデンとギヨーム、それに随行の団員八名は、昼前に各省庁が入っているファリナス宮を目指して王宮を出た。
ファリナス宮は五十年前までヴァルミリアの王宮だった建物で、現在の王宮に隣接して建っていた。旧ヴァルミリア王国が三国を統一した際、一回り大きい現在の王宮が建設され、元の王宮は政府機関の建物として再利用されたのだった。
ドラゴンの紋章以外に何の装飾も無い王国魔導剣士団の無骨な馬車でファリナス宮に乗り付けたリンデンとギヨームは、馬で二人に従って来た団員を率いて表玄関からずかずかとファリナス宮に入って行った。
今回は軍事行動ではないので、腰の剣以外は、王国魔導剣士団の青の平服で鎧は着ていなかった。
先頭を歩くのはギヨームだった。その後ろにリンデンが続き、周囲を団員が囲んでいた。
内務省は宮殿の一階のほぼ全部を占めていた。王国内の地域行政、治安警察、裁判、医療、季節の行事、ありとあらゆる民衆の生活を担当しているだけに部署がいくつもあり、部屋の数も多かった。
擦れて薄くなった赤いカーペットが敷かれた広い廊下の両側にいくつもの部屋が並んでおり、たくさんの人間が書類を抱えて各部屋を行き来していた。
廊下の真ん中を突き進んでいく王国魔導剣士団の一団を多くの者がチラチラと盗み見たが、リンデンと目が合うと、あわてて視線を逸らし早足で遠ざかって行った。
廊下の一番奥に内務卿の執務室があった。
ノックもせずギヨームは扉を開けた。リンデンたちは執務室に入った。十五メートル四方はあるような、かなり広い部屋だった。正面の大きなデスクに内務卿である小太りで禿頭のトーレン・マクヴァリス伯爵が、血色の良い顔を見せて座っていた。左右に護衛役とおぼしき男たちが立っていたが、他には誰もいなかった。突然現れた王国魔導剣士団を見ても驚いた様子はない。
「まるで待ち構えていたみたいだな」
部屋の中央まで進んだリンデンはそう思い、腹の辺りが強張るのを感じた。これは罠かもしれない。ギヨームは足を止めずマクヴァリスの前まで行って堅苦しく敬礼をした。
「内務卿閣下。容疑者リンデン・ブラックソーンを連行いたしました」
リンデンは驚愕した。
「ギヨーム、いったい何を言っているんだ」
トーレン・マクヴァリスが王国を裏切っているのは承知していたが、まさかギヨーム・コストロヴィツキまでも。
「扉を閉めろ」
ギヨームの言葉に、団員のひとりが執務室の扉を閉めた。その団員は副団長の配下の者だった。よく見れば八人全員がそうだった。リンデンは随行の団員の人選をギヨームに一任した自分の迂闊さを呪った。この部屋にいる者全員がリンデンの敵だった。
「どういうことだギヨーム。説明してもらおう」
「団長。簡単な話ですよ。ヒスティアを闇に流していた真犯人はあなたということです。証拠もある。証人もいる。何なら逮捕状もあります。全部用意しましたよ、あなたのためにね」
「気が狂ったか、ギヨーム」
「ブラックソーン団長。諦めてください。これが逮捕状です。国王陛下の承認も得ています。大人しく捕まりなさい」
マクヴァリスが書類をヒラヒラさせながら、小さな目を細めて笑った。まさかレオニウス一世が承認したわけがない。印璽も偽物だろう。だが今、そんなことを言っても始まらない。
「ギヨーム、こんな茶番が露見しないと信じているのか」
「団長、露見するしないは、どうでも良いのです。私はあなたが邪魔なだけなので。あ、そうそう裁判はありません。この場で罪を背負って死んでもらいます」
リンデンは覚悟を決めた。説得は無駄だ。ここは戦って脱出するしかない。
「ギヨーム、そしてトーレン・マクヴァリス。悪事には必ず報いがあると知れ」
リンデンは剣を抜いた。
