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0151 何が正解か?

日々生活していると、
何と多くの選択に迫られることか。

例えば、
朝ご飯は何にするか?

どの洋服を着るか?
ズボンから履くか?
Tシャツを羽織るのが先か?

どのルートでいくか?
地下鉄?バス?

国道?旧道?渋滞具合は?距離は?

など、

朝、仕事場に着くまでにも
これよりも遥かに多くの選択に迫られる。

そんな時、
私の頭の中をある思考が占めていることに気がついた。

それは

「どれが正解かな?」

ということ。

今日気がついたのは、
運転をしている時。

目的地に向かうまでに
どのルートを採用するか。

目的地の他にも、寄りたい場所がある。

先にいくか?帰りに寄るか?

まずはそこで悩む…
よし先に行こう…

と決めたはずだが、走り始めて数分。

あ、ここから行くには、遠回りだ…
帰りにすればよかったかな…
ん?どっちが正解だ??

まぁいい、もうこちらに来てしまったから
先に用事を済ませてしまおう。
気がかりが一つ減って、心も軽くなるし。


そして寄り道を経て、目的地へ。

ここからのルートはどうしよう?
いつもと違う道がいいか。
そう判断し、国道を選択する。

が、思ったより混雑している。

どうしよう、別ルート?
検索してみると、今この信号を曲がれば
高速に乗れる!


…が、今日の私は、いつもと違う道を
選んでいるんだ。

これが正解のはず…


だけど、やっぱり混んでる。
…むむむ。

やはり違うルートにするか…

また地図を俯瞰してみる…

あ、そうだ、こっちの道にしよう!
お、今なら曲がれる!よしっ!


むむ、だけどナビが一向に私の気持ちに
合わせてくれない。

元の道に戻るよう指示をしてくる…

いや、私は、今日はこの環状線を通りたいんだ!

そう思っても、
何度も何度もルートの再検索をしてくれている…

そしてそのルートを見るたび、
あ、やっぱりこっちの方がいいかな?
早いかな?

んーでもここだと街の真ん中通るから微妙…

やっぱ環状線!

はん?また曲がれと!?
あーこういうルートか…確かにここなら…

いやいや、私は今日、誰がなんて言おうと
ナビにどう案内されようと、
環状線を進むって決めたんだ!!


そんなことを
頭の中で一人繰り広げているわけです。

騒がしい頭です。


そんな時、ふと、私の頭によぎったのが


「え、私、いつも正解はどれか?って探してる」
そら疲れるわな。

そう思ったのです。

でも、今までは、
そのことに関して、
何とも思っていなかった。

常に正解を、最適解を探すことが
大切だとすら思っていた。

確かに、いつも正解を探す、
例えばルートの件で言うと、
最短、もしくは最速で行けるのが
正解かもしれない。

そして、その
最短最速で行けるように
その場の状況に合わせて柔軟に
ルートを変えたり、
目的地を変更したりするのは
臨機応変でいいことかもしれない。

そういう一面もある。



一方で。


常に正解を探していると、
モヤモヤを残すことにもなる。

というのも、
日常生活の中で
「これ」という正解なんて誰にもわからないからだ。

例えばルートの件をまだ引っ張るが、
どのルートで行けば、最短最速で行けるのか、

そんなものはわからない。

だって、選べる道は一つなんだもん。

全く同じ条件で、
全く同じ時間に、
別のルートを通って、
どっちが先に着くかなんて
決着のつけようがない。

こっちの方が早かった「かもしれない」とは
言えたとしても
結果はわからない。

距離で言えば、最短はナビで出せる!
なんて意見も飛び出すかもしれないけど、
最短と思われるそのルートが
工事中かもしれない。
最短のはずが、迂回路を示されるかもしれない。

そんな可能性を上げていったら、
もう一生正解なんて、わからない。
見つからないし、
答え合わせのしようもない。

そうなったら、
じゃあ何を頼りに選択したらいいの?

何かを選択するときに
どう考えたらいいの?


そんな疑問が浮かんできた。


そして、
その答えはすぐに出た。


選んだ選択肢を、正解にする行動を
取り続ければいいんだ
、と。


どの選択肢を取ったとしても、
あっちがよかった「かも」
こっちやよかった「かも」

そんな思いが残ってしまう。

だけど、
その正解はわからない。

たらればを言っても、
事実は変わらない。

だとしたら
起こっている事実に対しての
解釈を変えるまでだなと。


例えば、今回のどのルートでいくか。

私にとって、
今日の正解は、環状線を進むことだった。

高速に乗れば、もっと早く着けた。
国道をまっすぐ進めば、曲がる回数は少なかった。
ナビの通りに行けば、最短ルートだった。

だけど、
今日の私は、少し時間をかけたとしても
間に合う時間に出ていた。

いつもと違う道を通りたかった。

なぜか、「今日は環状線いきたい」そう思った。

だから、私は環状線をいく。

それが、今日の私にとっての正解だった。

ナビになんて言われようと、
環状線がどんなに遠回りだろうと

私は環状線を進み続けることで、
私の選択を、正解にし続けることができた。


これは、
どんな選択にも言えるのだろうなと思った。

何かに迷う、
立ち止まる。
正解を探す。

だけど立ち止まっていたって、
正解なんて見えてこなくて。

一歩進んで、
違うかも。
だけど進む。

あ、やっぱこっちかな?と
軌道修正をする。

うん、こっちかも。

いやこっちかも。

あれ、こっちかな?


どっち?あっち?ってしてたって
正解は見つからない。
正解はないから。

正解は、作るものだから。

例え、当初目指していた目的地に
辿り着かなかったとしても、

そこが正解になる解釈をつけてあげれば
それを正解にすることができる!

全ては
起こるべくして、起こっていること。

もう
人生のシナリオは全部決まっていて、
何なら、撮影も全部終わってる。

その撮影された映像を体験しているだけ。
それが人生。

だから、泣くことも
痛みを得ることも、
喜びも喪失も怒りも。

全ては予定通り。

最後に笑って死ぬための
全ては演出。

そう思ったら、
何してもいい。

自分が、
これかなって思うことをしたらいい。

そして、
その選んだ道を
正解にする選択を
し続けるだけ。

後悔することも、
正解。

それがあるから、
次が輝くからね。

だから、
何だっていい。

ただ、
自分が選んだ道を
正解にする。

自分の選択を
正解にする選択を
し続けるのみ。

以上。


はい、今日はここまで。

それでは、又明日〜!

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