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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか10】ビザ取得大作戦(8)4月1日フランス大使館にて

 早く到着したので、私より前に呼ばれる人たちを観察できる。大学生とおぼしきお嬢さんとそのお母さんのペアは、お嬢さんの留学ビザを申し込むのかな。お嬢さんは建物に入る前にも一緒になったけど、ずっと不機嫌。書類に不備があったみたいで、お嬢さんがお母さんに怒ってる。田舎から出てきましたって感じのお母さんがオドオドしてて気の毒だ。他にも、ビジネスマンぽい人が5歳ぐらいの息子を連れていたり、フランス国籍なのかもの黒人さんは大学生かな? いろんな人が来ているけど、明らかに私が最年長だわね。
 ブースのお姉さんたちは、いったい何か国語を操っておられるのか。人によってはあっさり、人によってはこってり、一人ずつ捌かれていく。頭の中で、ドナドナが流れる。あーるーはれたーひーるーさがりー…かーわいそーなこーうーしー、うられてゆーくーよー。まあ、この仔牛は還暦だがな。脂がのってて美味しいかもしれん、或いはエイジドビーフか。落ち着いて本も読めないおかげで、頭の中が不毛すぎる。

 狭いスペースなのと、ブースにいる係員のお姉さんたちがマイクを使っているので、他の人たちとの会話が聞こえてしまう。「この書類をコンビニでコピーしてきてください」とか「そこの店でレターパックを買ってきてください」とか言われているのを聞くたびに、自分の荷物を確認する。コピーよーし、レターパックよーし。手数料16,124円、お釣りのないように用意したー。指差し確認は大事。こういうところが小心なのよ。
 待ってる時間、とんでもなくドキドキしてきた。1か月前の卒業式でクラスの生徒の名前を一人ずつ呼んだ、あれよりもずっと緊張してるな、私、と思った。まあね、卒業式の呼名は初めてじゃなかったからね。フランス大使館、というか、大使館というところ自体、学生の時に一回、南アフリカ共和国の領事館に行ったきりだからね。

 30分ぐらい待って、遂に名前が呼ばれた。一番右のブースだ。書類やらパスポートやらをカバンからごそごそ出す。お姉さんとの間にはアクリル板みたいな透明の仕切りがある。アクリル板の下、カウンターの上に、真ん中がくぼんでいる板があって、このくぼみに書類を置くと、板の向こうのお姉さんに渡せる。大昔の銀行みたい、と思った。

 「今回はどういったビザが必要ですかー?」
 「あ、えっと、ファミリーステイビザっていうのだと思うんですけど…」
 「そういうビザは、今はありませーん。ビジタービザになりますねー」
お!? のっけから、かまされましたわ。
 「は、はい…、それじゃ、それでいいです…」
 「だったら、これでは足りない書類がありますねー」
ひょえー、もっかいアポ取って東京まで来いってか?
 「フランス渡航の理由は何ですか-?」
 「えっと、娘が7月に出産を予定していて、それで手伝いに行きたいと思いまして」
 「では、その内容を含めたMotivation Letterが必要になります。こちら、pdfにしてファイル添付してメールで送ってくださーい」
あ、メールでいいんだ。あれ?じゃあなんで今日、ここまで来たんだ?
 「フランスでの滞在先は、娘さんのおうちですか-?」
 「あ、はい、そこに電気の契約の書類があると思いますが、そのアパートメントです」
 「こちらのお住まいは、持ち家ですか、賃貸ですか-?」
 「賃貸です」
 「それでは、賃貸契約書もつけてくださーい」
 「わ、わかりました。2つ書類を送ればいい、ということですね。それはいつまでに提出する必要がありますか?」
 「提出されないと審査が始まりませーん」
つまり、こっちは困らないよ、困るのはあんただよ、ということね。
 「滞在はどのくらいの期間を予定していますか-?」
 「一年のつもりです」
 「それでは、この残高では足りませーん」
 「あ、その下にもう一枚あります!!」
やっぱ、金額がでかい証券会社の残高証明を上にするべきだったか。
 「それでは、こちらがメールを送っていただくアドレスになりまーす。隣の窓口に行ってくださーい」
 「ありがとうございました…(漂う、すごすご感。なんだろう、この敗北感ってか違和感)」

 隣のブースに行って、今日来た理由が分かった。指紋と顔写真を採られたのだ。なるほどー。だから、一回は「必ず本人が」自分の身体をここまで持ってこないといけないわけだ。
 2番目のブースのお姉さんは、目を合わせて笑ってくれた。それで気づいた。さっきのお姉さんは、目を合わせてくれなかったんだ。それが違和感の正体だ。笑顔がないこと以上に、それが結構大きいんだな。

 ふらふらと大使館を後にする。まず、娘夫婦に連絡した。「ビザの種類が違うって言われたぞ」と伝えたら、婿の返事は「さすがフランスのadministration。いつもサプライズあります」。あんたの国やて。
 賃貸契約書、Motivation Letterとも、婿が用意してくれるとのこと。ありがたや。一仕事終えて、ここから2泊、無職になりたてほやほやのお義母さんは東京でお上りさんを楽しむよ。まずは友だちと待ち合わせて神保町でビール。昼ビールって最高ね。

 地元では上映期間が短くて見損なった映画を見、美術館に足を運び、正しいお上りさんとして東京タワーにも登り、中学以来の友だちと集まり、東京生活を満喫する。明日は帰るという夜、カプセルホテルでごろごろしていたら、37年ぶりの友だちからのメールが来た。急遽、翌日、会えることになった。彼女の勤め先の大学を案内してもらった。その日が大学の入学式で、初々しい学生たちと嬉しそうな親たちの姿が微笑ましかった。あんな頃もあったよね、なんて。

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