<カールラガーフェルドの目に見えていたもの>偉人の生き様と時代から学ぶ、ファッション温故知新 Vol.5
40キロのダイエットに成功!皇帝カール・ラガーフェルドの逸話
長年、シャネル・フェンディ・クロエなどのデザイナーを務めた天才クリエイターであり、現代のモード界の皇帝と呼ばれたカールラガーフェルド氏の訃報にファッション界が震えた日から、早2年半が経ちました。
今回の温故知新は、人間離れした才能で卓越したクリエイションを生み出し続けたカール氏が生前、何を見ていたのか、私が現場で感じたことを書いてみます。
カール・ラガーフェルドといえば、雲の上の存在ながら、”エディスリマンのDior HOMMEが着たいからダイエットをして、40キロ以上の減量に成功した人、そしてその後生涯、エディスリマンの細身スーツを着続けた人“という、何ともチャーミングというか、我々庶民にもなんとも喰いつきやすいエピソードがありますね。
そのダイエットは、専門家の指導の元、運動なしの徹底した食事管理で成し遂げたというものだそうで、それを貫く超人的な鉄の意志が印象的な話なのですが、そこにある動機の強さが鍵なのだろうなと想像します。
その境地へとカール氏を運んだものは何だったのでしょうか?
イブ・サンローランとカールラガーフェルド、同期のふたり
のちにココ・シャネルからシャネルブランドのクリエイティブを引き継ぎ、低迷していたこの老舗ブランドを、再び押しも押されぬトップブランドへと返り咲かせることを成し遂げ、その位置を維持し続けた功労者となるカールラガーフェルド。
そして若干21歳で彗星のごとくあらわれ、ムッシュクリスチャンディオールの後を継いだイブ・サンローラン。
そのふたりが、オートクチュールの学校で同期生だったという話はモード界では有名な話です。
この期、すごいな!
と普通に思うのですが、ふたりが陽の目を浴びた時期には若干の差があります。
前述のように、イブ・サンローランが、当然の心臓発作で世を去ったクリスチャン・ディオールの後継の椅子に座ったのは1957年、若干21歳の時。
まだほとんどキャリアの始まっていない時期の大抜擢でした。その重責を見事に果たしたのち、数年でDiorを離れ、自身のブランドである「イブ・サンローラン」に活躍の場を移すと、モードを貴族のものから一般庶民へも広げ、その後のパリモード界で「モードの帝王」と称される地位を確立した、イブ・サンローラン。
一方、カール・ラガーフェルドはイブ・サンローランに比べるとやや遅咲きでした。
CHANEL大復活の立役者となったカール・ラガーフェルド
イブ・サンローランがクチュールの世界で活躍し、モード界初のプレタポルテのブティックをパリ・左岸に開店したのと同じ1960年代の半ば頃から、カールはクロエやフェンディのデザイナーを務めていますが、カール・ラガーフェルドの天才ぶりがモードの世界を超えてまで、誰もが知るところとなったのは、1980年代に入ってシャネルを復活させてから、と言えるでしょう。自身は40代になっていました。
その後は、一時期は「シャネル」「フェンディ」「クロエ」に加えて自身の名を冠した「カール・ラガーフェルド」の4つのブランドのコレクションをデザインしながら、他の、例えばホテルや楽器やまるごと一つの島(!)など、様々なもののデザインも手掛け、フォトグラファーとしても活躍するという、まさにマルチな、本当は影武者が2人くらいいるんじゃないかと思う活躍ぶりでした。
そしてそれぞれ、「モードの帝王」「モード界の皇帝」として、それぞれが全く違ったタイプのカリスマとしてパリコレの世界に長く君臨することになる同期生のふたりでした。
恋人を取り合ったこともあるとかないとか、、、そんな話もありますが。
マルチタスクの大天才は椅子ごと動く?
