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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか89】9月(3)2か月べべさん

 生後2か月が過ぎたべべさんは、順調に大きくなっている。涙や鼻水やよだれがよく出るようになり、人間としての機能が具わってきている感じがある。体重は標準程度だが、身長はちょっと大きめだ。はいはいを始める前の赤ちゃん特有のぷよぷよふっくら加減である。泣き出す前に唇を台形にするのが何かに似ていると思ったら,仕切りのときの大麒麟だ(昭和の大関、大麒麟をご存じない方は画像検索してください。「仕切りのときの」がポイントです)。

 声もよく出す。新生児微笑ではない、ちゃんとした笑顔が増えてきた。表情豊かでよく動く、元気なべべさんだ。気がついたらベビーベッドの中で180度向きを変えていたり、柵から手脚を出していたりする。生後1か月の検診のときに、小児科医に「エネルギッシュな赤ちゃん」と言われただけのことはある。

 2か月の検診では、両足にワクチンを打たれて、ぎゃん泣きした(私は現場を見ていないが)。両足に大きな脱脂綿を貼られて帰ってきたべべさんは、家でも思い出したようにぎゃん泣きし、ワクチンを打たれたところが赤く腫れて、ちょっとハラハラした。こんなのは、正常な反応の範囲内、予想されたこと、と頭で分かっていても、娘夫婦には初めてのことで、心配になる気持ちは当然だ。
 予防接種は、保護者が予め薬局でワクチンを買って、小児科に持参して打ってもらうというシステムだ。何かと日本とは違う。集団検診ではなく、街の小児科開業医のところへ行くので、ワクチンの在庫をそれぞれのお医者さんが持っておくよりもその方が合理的なのかな。或いは、どのワクチンを打つかの選択、それを用意することも含めて、保護者の責任ということなのか。

 ちょうど生後2か月になる頃、べべさんは自分の手を発見したようだ。握りこぶしを作っては、しげしげと見ている。ちょっと前まで自分で自分の髪の毛を引っ張っては泣いていたのだが、それがなくなって、その後すぐに「手の発見」があった。ハンド・リガードと呼ばれるしぐさらしい。こんな言葉、私が赤ちゃんを持っていた頃にもあったかしら。そのちょっと後には、おもちゃについている紐を引っ張っていた。
 どんどん頭の中で何かが繋がっているんだろうな。おばあちゃんの脳細胞に、その活発さを分けて欲しいよ。とても真剣な顔で何かを見つめていたりすることもあり、最初の言葉が「フリー・ガザ!」だったらどうしよう、と娘と話す(はい、すみません、ふざけていい言葉じゃないです)。

 日によって、べべさんが難しいときもある。お腹も空いていない、おむつも汚れていない,眠そうなのに寝なくて、どうしても泣き止まない。成長や変化が早くて、脳や身体が疲れているのかもしれない。本人も戸惑っているのか。
 寝不足の娘を休ませたい、とはいえ私もずっと抱っこはできない、というときの,最終兵器は抱っこ紐である。抱っこ紐にべべさんを放り込んで、縦揺れでしばらくすると、大抵泣き止んで眠る。おかげで下半身が鍛えられる。これをスマートウォッチが歩数としてカウントしてくれたら、私の運動量はもっと多く記録されるはずだ。
 慣れたもんで、この体制でタイピングもできるし、洗濯物も干せる。ただし、台所仕事はできない。トイレは試したことがない。うーん、切羽詰まったときよりも余裕があるときに一度試しておくべきか。おんぶだったら台所仕事もできるだろうか。早く首が座ってくれないかな。

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