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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか84】8月(10)乳腺炎②

 病院に行って、これで良くなる、と思ったのもつかの間、良くならない。エコーを取る予約は木曜日だが、この痛み方ではそれまで待つことなど無理だ。婿が病院に電話し、火曜日の午後、再び病院で診てもらえることになった。
 病棟に入れる人数が制限されていることが分かっているから、今度は娘夫婦とべべさんの三人で行く。べべさんがせっせと吸ってくれないと、いよいよ母乳が溜まってしまうので、べべさんはキーパーソンとして一緒に行く。私は、留守番中に家の掃除をして、夕飯に娘の好きなものを準備して待とう。

 夕刻、娘からLINEで、針を刺してできる範囲で腫瘍を取ってもらった、けれども、それでは取り切れない、深いところに大きな腫瘍があって、手術になるかも、とのこと。この時点では、手術をしてからしばらくは無理でも、日数が過ぎれば授乳できるようになると思っていた(以前、そう聞いていた)ので、手術して良くなるなら、それもありだよね、と返信した。

 しかし、その後、お医者さんとの面談の結果、思いの外、炎症、膿腫が深刻で、手術が必要な上、これから先、左胸からは授乳はできない、経過によっては右胸の授乳も断念しなければいけない、と言われたと連絡があった。

 言葉を失った。勿論、命に関わるわけじゃない。母乳を断念したところで、べべさんが健康である限り、何の問題もない。娘が痛みから解放されるなら、それはありがたいことだ。そんなことは、頭では分かっている。
 それでも、抱っこして乳首を含ませている、あの、幸せを具現化した娘とべべさんの姿を見られなくなるのか、今まで母乳を飲ませるために頑張ってきた娘の努力がこんな形で終わるのか、そんなことを思うと、視界がぼやける。
 いやいや、私が泣いてる場合じゃない。まず、何か返信しなければ。それは辛いね。とまず一言。それから、でも、あなたとべべさんのwell-beingが一番だよ、と送った。

 娘はその晩のうちに手術、一泊入院することになった。麻酔を掛けられる直前、べべさんに授乳をしたそうだ。多分、泣きながら。
 着替えやら食事やらは心配しなくていい、病院が手配してくれる。それよりも帰宅する婿とべべさんをよろしく、と娘から連絡があった。その晩は、べべさんのケアをする婿をフォローしつつ、せっせとべべさんの動画や写真を撮って、娘に送った。何度も繰り返して見た、と後に聞いた。

 因みに、手術を受けたのは出産したのと同じ病院だったのだが、病院の朝ご飯は出産入院の方がずっと豪華だった、とのこと。

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