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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか76】8月(2)婿との摩擦②
婿と私、お互いへの不満に加えて、コミュニケーションの問題がある。
そもそも、私が全くフランス語ができないのがアカンのである。一方、婿の日本語は、私が知る非ネイティブの中では上級も上級であるが、それでも勿論、限界はある。婿と娘は日常的には日本語で、込み入った内容になると英語で会話している。
そして、娘と私は早口の上、言葉数も多い。私たちは多分、平均的な日本人よりも語彙が多いと自負している。更に、親子でもあるから、暗黙の了解で分かる、言葉にすることの前提になる部分も共有しており、それは婿からは見えない。婿にしてみれば、聞くだけで精一杯で、口出ししづらいということもあるだろう。自分の家の中なのに、ネイティブ・ランゲージじゃない言葉が満ちあふれているというのは、そりゃストレスだよね。
更に文化の違いなのか、個人差の範疇なのか、コミュニケーションのスタイルの問題もある。
一例を挙げると、婿がゴミ捨てとか何かしらの家事をやってくれるのを見たとき、私はつい「あ、ごめん、ありがとう」と言ってしまう。だいたいが、「やってくれる」と書いた時点で、「本来は私の仕事なのに」という意識がにじみ出ている。この「ごめん」に、婿はイラッとする。ありがとうだけでいいじゃないか、なんで日本人はすぐに「ごめん」って言うんだ、僕が家事をやるのは当たり前じゃないのか、と思うのだ。
この、「日本人のごめん」問題は、今までに婿と娘の間でもしばしばギスギスの種になってきたらしい。
もう一つの例は、手伝いを申し出るときだ。私が掃除や洗濯をしているときに、婿が「やろうか」或いは「やれるよ」と声を掛けてくれることがあった。私には、こんなことは私ができることだから、あなたはべべさんのケアに集中して、という気持ちがある。そこで「いいよいいよ、私がやっちゃうから」と返事する。
さて、ここで質問1。あなたなら、この私の言葉に対してどう答えますか?
1.いいよー、私もちょうど手が空いてるから、私がやるよー
2.一緒にやれば早いじゃん、私がこっちやるね
3.分かった
4.なんでそういうこと言うの?
次に質問2。相手の前問の答えが1か2だった場合、それを聞いたあなたはどう答えますか?
1.ありがとう。じゃあ、これをお願いできる?
2.いいっていいって、ほんとに大丈夫だから
3.いいって言ってんだろうが、わかんねーやつだな
4.人がやってることに手出ししないでくれる?
更に質問3。あなたが「いいよいいよ、私がやっちゃうから」と言った立場だとして、相手の質問1の答えとしてどれを期待しますか。
日本人なら、とは言わないけど、私なら、質問1の答えが2で、質問2の答えが1だ。そして、質問3の答えは、1か2だ。ここに私の甘えがある。こっちが手伝いを断ったとしても、もう一歩粘って手伝いを申し出てくれると嬉しいな、そしたら申し出に乗るんだけどな、という甘えである。自分が口に出していないくせに、本当は助けて欲しいという気持ちを察して欲しいという、卑怯な甘えである。ほんと、こういうとこだぞ、全然成長してないの。
婿の場合は、質問1の答えが3で、そこで話が終わる。婿からすると、私の最初の「いいよいいよ、私がやるから」が、自分の申し出(=主体性)に対する拒絶で、それはもう、そこで終わってしまう話らしい(というのは、後に話し合いで理解できた)。私の甘えは満たされない。
こうして、お互い、相手の言葉に対して、「え? その返し?」という気持ちが残っていく。