私の尊敬する、あるファッションショーディレクターの方から聞いたお話です。当時、1990年前後だと思いますが、ショーの打ち合わせのためにカール氏のオフィスに行くと、一つのオフィスの中の、壁に向けて離れた位置に4つのデスクがあり、カール氏は車輪付きの椅子でそれら4つのデスクをあっちへ移動、こっちへ移動と目まぐるしく動いていた。
その4つのデスクはそれぞれ「シャネル」「フェンディ」「クロエ」「カール・ラガーフェルド」用のもので、それらのデスクを椅子に座ったまま縦横無尽に移動して、思いつくままに、こっちでシャネルのスケッチを書いては、また別のアイディアが湧くとこっちでフェンディのスケッチを描く、という感じだった。
という、このお話を聞いて、
それぞれのブランドのデザインを考える時間をそれぞれ別々に独立して持つのではなく、同時並行的にやっている、これぞ、マルチタスクだなと驚きました。
時間すら、「この時間はこれをする時間」と型にはめるのではなく、閃きを瞬時に形にしながら次々と何かを生み出していく、天才ってこういうものなのかもしれませんね。
ダイエットの件も、そんな天才にとっては、ブランドをデザインすることと同様のマルチタスクの一つのクリエイティブということだったのでしょう。
日常に使う品々もこだわりで選び抜かれたものしか身近に置かないのに、自分の美学にピッタリとはまる服、エディスリマンのデザインするDior HOMMEの服と出会ってしまった時に、それを自分が着られないということは、きっと許し難きことだったのだろうと想像します。
食事だけで短期間に40キロ余りを落とすというのはかなりの過激な減量だと思われますが、肉体的な辛さなどはこの美学を貫くためという動機の前にはささいなことだったのかもしれません。
「私はアーティストではない。ドレスメーカーだ」
そんなカール・ラガーフェルドは、数々の名言も残していますが、その中で私の心に残っている言葉に、「私はアーティストではない。ドレスメーカーだ」というものがあります。
ファッションはアートかプロダクトか、という論争はファッション界の中では根強くあるんですね。
特に1990年代の後半、ガリアーノのDiorや、アレキサンダー・マックイーンなど、芸術的な服とショー演出を見せるブランドがコレクションサーキットをにぎわせた時代に、それらのブランドと、ドレスメーカーだと言い切るカール・ラガーフェルドのシャネルはよく対極のように比較されました。
そんな風に比較されることについて、おそらくご本人は全く意に介してはいなかっただろうと思われますが、その後に、女性デザイナーのデザインする等身大の日常着のブランドが力を持つ時代になってくることを考え合わせれば、リアルな日常や生活へのこだわりの美学を大切にしてきたカール・ラガーフェルドの、モードはかくあるべきという、言葉ではないメッセージと、やはりモード界への強い影響を感じずにはいられません。
もうひとつ、カール・ラガーフェルド氏の美学について私は感じたことがありました。
モデルと服の関係に、目覚めさせてもらった経験
それはモデルを選ぶ「目」です。
日本にカール本人が来日して行われたショーを、私は何度かお手伝いしたことがあるのですが、オーディションの時にモデルを選ぶ「目」が、当時の我々、日本のファッション界のそれとはなんか違うなと感じたのです。
今は、日本でもファッションの見せ方の経験値も大きく上がり、日本人デザイナーが海外コレクションで発表することも多くありますし、国内のファッション界にも海外で場数を踏んだ方々が多いので、感覚の多様性という点でよりグローバルになっていると思います。
しかし、1980~90年代当時の日本のファッション界では、特に見せ方については、まだ海外をお手本に、という部分が多かったと思います。
ですので、キャットウォークを歩いてもらうモデルさん選び一つにしても、まずは海外のスタンダードの、その表面に見えている部分の条件を踏襲する。
例えば身長は175㎝以上で、手足は細くて長くて、脚はまっすぐで、ボディサイズはフランスサイズの36か38。
そういった表面上の条件がそろっていることが前提で、その上でウォーキングが美しいかどうか、そんな基準でランウエイのモデルさんは選ばれていたと思います。
私も、実際に当時はそういった条件に当てはまる一握りのモデルさん達といつも一緒にお仕事をしていた記憶があります。
そして、ある時カール氏が来日してモデルオーディションに立ち会っていた時に、目の前をウォーキングするモデルさんたちの中から気に入ったモデルさんを残していくカール氏を見ていて、決して私たちが普段気にしているような条件でまずふるいにかけることをしていないと気づいたんです。
見ているものが違う。
まずは身長が満たされていなくても、自分の感覚で何か惹かれる、気になるモデルは残していく。
見えないものを見ている感じ。
そのモデルさんの内側から出ている何か、ユニークさとか、人としての存在感とか、そういうものに呼応しているのかなと感じました。
そうやって残したモデルさん達に、たくさんのコレクションのルックの中からいくつかを着てもらって、ばっちりとはまるものを見つけていく。
これだけは実際に着てもらわないとわかりません。
おそらく本国でデザイン画を描く時には、いつもよく知っているモデルさんを思い浮かべながら、その人が着たところを想像してデザイン画を描くこともあるのでしょう。
人間コンシャス。だからファッションは素晴らしい!
これが、「ファッションはアートかプロダクトか?」の答えだとまでは思いませんが、芸術作品のような表現のアバンギャルドなコレクションには、時に「モデル不在」と思わせるものもあります。
もちろん、芸術のようなランウェイのクリエイティブの素晴らしさに、感動して心が震えることもたくさんあります。どちらが正でどちらが誤とか、どっちが好きとかいう話ではなくて、震える心の箇所がきっと違うのですね。
「服」ありきではない。
クリエイトしたいのは、「その服を着た人」であり、「服」の持つエネルギーと「着る人」のエネルギーの美しい調和。
カール・ラガーフェルドの美学に触れて、当時の駆け出しの私が感じたのは、生きて、食べて、仕事して、笑って、歌って、恋をして、人生を謳歌する、そんな人間臭い人が着る「服」というもの。
そしてそれはシャネルの創始者、ココ・シャネルが1900年代の初頭にやりたかった革命そのものと、スピリットの部分で合致している、という素敵な発見。
「人間コンシャス」
私が携わった世界はそういう世界なんだなと未熟な理解力ながらも感じ、益々ファッションの持つ力の素晴らしさに魅了されました。
その後の私のスタイリストとしての考え方に大きな影響を与えてくれた、大切なトピックのひとつです。
ココ・シャネルのスピリットについて書いた回はこちらです。
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