0145 私の人生のモンモン期その1
満たされているはずなのに、
全て手に入れているはずなのに、
足りないものなんてないはずなのに、
あの人に比べたら私は恵まれているのに、
だけどなんかずっと満たされない。
ずっと何か楽しいことを探してる。
口癖は
「なんか楽しいことないかな〜」
こんな日々があった。
きっと子どもを産んでから。
私のモンモン期はいつから始まったんだろうか。
中学生?
高校生?
いやむしろ小学生?
今パッと思い浮かぶ記憶。
小学校2年生のときに、
ちょっぴり気になる男の子に
チョコレートをあげたこと。
その男の子は、おちゃらけ系で
クラスでも目立つタイプの人。
ある男の子と、いくつチョコをもらえるか
競争しているから、くれよ!
だかなんだかで、義理チョコだよ〜って
いいながらあげた気がする。
だけど、なんかちょっと気になってたのか
男の子にチョコをあげるなんて経験が初めてだったからか
ほんのり緊張していたのを覚えている。
ま、本当にただ渡しただけなんだけど。
待って。
それ以来、好きな男の子にチョコを渡すっていう経験…
したこと…ない!?
付き合っていない状態で、
片思いで、チョコ渡してみるっ!!
みたいなことってあったかな…
え、なんてかなしい青春っ!!
付き合っている人にあげることはあったけど
ドキドキする感じなかったなぁ〜。
そもそも、好きな男の子にあげる
ということが私にできると思ってなかった。
そんな勇気ないし、
私がそんなことする資格ない
くらいに思っていたかも。
好きな子にチョコをあげて
ドキドキしていいのは、
可愛くていけてる女の子だけ
みたいな、そんな思いがあったな。
ってことはだよ。
私は、自分のことをやっぱり可愛いとは
思っていなかったんだね。
なんてこった。
だけど、
中学時代の同級生何人かに、
「高嶺の花」とか(自分で打ってて笑ける笑)
「一番可愛いと思ってた」だかなんだかとか
言われたことがあった気がする。
でもその時は、
本当に
「いや、そういうおせじとかいいから」って
思っていたな。
いまなら…
「そう?!♡え、そうおもう?私も思う♡ありがと♡」
って言っちゃうわ爆笑
随分逞しくなったもんだ笑
話を戻すと
小学校2年生までは、きっと自分を卑下してなかった。
(チョコを渡した経験のみから判断笑 証拠が薄い笑)
3年生で、転校したんだよね。
その時に心がちょっと弱ったのは間違いないんだろうな。
転校生に対してって、優しものだと思ってたの。
だけど、
転校した初日に自己紹介でピアノが弾けます
みたいなことを言ったら
「弾いて」って言われたのが怖かったとか…
転校初日に体育があったんだけど、
着ていた洋服がキュロットスカートだったから参加できず
いきなり見学することになったのが嫌だったとか…
なんかきっかけは、大したことじゃなかった。はず。
転校した先のクラスがなかなか荒れていて、
2人の男の子が結構暴れん坊だったんだよな。
覚えている限り。
窓から落ちそうになった?とか
女の子のお腹を蹴ったとか
それを止めようとした先生が泣いていたとか…
人が怒っているのとか、
大きな声を出すとか、
暴れている、みたいなことが
怖かったから、
教室にいるのが嫌だったんだろうな。
前の学校では当然だけど、
みんなのことを知っていたし
優しかったイメージ。
クラスも落ち着いていたし
怖いという思いをすることが
ほとんどなかったんだと思う。
帰り道に雷がすごくなってて怖かった
とかはあるけど。
学校の中が、
教室が怖かった。
だから、一時期保健室に通ってたり
してた気がする。
毎朝行きたくなくて、
迎えにきてくれる何人かを
外で待たせるんだけど、
外に出た途端、その人たちと
ゆっくり歩くのが苦痛で、
その人たちを置いて
さっさと歩いていた私…
どんな神経してんの。。。。
ほんとコミュ障。
そこからどうやって
普通に通えるようになったんだろうか。
クラスが変わったからなのかな?
