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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか50】出産(3)誕生

 夜9時、帰宅した頃、婿から連絡があり、もう促進剤は使わない、麻酔を掛けることになったという。良かった。9時半ぐらいに麻酔を開始、すぐに効いて、痛みはおさまったらしい。良かった良かった。なんで日本では無痛分娩が広がらないんだろう。デメリットや危険性もあるかもだけど、選択肢を増やすだけなら、問題ないと思うんだけどな。

 娘夫婦は分娩室に移った。娘はベッドだが、婿には椅子しかないので、身体が休まらないだろう。気の毒に。まあ、一生にせいぜい数回のことだし、パパの頑張りどころだ。
 子宮口は次第に開いてはきたが、日付が変わる時点では、まだもうちょっと掛かりそうだという報せ。このぶんだと、べべさんは七夕の日曜日生まれになるんだろう。彦星? 牛飼い? いやいや、七夕は彦星が生まれた日ではない。発想が暴走してる。落ち着け、私。

 夜中にちょくちょく進捗状況の報告が入る。明け方、2時間後から分娩を始める、との連絡がある。8時ぐらいに出産か。そこから、実際に私が会えるまでは、もう少し時間が掛かるだろう。とはいえ、気持ちが高ぶって、寝直せるとも思えない。起き出して、昨日から浸水してある米を炊く。おにぎりを作って持っていこう。
 8時半、生まれたとの連絡。親子3人の写真つき。あー、ほっとした。おめでとう、新しい3人の家族。娘も婿も、お疲れ様でした。そして、べべさん、よく頑張ったね。

 何かあったらどうしようという心配、もっと言えば恐怖が、自分の妊娠、出産のとき以上に強かったように思う。どうしてだろう? 自分のときには例えば直接胎動を感じることで、大丈夫、と思えたんだろうか。いや、今回だって、娘から「あ、今、動いてる」と聞くことは日常的にあった。おなかを触りもした。
 自分の出産のときは必死すぎて、「何かあったら」なんて考える余裕もなかったんだろうか。いや、娘、つまり一人目の出産が予定日より2週間遅れたとき、あの毎日の不安と恐怖を、私は今もひりひりとした気持ちで思い出すことができる。あの不安と、今回、娘の出産を見守る不安感は、質が違うところがある気がする。

 万が一何かあったらどうしよう、何と言って慰めればいいだろう、どう言葉を尽くしたところで傷が癒えるようなことはなかろうが、と、最悪の事態を想定して、実は内心ずっと脅えていた。口にするのもおぞましく、誰にも話せなかった。
 子どもを失うというのは、人生で最大の不幸だ。少なくとも、最大の不幸の一つだ。親であれば、ただただ悲しい、苦しい。では、自分の子どもがその最大の不幸を味わったら、親はどうすればいいのか。
 自分の悲しみや苦しみには向き合うしかない。それは自分の問題として受け止めざるを得ないけど、自分の子どもがそれを味わうのは、それ以上に辛い。きっと、私の不安感は、そういうことだったのだと思う。子どもの悲しみ、苦しみを目の当たりにして、何も助けてやれない、それに私はどうやって耐えればいいのだろう、という怖さ。

 孫は可愛いよー、と同世代の友だち=先輩おばあちゃんsは口を揃えて言う。確かに、それは間違いないのだろう。私も猫可愛がりすると思う。でも、孫が生まれてきても、私にとって、私の子どもたちはかけがえのない存在で、優先順位ナンバーワンであることはきっと変わらない。

 それはさておき、目の前に、か細い手足をした、頼りない、命のかたまりがいる。べべさん、無事に生まれてきてくれてありがとう。これから11か月、私があなたと過ごす日々を、あなたは覚えてはいないだろうけど、私は絶対に忘れない。

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