【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか103】9月(17)フランス語講座③
次の木曜日、2回目の授業のとき、私たちはべべさんの世話の都合で遅刻して教室に入った。その結果、入り口に近いところにいたアイを挟む形で座ることになった。
前回中心になって進めていた先生、ポリーヌが今日は病院のアポがあるとかでお休み、年配の女性、ミシェルが一人で仕切っている。前回よりも人数が多く、先生が一人では大変そうだ。私たちが入っていったときには、幾つかの単語を各自が小さいホワイトボードに書いていた。アイは、ミシェルが書いたお手本を写したようだった。
その日の授業で、アイは完全に「お客さん」状態だった。前回と違って、私に話しかけてはこない。先生の手が回らない中で、青いホワイトボードマーカーで、ずっと自分の手のひらに模様を描いている。私がそれを見ていたら、手のひらをこちらに向けて自慢げに笑った。
ここで、私の中の教員魂に火がついてしまった。いや、そんな言い方しなくても、要するに教え好きのおせっかいおばちゃんで、教室という場所でお客さんになっている若い人がいるというのが、耐えられないのよ。
ちょっと貸して、とアイのホワイトボードを取り上げ、アルファベットを書く。ほらこれ、写して。何とか通じたようだ。アイは真剣な顔で字を書いている。娘が「先生やってるじゃん」と、アイの向こうで笑っている。
いや、ごめん、私の字が汚いからいけなかったね、でも、そうかー、写すということは、難しいものなんだな。文字の形を認識して、再現する、そういう機能がアイの中で発達していないのだろう。KとかYとか、全く違う何かになっている。アルファベットを書いたことがないばかりか、見た経験も乏しいのではないか。
学校に行ったことがないというだけではなく、何かしらの学習の困難を抱えた子なのかもしれない。フランス語ではない言語で話しかけてきたのも、それが通じないということ自体を理解できていないのかもしれない。
私は知識として、学校に行けない子どもがいるということを知っていた。文字の読み書きができない人は、日本にだっている。そのために夜間中学などがあることも知っている。
それでも、アイを目の前にして、ショックを受けたのは否めない。そして、何とかしないと、と思った。でも、私、ここでは先生じゃないし、自分もフランス語のアルファベ怪しいし。そもそも、アイは、字が書けるようになりたいと思っているだろうか。学ぶ側のレディネス、学びたいという気持ち、姿勢があるだろうか。私がしたことは、ただの自己満足の押しつけだったのではないか。
…と思いながら翌週の火曜日に教室に行ったら、アイはいなかった。何か事情があって出席できなかっただけかな? できないことが多くて、やる気を失っちゃったかな? 私がこないだ押しつけがましくアルファベットを書かせたのが良くなかったのかな?(こういうふうに、自分のせいだと思いがちなところが私の自己中心性である) このままもう会えないのかな?
その週の木曜日、事情は後述するが、私たちはいつもの授業に出席せず、終わる頃に教室の前に行った。授業が終わったら、生徒が教室から外に出てきた。その中にアイの姿もあった。良かった良かった、やめたわけじゃなかったんだ。
さて、10月になったら、アイは勉強することを覚えるでしょうか。気になるから、ちゃんと教室に来て欲しい。