それもあるかもしれないなぁ。
新しい転校生が来たこととかも
関係があるのかな。
5、6年生の時は、
結構楽しんでいたはずなんだよな〜
男の子とサッカーしてみたり、
何人かでまとまって動物園に行ったり。
宿泊学習とか、修学旅行とかも
楽しかったはずなんだよね〜
好きな男の子と同じ班になったりして笑
そこから中学校に入って
初めて自分で何かしたい!という思いを持って
部活に入った。
部活に入りたいって親に伝える時、
私は泣いた。
自分の「やりたい」を口にするのが
初めてだったのかな?
「(安西先生…)バスケがしたいです」
的なことを言って
バスケ部に入ると伝えた。
伝えることにものすごく緊張して、
泣いたの。
なぜ泣いたか?
やるからには、続けたいって思いがあったから。
そのくらい本気だから、私の思いを認めてください。
そんな気持ちだったのかな。
部活に入りたいっていうのに
どれほどの勇気使ってるのよ。
息子なんて毎日ゲーミングPCが欲しいって言ってくるど。
それから、部活を続けた。
途中でやめた人もいたけど
私は3年間続けた。
3年目は部長とかしちゃって。
でも、一番下手くそだった。
だってサボってたから。
走りたくなくて、
テーピング巻いてから走るから先走ってて〜
とかなんとか言ってサボってた。
周りにもバレてたし。
だから一番下手くそだった。
後輩よりも下手くそだった。
同じポジションの後輩の子が、
めっちゃくちゃ可愛いし
バスケもうまかった。
だけどなんか後輩が慕ってくれた
こともあったなぁ。
え、あれは、今思うと
「部長」というポジションを利用された!?
なんてことを思ったり…まぁいいか。
だけど、
部活に入った時点で、
早く大学生になりたいと思った。
当時多分兄が大学に入ったくらい。
中学校に入ると、
先輩後輩の関係がはっきりして
生意気な一年生は
上級生に呼び出されてシメられるよ
みたいな話を聞いていたから
怖くて嫌だった。
それに、
私の同期の子が、先輩に囲まれて
なんかされていたらしいというのも聞いた。
なんか私はシメられなかった。
そこでも、私はなんかダメ認定?地味認定?
された気分だったのかも。
シメるって行動がよくわからなかったし、
絶対やりたくないのにやってる人もいるじゃんて思って
なんの意味あるの?みたいなことを思ってた。
こんなくらだらない謎なしきたりあるところではなくて、
早く自由な大学に行きたいと思っていた。
自由にする勇気も目指しているものもなかったけど。
ただ、 自分の好きなことを好きに学べる大学に
早く行きたいって思ってた。
中学の3年間はとりあえず部活の3年だったな。
色々あったけど。
学校祭でダンスとか、歌とかなぜか歌いたがって
踊りたがって、前に出たがってたけど
いざ出たら恥ずかしくてずっと下向いてる…みたいなこともしてたな。
だけど、その時から
歌うことも、踊ることもやっぱり好きだった。
中学の時の成績は、1年生からだんだん下がっていったなぁ。
最初は十番くらいで、そこからちょっとずつ下がって。
だけど、そこそこ勉強はできていた方で
学区内でも1、2位の高校を目指すことになった。
私が興味を持って、行きたいと思った高校に見学に行ってみると
やっぱり楽しそうで、そこに行きたいと思った!!
