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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか35】最初の一週間(7)初めてのおつかい

 何しろ円が弱すぎて、「円で払うのは勿体ない!」と娘が主張し、私の送金口座に婿がユーロを送ってくれた。日常の買い物などに使うようにと。

 私の実家は左官屋で、特別お金持ちではないけれど、名古屋の下町の、周囲に比べたら十分に余裕がある生活だった(それは私が年の離れた末っ子で、両親が苦労していた時代を知らないからということもある)。地方公務員の夫婦として、子どもたちにも贅沢はさせてやれないながらも、一定以上の生活はさせてやったと思う。私も子どもたちも中学から私学に通って、大学は地元から離れた。
 しかし、何しろ、渋ちんなのである。私も娘も。大学から独り暮らし、というので、家計管理に敏感になったというのはあると思う。無駄な金を使うことが、できないのだ。節約できるものなら、したいのだ。歩けるところは、歩くのだ。経済力の問題ではない。旅行も飲み会も映画も展覧会も積極的に行く。最早、体質の問題だ。きっと、倹約家DNAが私から娘に遺伝したのだ。働いていたときにも印刷室の紙などをケチるので、周りから「先生って、本当に締まり屋だねえ」と言われたことがある。褒め言葉だと思っておくことにした。

 そんな体質の人間が物価破壊の日本に慣れて、この円安の中、こっち来てから買い物に行っていちいちユーロを円に換算しようもんならあなた、もう、びびっちゃって、何も買えない。ビール一杯飲めない。円に換算しちゃダメ。

 娘夫婦が日常の食材を買うのは、歩いて10分ぐらいのところにあるドイツ系格安スーパーだ。もっと近くに他のスーパーもあるが、そこは素通りする。高いから。外食もめったにしない。婿は昼食のために毎日帰ってくる。何しろ彼のオフィスは通りを挟んで向かいのビルなので。多分、夫婦の収入の割にはなかなかに倹約的な生活である。これは、私向きだ。

 その結果、「円で払うのは勿体ない」という娘の主張に戻る。確かに。私は甘んじて、婿からのユーロを送金口座に受け取った。日常の買い物はこれで済ませよう。
 その金で、初めてのおつかいに行く。いや、散歩の途中で、例の安売りスーパーに寄っただけなんですけど。自分のためにおやつが欲しかったのと、チョコレート好きの婿のためにチョコレートと。セルフレジで、きっとこれが「マイバッグを持っています」だな、これが「会計」だなと、娘がやっていたのを思い出しながら進めて、ユーロを入れてもらったカードで無事に会計終了。レシートを持って外に出る。レシートのバーコードをかざさないと、外には出られない仕組みになっている。
 外に出て、初めてのおつかいできたー!と思っていたら、娘からのLINEに気づく。ちょっと前に、「スーパーに寄るけど、何か買うものある?」と送ったのに対する返信だ。遅いよ。まあ、戻るけど。にんじん、玉ねぎ、鶏もも肉を買ってこいと。はいはい。カゴはなくて、たくさん買うときは、カートに直接入れるか、自分のカバンに入れるか。少しだから、抱えていこう。再び買い物を始めたら、いきなりエマージェンシー的なサイレンが聞こえて、そのあと、放送が入った。最後の「メルシー」以外、全く分からない。でも、周りの客が落ち着いているから、避難が必要とかではなさそうだ。
 レジに近づいて分かった。セルフレジのコーナーが閉鎖されている。何かトラブルがあったんですね。仕方ないから、有人のレジに並ぶ。ベルトコンベアに自分の買い物を並べて、レジの人がバーコードを読んで、自分で下流に回って袋詰め&支払いをする。このやり方は、マルタ島でも一緒だった。レジのお姉さんはちょー無愛想だけど、「ぼんじゅーる」には「ボンジュール」と返してくれる。ふー、やっとミッション・コンプリート。

 お店の人に金額を言われて、現金を財布から出す、という方式だとしたら、絶対に聞き取れない自信がある。そうしたら、きっと毎回大きなお札を出して、お釣りをもらっていただろう。その結果、財布がコインでぱんぱんになっただろう。私の母の晩年のように。本当に、今はカードがあって便利だなあ。でも、和式トイレがなくなって鍛えられない筋肉ができたように、お釣りを考えてお金を出すという経験がなくなると、脳のどこかが鍛えられなくなってしまうのだろうか。

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