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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか69】生後まもなく(11)私の頃は

 孫の守りをするにあたって事前に意識したことが二つある。一つは、主導権、決定権は娘夫婦にあることを絶対に忘れないこと、もう一つは、今どきのやり方を尊重することだ。どちらも、当たり前っちゃ当たり前のことである。自分のやり方を押しつけるばあさんなんて、老害以外の何物でもない(今、「老害」という言葉が普通に漢字変換されたことに、少し衝撃を受けている。普通の言葉だったのか)。

 子育ての常識は、どんどんアップデートされていく。母乳の与え方や抱っこの仕方、離乳食の進め方など、昔の知識では通用しない。聞かれれば分かる範囲で答えてやるけど、そもそも三十年前のことなんざ忘れた。しょうがないじゃないの、新生児を抱えてからこっち、悪魔の2歳児から始まって思春期やら大学入試やら、ブリザードの中を前のめりで進むような毎日が二十年続いたんですもの、そのときそのときに必死なばっかりだったわよ。

 1993年に娘を産んだとき、母子カプセルがしんどくて、パソコン通信を始めたことがある。いわゆるママ友的なコミュニティーに参加をしてみたが、そういう場所でもマウントの取り合いみたいなことがあって、嫌になってすぐに止めてしまった。
 二人目の子どもを産んだのは95年、いわゆるインターネット元年だ。私の子育てはインターネット黎明期、スマホなんて影も形もなかった。保育園からの連絡を受けるために携帯電話を買ったのが、90年代の後半だったと思う。

 ねんねの赤ちゃんでは公園で遊ぶこともできない。おかげで母子カプセル状態に陥った。今だったら、きっと私も市役所などへ行って、子育て支援の情報を探したりすると思う(三十年前の地方都市で、どれほど充実していたかは不明)。当時は、そんなことも頭が回らなかった。
 二人目を産む直前に今住んでいるところへ引っ越したのだが、そこは児童センターが小学校区に一つあって、ねんねの赤ちゃんから未就園児、未就学児、小学生まで、集まって遊ばせることができた。そのときに知り合ったママ友とは、今もやりとりが続いている。ほんと、あの環境はありがたかった。

 あの頃、インターネットがあったら、どうだっただろう。きっと、はまっていたと思う。子育て情報をあれこれググって、きっと一喜一憂していた。
 「いえでん」しかなかった時代には、赤ちゃんのいる家庭に電話するにも、今、寝かしつけ中だったらどうしようとか考えてしまって、連絡が難しかった。赤ん坊を抱えて、大人と話したいと思っても、大した用事もないのに忙しく働いている人の邪魔をするのは憚られた。
 もし職場の友人とも気楽に連絡が取り合えたなら、社会から切り離された感触に苦しむことももっと少なかったかもしれない。或いは逆に、周りの活躍に焦ったりした危険性もあるのか。少なくとも、友人からのLINEを読んだり返信したりできてたら、夜中の授乳時の孤独感はだいぶ違ったはずだ。

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