だけど、入試直前にちょこっと通っていた塾の先生に、
「なんでもう一つ上受けないの?」と言われ
「え?受けられるの?」と答え
「それなら親もそちらの方が喜ぶから受けるか」と
志望校を変え、不合格となった。
誰のせいでもない、
志望校を変えた自分のせいだけど
そこに「やりたい」という思いはなかったのか。
いやでも私なりに
こっちの高校より、こっちの方がレベル高いし…
みたいな、見栄を張りたい気持ちもあったんだろうな。
これが第1回目の受験失敗。
それから
受験の時、ここには通いたくないなと明確に思った、
滑り止めという立ち位置の高校に入る。
個性豊かな人たちや、
おしゃれで可愛い人
頭の良さそうな人
いろんな人がいる中で
私は自分を全然出すことができなくって
中学生の頃の私を知っている人からは
「自重している」なんて言われたこともあった。
いまだに覚えているなんて…
そうだな。
確かに、中学生くらいまでは、
ありのままの私でいたと思う。
だけど、高校に入ってから、
自分らしくいる、みたいなことが
できなくなったのかも。
高校受験の真っ只中、
その当時私はゴスペラーズにハマっていて、
受験の後にライブがあることを知る。
どうしても行きたくて、
受験前にチケットの販売があるんだけど、
当時はネット予約とかじゃなくって、
電話をかけまくって、つながったら取れる方式。
それを受験前に母と必死になって電話していたら
父に怒られたんだ。
受験前なのにそんなことにうつつ抜かしていいのかって。
それが、私にとって大きな棘になっている。
今も抜けていないのんかな。
やるべきことがあるのに、
それより先に自分の希望や欲望を
満たしてはいけない。
こんな思い込みを持っているのかもしれない。
だから、思う存分遊ぶとか
何かやるべきことがある時に
自由にするとか、
休むとか、
そういうことができなくなった。
少なくとも、
人に知られてはいけない
という思いになったのかもしれない。
怒られちゃうって
思っちゃうんだよね。
別に自分で決めたことならいいのに。
それで失敗するもしないも
自分なんだから。
そんなスタートを切った高校生活。
初めは自分を全く出せず、
学校祭でもなんだか馴染めず、
男の子ともうまく接することもなく…
ただ、その高校には入ってよかったって
心から思っている。
それは、親友に出会えたから。
入学して数日。
その友人は、私に話かけてくれた。
「綺麗な髪だね」って。
当時私は結構髪が長くて、
その長い髪に反応して、
話しかけてくれたのが、彼女。
それから、
彼女とは本当にいろんな話をした。
夕方の夕日の差し込む教室で
泣きながら話したり
お互いの心の痛む話をしていた。
いつも2人いろんな話をして、
本当に心地が良くて
交換ノートのやりとりをしていたり、
そこに書く時がそっくりだったりで
お互いのことを「双子」と言い合っていた。
背格好、顔は全く似てないけどね。
育ってきた環境も、経験してきたことも
得意なことも好きなことも違ったし
今思うと共通点なに…?
って思うほどだったけど、
彼女は本当に信頼しているし
大好きだった。
今も。
その子と一緒にいるのが大好きすぎて
他の子に邪魔されるのが嫌だった笑
でもその子も素敵な子だから
仲良い子も多くて
嫉妬の機会は多かった笑
けど、その子にとっての一番は私だって
そんな思いはあった。
一番とかあんのかい笑
その子がいたから、
今の私があるし、
本当に出会えてよかった。
私の知らないことをたくさん知っていて
私よりたくさんのいろいろな経験をしていて
今でも、家族ぐるみでとっても良くしてくれる
そんな彼女はどうして私に声をかけてくれたんだろう
どうして私と仲良くしてくれたんだろう
どうして私にあんなに話をしてくれたんだろう。
誰にでもする話ではなかったと思う。
だけど、私にはしてくれた話があったと思う。
私なら話してもいいと思ってくれたのかな。
あー彼女に会いたいです。
いろんな話をしたい。
彼女は難しいことをたくさん知っていたから、
私も知ったかぶりすることもあったけど
今なら素直に、自分の気持ちを意見を
話せるかもしれない。
連絡してみよう。
高校生活は、彼女含めて
たくさん友達もできたから、
それなりに楽しく過ごしてもいた。
そして大学受験。
ここでも私は受験失敗を経験する。
行きたい大学なんてわからない。
勉強したいこともわからない。
だけど、ある日父が
とある大学に連れていってくれて
「この大学いけ〜」と
言ってくれたらうれしいな〜なんてことを言った。
私はその時、
えーいやだよ〜
みたいなことを言った気がするけど、
その大学を受けた。
近くの有名な大学は
「なんかいや」っている理由でやめて
いくとしたらそっちかな、というノリだった。
本当に学びたいことなんてなかったし、
自分には何ができるか、得意なこともなかったし
だからAO入試とかもできなくて、
普通にセンター試験と個別試験?で評価される
その大学を「志望校」とした。
その大学にすれば、おばあちゃんも喜んでくれると思った。
高校生の時は、
2年生時にバイトしていた。
なんでバイトしてたんだっけ?