「お前たち、よく覚えておけ。最初に剣を抜いたのはリンデン・ブラックソーンだ。私は仕方なくそれに対処したのだ」
ギヨームは薄笑いを浮かべながら剣を抜いた。ギヨームの剣は幅が広く刀身はやや短かった。あまり装飾もなく金属部分の光沢も鈍い。古びており、見た目にもあまり使いやすそうな剣には思えなかった。
「下がっていろ」
ギヨームが命じると団員たちは一斉に壁際まで下がった。部屋の真ん中に広めのスペースができた。ギヨームはリンデンに向かって、無造作に近づいて行った。
「剣を交えるのは久しぶりですね、団長。今の私は強いですよ。本気で来た方がいい」
「もちろん手加減などはせん」
リンデンは右胸の前あたりで剣を立てて構えた。ギヨームは無造作に剣を下げたままリンデンの間合いに入って来た。
「上半身は無防備だ」と見たリンデンは素早く踏み込んで、ギヨームの喉元に向かい閃光のような突きを繰り出した。ギヨームはそのスピードにハッとしながらも、軽く剣を上げることでリンデンの突きを流した。リンデンは信じられなかった。剣で弾かれたのならまだしも、剣同士は触れ合ってもいないのに、何かに引っ張られるように突きの軌道が流れたのだ。ギヨームが笑った。
「さすがに凄まじい突きだ。でも、それでは私は倒せません」
リンデンは身体の正面で剣を持ち、切っ先をギヨームに向けた。それを見たギヨームは鷹揚に頷いた。
「団長。こちらからいきます」
ギヨームは剣を上げ、リンデンをからかうように目の前の空間を左右に斬った。まだ間合いが遠く、剣が届く距離ではなかった。
しかし剣先が伸びたのか、あるいは空間が縮んだのか、ギヨームの剣はリンデンの左右の上腕部を斬り裂いた。リンデンの腕は血に洗われ真っ赤になった。驚いてリンデンは問いかけた。
「ギヨーム、これは魔法か」
「まあ一種の魔法です。でもあなたには対処できないでしょう」
もちろんリンデンも魔力で身体を強化し、剣のスピードを増していた。防御力も上げていた。魔力で剣技をレベルアップさせることこそ魔導剣士の真骨頂だった。しかしギヨームの動きはそれとは何か違っていた。
リンデンは渾身の力で連続攻撃を仕掛けた。周囲で見ている団員たちには速すぎて、リンデンが何度剣を振ったのかもわからなかった。
対するギヨームの動きはそれに比べるとだいぶ緩慢だった。とてもリンデンの剣を避けることができるようには見えなかったが、結局、リンデンはギヨームに対し、一太刀すら浴びせることができなかった。ギヨームは受け太刀どころか、剣をヒラヒラと振っていただけですべての攻撃を捌ききった。
「なぜだ。剣は届いているはずだ」
絶対に剣が届く距離であるはずなのに、相手にかすり傷すら与えられなくて、さすがのリンデンも焦り始めた。
「では団長、そろそろ終わりますよ」
ギヨームはリンデンの剣がわずかに届かないくらいの距離を保ちつつ、上段に剣を構え、腕に少し力をこめると、一気に振り下ろした。するとリンデンの左胸から右腰に向かって、深く長い斬り傷が出現した。一瞬遅れて大量の血が噴き出した。驚愕の表情をしたリンデンは剣を取り落とし、膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
「団長、剣技では私はあなたに叶いません。でも私がこの魔剣を持っている限り、どんなに強い魔導剣士でも私を倒すことなどできませんね」
ギヨームは、うつ伏せに倒れているリンデンの耳に口を近づけると「すぐにあなたの息子も殺して差し上げますよ」と囁いた。リンデンの目に凄まじい怒りが浮かんだ。それを見たギヨームは例の薄笑いを浮かべつつ、リンデンの背中に剣を突き刺した。心臓を貫かれたリンデンは激しく身体を硬直させ、息絶えた。