誰一人も置いてけぼりを作りたくない
「先生が全くピアノを知らない私を
落ちこぼれにしないようにと…の気持ちがいつも伝わって来ています。大変感謝しています」
先日、シニアグループレッスンの生徒さんお一人からこの様なメッセージを頂きました。
そう、私は今までにこの様なメッセージを頂く機会が凄くたくさんある。
確かに、
私は、どんな立ち位置にいたとしても、
今いる空間で、ぽつん、としている一人がいない様に、
という事を常に気にかけてしまう。
🍒誰かが中心になって話が進んでいる時
🍒仲良しの仲間同士がワイワイ楽しんでいる時
🍒自分が話の中心の時
一人になりやすい人は、
授業中や仕事中より、
自由度のある雑談の場の方がキツい
歩き回って自由に沢山の人達と交流が出来る立食パーティーの様な場も、
ぼっちにならないか、
かなりのプレッシャー
自分から声をかけていけば良いのに、
と思うかも知れないけれど、
自分に自信が無い、
自分に劣等感がある、
と、
自分なんかが側に寄っていったら迷惑なんじゃないだろうか、
つまらないんじゃないだろうか、
などと、思ってしまう。
例え、せっかく声をかけてきてくれた人がいたとしても、
長時間一緒にいてもらうのは申し訳けない、
と思って、
落ち着かなくて、
自分からさっさと席を外してしまう事もある。
このハードルを超えていくのは
なかなか大変なんですよね。
なので、私は、
友達同士の集まりの場でも、
色々な人々が混じり合う飲み会の様な場でも、
子供の学校での父母会の様な場でも、
家族の間でも、
ぽつんと取り残される人を作らない様に
いつも気にかけている
一つの話題や事柄に夢中になる様な「遊び」と言う場は、
自分自身が夢中になって楽しんでいるので、
となりにいる仲間の様子まで気に留めない、
もちろん、
ぼっちになり易い人は、
みんなと同じ様に
自分も夢中になって楽しめばいいのに、
という事なのだけど、
それが出来ないから苦しい
よって、取り残される人が出来る
4人グループで遊びに行って、
凄く楽しかったねー!
と、3人は
「全員が楽しかった♫」
と当然の様に認識していても、
1人だけ、
「凄く淋しかった」
と思っている友達がいたなんて
全く気付いていない
こんな場面、って、
実は結構ある。
なぜ、私はこんなに、いつでも、
ぼっちになりそうな人を気にかけ、
そうならない様な場作りに
つい励んでしまうのかというと、
子供の頃、
自分が「ぼっち」だったからです。
小学一年生の頃、
とある事がきっかけでイジメが始まり、
友達だと言っている子達は、
ただ私をおもちゃの様に振り回していただけ
私にとっては友達ではない
小学4年生が終わるまで、
私は、ずっと「ぼっち」だった。
どんな時も。
だから、私は、取り残されている人を見ると、
がんばれ!
とは、あえて言わない
かと言って、
何もかも手を貸してあげる、
という事をするわけでもない、
団らんをしといる時、
みんなに声をかける頻度と同じ様に
その人にも声をかけたり、
話題を持ち出したり、
その人がリラックスした場になれる様に努めたい
そのうち、
ふっと笑顔が出始めて来ると、
私は心底ホッとして嬉しくなる
この場が、
この人にとって、
今ここに来て楽しかった!
楽しい時間を過ごせてよかった、
と、ルンルンした笑顔で帰っていく事を
つい願ってしまうのだと思う
これは、例えば、
私事で言うならば、
イベント会場でステージにいる時も、
会場にいるお客さまが、
どんどん良い笑顔になっていってる姿を見るのが凄く好き。
ついつい、
ここでも置いてけぼりの人を作らない様に、
ステージの上から、
そんな人を見つけると、
この人に届けー♫
みたいに願いながら
MCしたり演奏したりしてしまいますね。
これは日常のグループレッスンでも、
単発でのセミナーでも同じですね。
最近、受講者が見えないオンライン開催等も増えてきたので、
顔が見えなくても
その辺りケア出来る様なものを作る事が、
私にとってのこれからの課題かな
今まで、無意識にやってきていた事だけど、
プライベートのコミュニティでも
仕事でのコミュニティでも、
笑顔の人が増えてくれて、
子供の頃の苦い経験も
少しお役に立つ事が出来ているんだなー、
なんて、
がんばっているのにうまくいかなくてメソメソしていた子供の頃の私に言いたい
挫けずよくがんばったね
おつかれさま
ありがとう
感謝してます
大丈夫!
あなたの未来は楽しいよ♫