友達と一緒に受けて、
私だけ受かって…なんてこともあった。
そのバイト先での出会いもあったし、
そこから違うバイトに変えたりもした。
違うバイトに変えてから、割とすぐ
やっぱり受験に専念したいのでやめますってやめたり。
でもそれもいい経験だった。
バイトで疲れすぎて、コートも脱げずに
ソファーにもたれて寝るなんてことも初体験して。
(あれ、なんでその時親いなかった?)
3年生になってからは勉強もしっかりしていたと思う。
期末試験とかは、いつもクラスでも3〜4番くらいで
教科によっては100点近くて、学年1位とかも結構あった。
学校の中の試験は得意。
だけど、模試は苦手。
それが私だった。
AO入試とかできる人も
本当に羨ましかった。
結局、詰め込み型の学習には耐えられたけど
それを応用するということができなくて、
それがすごくコンプレックスだった。
この部分が、あ、非認知能力じゃんってなって
この時から15年?!くらいを経て
今は非認知能力を育む子育てコーチングをしている。
まぁそれはまた後の話。
現役の大学受験は、塾にもほとんど通わず、
一時的に冬季講習?みたいなのには通ってた。
だけど、予備校で何してたかというと…
まぁ勉強もしていたけど、
かっこいい先輩見つけたり
長いこと片思いしてた人と付き合うことになって
プレゼント持ってきてもらったり…
何してたんだか。
勉強はしてたと思うけど…
受からなかったね。
ダメだった。
合格発表は
自宅で見た。
ネットで見れる時代でした。
土曜か日曜の午前中。
家のリビングで。
1人で見たと思う。
家にはみんないたはず。
ダメだった。
なかった。
誰かなんか言ってくれたんだろうか…
覚えていない。
私は不合格なんだってわかった時
全然涙も出なかった。
あーダメだった。
怒られる。
がっかりさせちゃう。
どうしよう。
私はほんとダメだ。
そんなことを考えていたのかな。
大学受験に関しては、
「滑り止め」を受けていなかったから
行き先がないことが決定した。
それからしばらくして、
1人で2階の自分の部屋に行って、
友人に連絡した。
昼休みとかも一緒に勉強していた友人。
その人と話したと同時に、
初めて涙が出た。
その時初めて、
1人じゃ泣けないこともあるのだって知った。
誰かがいることで、
泣けるってこともあるのだと。
受験に失敗した私に
家族がどんな声をかけてくれたのか
本当に何も覚えていない。
怖くて聞きたくなかったのかもしれない。
ただ、ずっと何もせずにはいられなくて、
その後のことを考える必要がある。
私に思いつく選択肢は、
浪人
だけだった。
だけど、父から言われた言葉は
「予備校に行かなきゃ受からないと思ってるなら
浪人しても受からないからやめろ」
そんなことだった。
ここで、
私は予備校に通いながら浪人するという道が
断たれた。
残された道は、自宅浪人。
自分で働いて予備校代を稼ぐなんて考えもなかったし
そこから就職するという考えも思いつかなかった。
消去法で、自宅浪人。
かろうじて、Z会の通信講座だけはやらせてもらえた。
でもね、失意の中にいて、
予備校にも通わせてもらえない…
という悲劇のヒロインの私は、
全く勉強なんてできなくて。
ずーっと家にいては、
ゴロゴロして、
食べてばっかりいて、
朝ドラや韓ドラを見て
ブクブク太っていった。
しまいには母から
「そんな食べてばっかいないで」と言われた。
それに対する私の返答は
「食べてないとやってらんないんだよっ!!!」だった。
でもね、
そんな生活も、夏休みに終えることになった。
夏休みに帰省した友人数人から
道外での大学生活の話を聞いて、
やっぱり大学に行きたい!!
