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『世界の果てからこんにちはIII』感想

昨夜、鈴木忠志の最新作『世界の果てからこんにちはIII』を観てきました!

初めて、利賀村ではなく、東京(吉祥寺シアター)でのSCOT作品観劇。
もちろん花火はないし(おいw)、どうなんだろうと思いながら足を運びましたが…

やはり鈴木忠志は偉大でした。

まず、開始直前の劇場の静けさ
18:30開演予定だったのですが、18:27くらいからどこかと観客席が静かになり、18:30には、全員が一体となって公演の開始を待っていました。

これぞ、利賀村が東京に出現したような感じ。
劇場の構造は違えど、あの利賀の合掌造りの劇場と同じ空気が漂っていました。

そして始まった公演。
登場人物は(ほぼ)全員、車椅子に乗った「病人の日本人」。

『果てこんI』の車椅子シーンと違って新鮮なのは、一人ひとりが異なる衣服をまとい、冒頭から「キャラ」が視覚的に確立されていて、なんかこういうやついるなーという現代感・親近感を感じたこと。

『果てこんI』の車椅子シーンと変わらず圧巻なのは、無駄な動きが一つもない緻密さ
車椅子に乗って出てくる数秒だけでもずっと見ることができるくらい、引き込まれる存在感とコントロール。
話に集中しながらも、気づいたら車椅子集団が、
左右対称になるように身長順に横並びになっていたり、
真ん中の人だけ足の置き方が違っていたり、
一人だけ(恐らく意図的に)腕の動きが遅れていたり、
全て舞台上で起こることには意味がある。

病人で車椅子なのに、足のコントロールが超人的なのが、最高の矛盾であり皮肉(笑)

そしてダンス。
これは、今年夏のサマー・シーズンで「予告編」として見せてくれた一部。
その時は、文脈がなさすぎて、全く意味が分からなかった(笑)のですが、逆に今回「ここに来るのかー!」とパズルピースがはまったような感覚で、すごく快感でした(笑)

劇団員の佐藤ジョンソンあきさんや齋藤真紀さんなど、大半の女性陣の出演はこのダンスのみ。
でも、ダンスのステップ一つ一つにかける「気」の大きさが半端ない。
振り付けだけ見るとそこまで難しいものでもないけど、それを「あのように」体現できるのは、さすが劇団員…と脱帽するしかない。
小さい役はないと改めて痛感させられたシーンでした。

唯一、女性の中でダンサーでなかったのが内藤千恵子さん。
今年夏の『講談・からたち日記由来』でも感じたけど、内藤さんが話すと、全神経を素手で掴まれたかのように聞き入ってしまう。
内藤さんが歌うと、劇場内の空気が変わる気がする。
私の中で、内藤さんは日本のIan McKellenであり Judi Denchです

観劇の「感想」というよりは「体験談」みたいな内容になってしまいましたが…(笑)
それもそのはず、内容自体は、台本が出版されてから(される予定らしい)熟読して再考して考えをもう少しまとめたいのです。
『果てこんI』もそうだけど、鈴木忠志の「ニッポン観」は、特殊かつ普遍的で、複雑で、一回見ただけでは消化しきれず(笑)

最後に、『果てこんIII』を観て、改めて感じた「鈴木忠志の偉大さ」とは

車椅子のこと、ダンスのこと、内藤さんのこと…色々書きましたが、それらが全て合わさって創出されるのは、完全なるPresence
Presenceのしっくりとする和訳がまだ思いつかないのですが、言うならば「今ここにある状態」。
「存在感」というと、何かカリスマ性を持った人が放つ何かのようなイメージだけど、それとも違う、「その場に、その瞬間に存在する力」
役者一人ひとりが一瞬たりとも「消える」瞬間がない。
観客も一瞬たりとも、「ふらりと」別の考え事をする瞬間がない。
双方が、劇の始まりから終わりまでを「共に」し、鈴木忠志の書く言葉・演出する空間を吸い込み、吟味する。

観客にもかなりの集中力と精神力が求められ、観客もある意味、「鈴木メソッド」で鍛え上げられているのだと思います(笑)

だからこそ、鈴木忠志の劇は商業演劇やミュージカルのように大きな劇場で演じられるべきでもないし、とりあえず人数稼ぎとマス向けにマーケティングするべきでもない。

むしろ、今の「ニッポン」で、東京で、鈴木忠志・SCOTの劇と向き合うことができるpresenceを持つ人はどれくらいいるんだろう…(続きは、鈴木忠志トークの感想へ…)

なんかいつも、ものすごい崇拝者みたいな書き方になってしまいますが…笑
本当に鈴木忠志のいる演劇界に出会えて良かったと思っています。

来年はSCOTの㊗50周年記念で、サマー・フェスティバルもさらに盛り上がる模様。
ぜひぜひ皆で盛り上げに行きましょう~!🌟

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