カットモデルとCUTiE

大学に入ったとき、わたしは現役の子たちと2歳離れていた。地元で一年浪人して、東京に出てきて、留学準備をしながら、バイトとクラブ通いに明け暮れ、結局留学を辞めて日本の大学に入ってきたからだ。

南青山のblueに通ってた頃、Shimaの美容師さんに声を掛けられて、カットモデルをしていた。ぶんぶん、という変わった名前の美容師さんだった。彼に大学受かったよ、と報告すると、「おめでとうー!じゃあ、お祝いに坊主にしてもいい?」と言われて、赤毛の坊主頭にされた。

オシャレで優しい美容師さんのことを、若干好きになっていたわたしは、言われるがまま、彼の提案を受け入れた。

そうして、大学の入学式に、わたしは赤毛の坊主頭に黒のパンツスーツ、ブルーの古着のネクタイという、なかなかアバンギャルドな出で立ちで登場し、あっという間に新入生の中で有名人になった。

その頃は、アルタに入っていたデプトや原宿や青山の古着やさんで買い物をしてた。レースのブラウスにミニタリーのパンツ、と言ったような、オリーブ少女を地でいくようなコーディネートが好きだった。

表参道で買い物をしてると、よく声をかけられた。その大半は、カットモデルの依頼かファッション雑誌のスナップ撮影の依頼で、いつもは断ることが多かったけど、CUTiEです、と言われたときは、さすがに嬉しくて、即OKした。雑誌の後ろのオシャレスナップみたいなコーナーに、割と大きめに掲載されたわたしは、さらに大学の有名人になっていた。

大学に入ってすぐ、伊藤くんと知り合った。彼は現役で入学したから、わたしの2個下だった。知り合ったきっかけは全然思い出せないけど、小さい頃から家にMacがあって、デザインをするのが得意なメガネ男子だった。当時、Macでガシガシデザインができる人なんてあまりいなかったから、彼も大学の中で独自の存在感を放ってた。その頃、個人の名刺をつくったりするのが流行っていて、わたしも彼に名刺をつくって、と頼んだのがきっかけで仲良くなっていった気がする。

いつしか、彼の好意に気がついたわたしは、藤沢かどっかのマックで、彼から好きだという言葉を引きだすように誘導した。市川から藤沢まで通っていた彼はそのうち、日々の多くを藤沢本町にあった、わたしのアパートで過ごすようになった。

彼はわたしの部屋に一体型のMacを設置してくれた。そして、わたしたちは、テレホーダイの時間になると、競い合うようにインターネットに繋いだ。1996年のこと。わたしたちは、文字通り、未来からの留学生だった。





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