鈴木忠志との出会い:『SCOT サマー・シーズン 2023』の感想
これまで48年間、富山県の過疎村・利賀で行われてきた『SCOT サマー・シーズン(以下、フェスティバル)』に、初めて行ってきました。
これは、毎年でも行きたくなる、いや、行かねばならない日本が世界に誇る貴重な行事。
鈴木忠志がどういう偉人なのか、フェスティバル参加にあたっての詳細は別途まとめることとし、まずはフェスティバルの感想を綴ります。
1. 利賀村の合掌造りの劇場で観劇するということ
鈴木忠志があえて、この(正直不便な)過疎村を選んだのは、そこにあった合掌造りの民家が作り出す「光と闇」のコントラストに惹かれたから。私は、そもそも合掌造りの民家に入ったこともなかったし、それがどういう雰囲気を作り出すのか、実際に経験するまで想像もできませんでした。
でも一度経験すると、東京からわざわざ来る価値があると一瞬で分かります。同時に、これまで憧れていた都心の大きな劇場や、ヨーロッパの歴史ある豪華な内装の劇場まで「あれらは本当に演劇に適しているのだろうか」と本質を考えさせられるほど。
この経験を湧き起こすのは、合掌造りの劇場「内部」だけではありません。
開演10分前くらいになると、劇場の外で観客が整列番号順に並び、全員同時に入場。靴を脱いで、何か懐かしい木の匂いを嗅ぎながら、玄関を通って劇場内の席に着く。そして間もなく演目が始まる。
この入場システムが、観客全員が一体となって、スッと「日常」から「非日常」の世界に連れていかれる雰囲気を作り出してるんです。
こんなに舞台上と観客席が一体となっている観劇をしたのは、初めてじゃないかなあ。
この空間が神聖すぎて、何一つ音を出したくない、1秒たりとも目の前の演目以外のことは考えられない、そんな体験を、3日間を通して5演目分も繰り返すんだから、これはこれは濃厚な時間のこと。
濃厚すぎて、1日が終わる頃には良い意味で「疲れた」と思うほどです(笑)
2. 毎年わざわざ利賀村に来る観客と交流するということ
フェスティバルは3週末に渡って開催されるため、週によって観客層も変化するようです。私が行った最終週は、演劇関係者(役者・制作・研究者等)が半分またはそれ以下で、純粋に「鈴木忠志の舞台を観ることが好きな人(特に普段から他の演劇を見ているわけでもない)」が半分以上くらいの感覚でした。
そして、フェスティバルを通して、食堂や民宿、観劇直前の整列の時間などに、自然とこの「純粋な鈴木忠志ファン」と交流する機会が多くあります。
役者や演劇関係者と鈴木忠志について議論するのも面白いけど、私は、「鈴木忠志ファン」との交流こそがフェスティバルの醍醐味でした。
特に2日目の最終公演後、民宿のロビーで歓談している方々が仲間に入れてくれて、2時間ほど(?)とにかく深夜回るまで、みんなで鈴木忠志について語っていました。
私はまだ鈴木忠志について語れるほどの知識がなかったのですが、何度も来られている方々がたくさん教えてくれて、ウェブサイトや書物で学ぶよりもオーガニックに鈴木忠志について詳しくなっていきます(笑)
そして、特に「演劇好き」なわけでもないのに、鈴木忠志の演劇にはここまで惹かれて毎年戻ってくる方々を見ていると、「これが演劇の力だよなあ」と再確認。
同時に、昨今このような影響力を持っている演劇がどれだけ稀になってしまっているかを痛感し、演劇関係者としては危機感を感じざるを得ません。
実際、鈴木忠志やその時代の「運動派」演出家・劇作家・俳優については、歴史書のように知識と議論を持っている60代の方々も、「最近の演劇は見ないよね」の一言。
うっすらと感じてきた最近の「演劇好きとその知り合いの界隈にしか広がらない演劇」が、自分の中での《単なる印象》から《実際問題》に引き上げられた気がします。
