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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか48】出産(1)入院まで

 7月の第一土曜日、朝から娘がおなかが痛い気がする、繰り返し痛みが来る、という。明け方、いわゆる「おしるし」もあったようだ。強い痛みではなく、痛いときでも普通に座ったり話したり食べたりできる。念のため、昨日に続いて婿に病院に電話してもらう。昨日と同じ、様子を見ましょう、でも、心配だったら来てね、という対応だった。

 私がやれることは、と考える。まずはご飯を炊くことだ。いつも昼ご飯と夜ご飯は娘の専権事項である。しかし、ここは私の出番ではあるまいか。ここからどう展開するにしても、ご飯炊いときゃ間違いないだろ! 米を量って、浸水、炊飯する。こっちの米とIHの相性がよく分からない(娘のうちには炊飯器はない。米は鍋で炊いている)ので、ちょっと慎重に。
 午前中、痛みが遠のいた気がすると言ってベッドで横になっていた娘だが、軽い出血が断続的にあるようだ。やはり一度病院で診てもらった方がいいのではないか、その結果、まだ産まれないから帰宅することになってもいいから、診てもらった方が安心ではないか、ということになった。まず腹拵えが大事。ご飯を炊いておいて良かった。玉ねぎと卵とチーズでリゾットにする。見た感じがめちゃ地味。でも、消化がいいものがいいかと思ったのよね。ご飯はやはり日本のものとは違い、炊きたての白米をそのまま美味しく、という食べ方は難しい。

 昼食後、娘夫婦はタクシーで病院に向かった。このまま分娩ということになったときのために、最低限の荷物を持っていった。13時半、「大丈夫と言われた」と婿から一報を受け、一安心。心拍数のモニタリングや採血もしてもらうとのことだったが、子宮口はまだ少ししか開いていないようで、生まれるのは先みたい。ふーん、じゃあ、取り敢えず今日のところは帰宅するのね。それじゃ、夕飯も母の出番か? 魚屋さんに行こうかな。

 ところが、出血の原因が不明であること、べべさんがもう十分に大きいことなどから、16時になり、陣痛促進剤を入れて、このまま入院、出産することが決定した。おお、急転直下だな。この時点では、娘の痛みは耐えられるレベルだったのだが、モニターによるとちゃんと陣痛が始まっていたようだ。
 婿が入院グッズを取りに一旦家に帰るとのこと。その際、おにぎりを作って持たせて欲しいと娘からのリクエストがあった。分かった、今日二度目の炊飯だな。お米を浸水する。
 と、そこへ、陣痛促進剤がよく効いて、痛みが激しくなってきた、婿が娘のそばを離れるのが難しいので、入院グッズを持って病院に来て欲しい、という連絡が入る。分かった、米は放置だ。とにかく病院に向かおう。

 今まで病院には二回、娘に付き添って行ったことがある。徒歩40分。でも、それは臨月の娘の歩調に合わせていたからであって、一人ならもうちょい速く歩けるはずだ。とはいえ、できるだけ早く行きたい。トラムやバスを使うと早いかと思って調べたけど、乗り換えの都合で歩くのとあんまり変わらない。さて、どうやって行こうかと考えながら、入院グッズの入ったバッグを持った瞬間決まりました。はい、これは重くて歩けません。婿に、タクシー手配して、とお願いする。その間、あれも持ってきて、だの、あ、やっぱりそれはもう持ってきてた、だの、矢継ぎ早に連絡が入り、右往左往しながら荷物を整える。

 呼んだらすぐ来るとのことで、荷物ができたところで婿にタクシーを呼んでもらった。建物の一階まで荷物を抱えて降りる。タクシー配車アプリから私のスマホに連絡が入る。タクシーのナンバー、青のトヨタ車、PINナンバー。婿からも確認が来る。待つこと2分、私の前に車が止まった。「ぼんじゅーる、むしゅー」。荷物をトランクに入れてもらって、乗車。何か聞かれたけど、分からない。「ぱるどん?」「PIN number?」あ、PINね。慌ててるせいもあって、一桁の数字すらフランス語で言えない。慌ててなきゃ言えるのかと言われるとそれも怪しい。
 18時半過ぎ、10分少々で病院に到着した。タクシー料金は婿がアプリで支払ってくれている。ほんと、便利な世の中だ。

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