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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか80】8月(6)婿との摩擦

 婿との話し合いを持って、問題解決、めでたしめでたし、と思った三日後、今度は私が壊れた。ここのところの緊張から解放されたせいもあったのかもしれない。

 話し合いの後、私は婿に対する苛立ちが、私の中から消えているのを確かに感じていた。それでも、多分、根底に、「許し残し」があったのだ。

 話し合いを行った際、これからは家事を私が全部やろうとするんじゃなくて、婿にもやってもらうようにする、ということが確認された。スピンオフの話題として、私は、自分が家事をやっているときに、誰かから手伝いを申し出られるのは嫌いじゃないということも話した。
 娘は自分のペースで、自分のやり方で、自分が始めたことは自分で終わらせたい、のだそうだが、私は手助けを申し出られたら、「あ、じゃ、これお願い」と仕事を振ることが平気でできる。37年も教員をやっていれば、如何に生徒に仕事を振るか、一人一人を動かすか、というのは、上手くもなるのである(生徒相手なら、裁量や工夫の余地をできるだけ残すのがポイントだが、それも生徒によって匙加減が必要だ。私は上手い方だったと思う)。

 それから、私は意識的に、「今、手が空いてたら、これやってくれる?」「洗濯物を畳んでくれると助かる」と声を掛けるようにしていた。そうやってお願いすれば、婿は気持ちよくやってくれる。

 で、なんで「お願いすれば」なんだ? 

 家事がやりたい、のではなかったか? 確かに、手伝いを申し出ても「いいよ、私がやるから」と言われてしまった今までの経験が邪魔をしているのかもしれない。育児が忙しくて、家事まで手が回らないということもあるかもしれない。それにしてもさ、もうちょい自分から動けないもんかね? 私は手伝いを申し出られたら仕事を振ることは得意だって、わざわざ言ったじゃん。
 私が洗濯物を洗濯機から取り出してベランダへ持って行くとしましょう。リビングのソファに座る婿の目の前を通る。スマホを見ている。漫画を読んでいるのか、難しい本を読んでいるのか、娘やべべさんのために情報収集しているのか、私には分からない。声を掛けるのが憚られる。こちらから「お願い」するのは、慎重にタイミングを見極めて、今ならいいだろ、というときに限られる。

 でもまあ、ベースにそういうストレスがあったとしても、そんなことだけでは私は壊れない。壊れたきっかけは別のところにあった。

 娘は勿論、私が婿に意識的に家事を振っているのに気づいていた。ある日、私の部屋に来て、家事についてはそれでいいとしても、育児については父親としてプロアクティブになって欲しいから、やるべきことに気づいても、少なくとも(婿の担当ということになっている)日中は、手も口も出さないで、彼が自分で気づくのを待って欲しい、という言葉があった。
 そらそうだ、私が主体性を奪うようなことがあってはいけない。私だってその方が楽かもしれないし。

 その際、ついでのように娘から聞いた話が、私にとって最後のわら一本になった。
 先頃の義母様ご一行の訪問のとき、おばあさまが私を見て、「しょっちゅう、べべさんのおむつをチェックしている、そのせいでべべさんが眠れないのではないか」と仰ったのだそうだ(実際、義母様ご一行がいらしたときには、おむつチェックでもしないと間が持たない、ということもあったのだよ)。義母様から婿に連絡があったらしい。婿が、そういう目で見ていたら、確かに私が頻繁におむつをチェックしているように見えて気になる、と。

 聞いたときは、平気だった。ところが、その夜中、べべさんのケアのために起きている最中から、涙が止まらなくなってしまった。朝になってもダメだ。家事をこなす以外、自室から出られない。どうせリビングに行ったところで、べべさんの世話は婿がやるから手出しできないのだし。
 …ほらもう、気持ちが拗ねて、いじけモードに入ってますよね、これは。還暦過ぎてこれって、人間としてどうなの。と思うと、いよいよ情けない。このまま老人性鬱に入ってしまうのかしら、私。

 なぜ、そんなことが壊れるきっかけになったのか。娘のために義実家に好印象を残したいという思いだったのに、娘の足を引っ張るようなことになった、それがショックだった? べべさんの泣き声や表情、姿勢が変化したときにおむつをチェックしているつもりだったのに、そうは思ってもらえなかった、それが悔しい? 胸の底に怒りがあるのは感じている。それ以上は、言語化できなかった。

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