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芸術を生みにくい街、東京。(鈴木忠志トークを聞いて)

日本の現在とそれに対する危機感を、鈴木忠志流に(?)語った最新作『果てこんIII』直後。

鈴木忠志トークは「東京には個性を放電しても受け入れる皿がない」から始まりました。

そして「東京で芸術を創る、創造することがいかに難しいか」も。
これはそもそも鈴木忠志が早稲田小劇場を後にして、利賀村に移動した理由なので、目新しい話ではありません。

でも、2024年現在、その「創造しにくさ」が改善されるどころか、改悪している状況を聞くと、どうしても多大な危機感(と同意)を感じざるを得ません。

役者は事務所に所属しないと活動しにくいけれど、事務所に所属すると生計が立てられないという矛盾。
創造の観点から、途中で役を変えたり変更を加えたくても、契約があるからできない。
劇場は劇場で、予約時間内に稽古を終えないといけない。
創造の観点から、少し稽古を延長したくても、予算が…手続きが…と気軽に延長は実現しない。
じゃあ外でやると言ったら、警察が来る。
ビル内の稽古場なら、下の階の人が足踏みの音に文句を立て、小劇場での稽古なら、近所から大声迷惑と苦情が来る。

日常茶飯事のことで、「みんなそういう制約の中でやっている」ことだけど、鈴木忠志に指摘されると、それを「しょうがないもの」として許容している時点で全然ダメなんだとハッとします。東京の人は何をやっているんだ、目を覚ませと、後頭部から平手打ちされる気分(笑)

結局、今日は質問する時間がなくなっちゃって、それ以上のことを聞くことができませんでした。
(無理やり手を挙げれば答えてくれただろうけど、「東京はラストオーダーの時間も早いねえ、今だったらまだ空いているレストランもあるんじゃない?」という言葉の後に手を挙げる度胸はなかった😂)

でも、本当は聞きたかった質問: 
『果てこんI~III』を筆頭に、日本について常に考えて、国内外にその考えを演劇という形で魅せてくれた鈴木さん。そんな鈴木さんだからこそ、この東京の「反•創造的」な状況が続くことの壊滅さは痛感しているはず。
鈴木さんなら、これを《まずは》どこから、そして《長期的に》どうやって変えていくのが良いと思いますか?

同時に、会社員して会社員やめて、常日頃「生計の立て方」と「創造する時間」の兼ね合いに頭を悩ませている自分も、周りの仲間も、そんな社会の中で頑張っているんだなと、なんか寛容な気持ちが芽生えました(笑)
いつも何か芸術に対して妥協しているような感じで、やるせない気持ちになりがちだけど、自分が置かれた時代や社会なりに、できるだけのもがきはしているのかもと。

ただ、寛容でいながらも、「許容」するのではなく、その環境を「変えていく」ことこそ、自分たちの世代に課された責務なのかもしれない。
私も、これだけ海外で過ごしてきたのに、やっぱり日本人で、こうやって日本に帰ってきてこういうことを考えさせられて、それも何かのご縁のはず。

そんなこんなで『果てこんIII』の初見にて、早くも日本•日本人•芸術に関して、色々考えさせられました。

鈴木さん、SCOTの皆さん、いつも人生の変わる経験をありがとうございます🙇‍♀️

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