私も大学に通いたい!
そんな気持ちがむくむくと湧き上がってきた。
それからは、
1日に10時間とか12時間とか勉強するようになった。
同じく浪人していた友達と、
今日今日何を何時間勉強したというのを
報告しあっていた。
この友人とも色々あったんだけど
それはまた今度にしよ。
そして、迎えた受験。
センター試験は、
割といい点数を取れた。
初めて導入された英語のヒアリング試験も
結構いい感じだった。
(受験した年バレる)
それで、この点数なら、
道外の行きたい大学も受験できるかも…?!
という気持ちが芽生えた。
だけど、私に道外の大学を受けるのは無理
そんなの許されるわけない。
そう思って、受けたいという気持ちを
親に伝えることすらしていなかった。
ということを友人に伝えたら
「私なんかって言って、伝えないのはずるい
逃げてる。ちゃんといいなよ」
そんなことを言われた。
そうなのか、ずるいのか
言ってみないとわかんないのか
そう思った私は、
父に言ってみた。
道外の大学に行きたいって。
ダメだった。
家から通える大学にしなさいって。
一蹴。
すぐに諦めた。
ほらやっぱりダメだったって。
その一度ですぐに諦めた私は、
現役時代と同じ大学を受験して、
合格した。
その合格発表は、
母と一緒に現地まで見に行った。
受かってるだろうなって思ったから。
でもね、その前日か発表を見にいく日の朝かな。
父に言われたの。
「こんなんなら予備校に通わせたらよかったかな」って。
今思うとさ、怒り心頭だよ。
は?!
どういうこと!?
合格してるって信用できてないってことだよね!?
ここまでの一年の私の努力を信じられないってことだよね!?
予備校に通わせておけばよかった?
そんなこと今更言ってどうなるんだよ!
あんたが予備校に通わなきゃ受からないと思ってるならやめろって
言ったんだよ!
どんだけ私の気持ち馬鹿にしてんだよ!!!!!
XXXXXXXXXXX!!!
はぁ。
ほんと腹たつ。
そんなこと本人の前で言うなよ。
そしてさ、それを私が忘れてないからさ
少し前に言ったんだよ父に。
こう言ったよねって。
そしたらさ、
父も母も覚えてないのね。
まぁそんなもんよな。
傷つけた方は覚えてない。
傷ついた方は、いつまでも引きずってる。
私も知らずに傷つけてしまって
忘れていることもあるんだろうな。
恐ろし。
人を傷つける自分ではありたくない。
だけど、そうしてしまうこともあるんだろうな。
そんな時は、素直に謝れる人でありたい。
さ、大学に合格しましたが、
片道2時間の通学が始まります。
浪人時代にぶくぶく太った体型もそのままです。
大学デビューもうまく行かないまま
私の殻を被った学生生活が始まります。
もー長すぎる。
一旦やめます。笑
大学入ってから、社会人になってから、
結婚して、子どもを産んで
最強のモンモン期を迎え、
そこから変化していった話は、
また別の機会に!!
それでは又明日〜!!