脱線しますが、実はフェスティバルのメインプログラムの中で、一つだけどうしても予約が取れなかった『ディオニュソス』という演目がありました。日中韓の多言語公演で人気も高そうで、どうしても見たかったけど、3度くらいキャンセル待ちの連絡をしても一向に取れなかった演目。
公演1時間前に、前述の「鈴木忠志ファン」の一人が(全くの初対面なのに…!)「もう観たから行っておいで」と言ってくれて、しかも1階席の《すごく良い席》のチケットを譲ってくれたんです(泣泣)
いや、これはもう、タダでTaylor SwiftのVIP席チケットをもらうようなもん(笑)
結局『ディオニュソス』が3日間で一番印象に残った演目だったし、本当にこの出会いと親切さには感謝感激雨霰でした(泣)
3. 鈴木忠志が演出する舞台
さあて、さて。本題中の本題。鈴木忠志の舞台の偉大さとは。
一言で言うと、「これまで『演劇』って観たことあったのかな」と思わされるほど、『演劇』という言葉の定義を塗り替えられます。
私の頭に蘇ってきたのは、演技指導の巨匠の一人とされるステラ・アドラーの著書『The Art of Acting(訳題『魂の演技レッスン22』)』。
ギリシャ悲劇やシェイクスピアのような古典劇では「人間以上の存在(神)に語りかけているからこそ、魂を込めた等身大以上のエネルギーを舞台上で放つこと」が必要だと綴られているのですが…。
本当に。神をも呼んでしまいそうな。膨大な。エネルギーを。役者から感じるんです。鈴木忠志の劇は。
鈴木忠志が世界的に知られるようになった一つの要因として、海外戯曲(ex. ギリシャ悲劇、シェイクスピア、チェコフ、ベケット)を日本で演じる際に、どのように日本のコンテクストを取り入れれば日本の観客に戯曲の意図が伝わるかをずっと考え続けてきたことがあり、彼の演出には、能や歌舞伎などの《日本伝統芸能》の要素を強く感じる側面もあります。
でも別に、伝統芸能に興味がなくても、知識がなくても、関係ない。
そんな「演出術」以上に、自分の身体一つで、その舞台の緊張感とエネルギーを感じ動かされてしまう。
これは天才?魔法?です。
利賀村に行って鈴木忠志の舞台を観るということは、とにかく、そんな「世界一流」かつ「歴史に名を刻む芸術家」の集大成に立ち会う、そんなすごい経験なのです。
その魔法を可能にするのには、「鈴木メソッド」という名で知られる利賀での訓練を受け、長年に渡って鍛え上げられてきたプロのSCOT劇団員の存在。
すごく厳しいらしい、この訓練。
毎日何時間も訓練するだけでなく、利賀村周りの業務(片付けとか草むしりとか生活に必要なこと諸々)もみんなで行っているらしく、舞台上での『アンサンブル』感は世界一なんじゃないかと思うほど。
この「家族感」なり「一体感」は、言葉じゃあ表せないので、観に行かねばです(笑)
しかも、その劇団員が育ててくださった伯爵カボチャ・ナス・ピーマンを、公演後にタダで配ってくれるなんてサプライズも。
しかも、価値観を変えてくれる素晴らしい舞台を観せてもらった後に、「劇団員が育てた野菜ですから、少し傷ついていたり虫がついていたりしたらすみません」とか鈴木忠志が観客に言っている。
「いやいや、とんでもございません、野菜までいただいてしまって」としか言いようがありません(笑)
これぞ、鈴木忠志と劇団員のホスピタリティ。
鈴木忠志・SCOT劇団員・観客が、演劇を通じて、劇場内外で一つのコミュニティとなる『利賀村』。
これは、長年フェスティバルに行っている人に限られた話ではなく、初参加の私でも感じられた温かさなので、SCOTのホスピタリティ様様なのだと思います。
演劇好き、芸術好きなら、ZETTTTTTTAINI(絶対に)行った方が良いフェスティバル。
(演劇好き、芸術好きでなくても、「人間」なら行った方がフェスティバルとまで言いたくなるくらい)本当に良いものと出会えた3日間でした。