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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか61】生後まもなく(3)授乳

 娘が出産したのは公立の総合病院だったが、本気の母乳指導で有名なところらしい。全て個室、産後すぐから母子同室、入院中は授乳のたびに真夜中でも助産師さんを部屋に呼んで、ご指導いただく。
 幸い、娘は今のところ、母乳だけで足りているようだ。授乳中は身体が熱くなるということで、日本から持ってきた首を冷やす冷却リングが思いがけず、ここで活躍する。

 今、私はついうっかり、余り考えずに「幸い」と書いたけれど、母乳が出ているおかげでいろいろ楽ちん、ラッキーということはあるが、母乳が出ないからといって、不幸なわけはない。そんなこと、当たり前だ。私自身の子育てのときは母乳の出がよろしくなかったので、二人とも粉ミルクを併用したけれども、それで何の問題もなかった。小学生の学業成績や運動能力の善し悪しを「あの子は母乳/粉ミルクだから」とかいって論評することなど聞いたこともない。母乳だろうが粉ミルクだろうが、それで長い目で見た将来に影響などない。

 世の中には、お母さん或いは赤ちゃんの身体的な条件などにより、母乳育児ができない人もいる。母乳礼賛の風潮は、新米のお母さんにプレッシャーを掛けるだけでなく、母親業を無駄に神聖視する、女性の役割、価値を、子どもを産み育てることに限定する、そういう危険性、極端な話、ナチス・ドイツの女性観につながる危険性さえはらんでいると思う。
 娘も「どうしても母乳にこだわるわけじゃない」ということは繰り返し口にしていた。実際、粉ミルク(或いは今どきだと液状のミルクか?)を使うなら、婿でも私でも授乳できるというメリットがある。栄養面でも十分に考えられているだろう。
 一方で、お湯を沸かしてミルクを溶かして、終わったら哺乳瓶を消毒して、という手間暇のことを思うと、そりゃ母乳の方が楽な面もあるよね、経済的だし(実際には、今どきの或いはフランスの粉ミルクはお湯は必要ないと、後に知った)。

 ただ、母乳育児で難しいのは、本当にこれで私の母乳は十分出ているのか、この子はちゃんと飲めているのか、それが可視化されにくく、新米のお母さんが不安に感じやすい、という点だろう。哺乳瓶でミルクを与えれば、少なくとも、どれだけ飲んだかは分かるのに。それで足りているのかどうかは分からないにしてもさ。
 先述の通り、娘が出産した病院では助産師さんがお母さんたちの指導、相談にあたってくれていたが、大勢いる助産師さんの、人によって言うことが違ったりして、混乱するところもあった。これは、ネット上の情報にも通じる話で、結局のところ、こちらが与えられた情報を取捨選択するしかない。

 しかし、ここが問題で、通常のときなら冷静な判断ができる人であっても、産後すぐの、ホルモンバランスだだ乱れの、身体はあちこち痛いわ、寝不足でメンタルもヤバいわ、という状態で、そんな、冷静な判断とか、無茶いっちゃいけませんよ。ましてや、目の前に、自分がしっかりしてないと死ぬんじゃないかしら、この人は、という、頼りなげなか細い生き物がふげふげと泣いていれば、頭の中が絶賛大混乱にも陥るというものだ。弱っているのにつけ込んだ、貧困ビジネスならぬ、母乳ビジネスなんていうのも成立しかねない。

 娘の場合は本人の学習姿勢と努力も然りながら、病院にいるときも、退院してからも、助産師さんたちの具体的なアドバイスに支えられ、体重を量ってもらっては安心できたおかげで、最初の数週間、母乳育児を軌道に乗せることができた。娘を見ていて、私はここまでちゃんと考えて努力することができなかったな、と反省する部分もある。

 30年前も母乳育児についていろいろな本が出され、専門家もいたけど、お母さん自身の体験談などは、今みたいに発信されていなかったはずだ。発信する媒体がなかったから(せいぜいが「パソコン通信」だ)。
 情報の多寡については善し悪しあるが、少なくとも、当事者じゃない人(子育てを人任せにしたおっさんとか)による精神論は要らない。

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