【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか68】生後まもなく(10)婿の産休
婿は、ベンチャー企業でITエンジニアとして働いている。福利厚生に力を入れている会社らしく、社会保障でカバーされない部分(助産師さんの自宅訪問の回数オーバーの分とか)の相当程度が会社の福利制度でカバーされている。社内の人間関係も良さそうだ。同僚の皆さんから出産のお祝いをいただいた。
べべさんが生まれて、当然のように婿は産休を取った。最大で8月下旬まで取れる。加えて育休をもっと長く取れるのだが、その間の金銭的保障は極めて限定的だそうだ。
日本で育児・介護休業法が成立したのは1991年で、私が初めて出産した93年には、既に男性も育児休業を取ることは可能だった。しかし、当時は育休中に労働保険からの給付がなかった。育児休業を取るということは、収入がゼロになるということを意味した。そのため、夫の方が9つ年上の我が家では、給料が安い私が育休を取った。
その当時に比べたら、日本の育児休業制度は大きく進歩し、充実したものになっている。ところが、その運用実態を見ると、未だに男性の育休取得率は極端に低い。マタハラだの子持ち様だの、出産や育児を歓迎しない、揶揄する言葉が生まれ続ける、そういう社会で子育てしたいと誰が思うだろう。
話を戻して、婿。産休中の婿。実にべたべたにお父さんをやっている。「自分の子が世界で一番可愛いとか言ってるの、馬鹿みたいって思ってたけど、やっと分かった、うちの子が世界で一番可愛い」だそうです。健気なくらい、娘の要求を全て叶えようと一生懸命だ。まあ、それは前からそうだったか。大変真面目な人で、搾乳機の消毒とか、べべさんの臍の緒のケアとか、それはもう丁寧で慎重だ。娘と私がおおざっぱに過ぎるのかもしれないが。
婿は、言葉で人を動かすタイプではない。理屈が正しければ言葉なんてどうでもいい、誰でも理屈の正しさは理解できるはずで、理解したら誰でも正しい理屈に従うはずだ、ぐらいに思ってるかもしれない。そして、理屈抜きで、言葉ではなく態度で(サザン?)、そして行動で、妊娠中も、出産時も、娘を支えてくれていた。現在は育児と妻のケアに全ぶっ込みである。
その婿が育児のために休みを取るにあたって、「休めるなんていいなあ」みたいな反応をした人が周りにいたのだそうだ。実際に育児を自分のこととして取り組んだことがない人の発言だろう。婿は、「産休を取ってみたら、もう全然、これは『休み』じゃない。仕事よりもよっぽど大変」と言っている。日本では、総理大臣が『育休中にリスキリング』できるやろとか抜かしたんだよ、と教えたら、「無理無理、あり得ない」と笑っていた。
うちは、大人三人でべべさんを見ている。出産後、娘はずっと、「これ、ワンオペでやってる人って、凄い…。病んでも当然」と言っている。そのたびに「母を尊敬するのじゃ」と返している。私は諸般の事情でほぼワンオペだったから。
夜泣きで眠れなかった娘から朝、べべさんを受け取り、娘を眠らせている間に寝ないでぐずるべべさん(はい、ここで今までに無数の親が口にしたであろう台詞をご一緒に。「眠ければ寝ればいいと思うよ!」)をあやしながら、自分の朝食、諸々の家事。私は婿と二人だし、2時間もしたら娘が授乳のために起きてくると分かっているから、全然平気。でも、これが母親一人だったら、そりゃもう大変だ。
大人三人中の二人が異国人であるというハンディキャップはあるものの、全員が健康で、経済面での不安もなくて、特に難しい条件でもない子どもを育てることができるというのは、ありがたいことだ。もっと大変な人に、しっかり公助が届きますように。育児休業の制度があっても運用がダメダメ、社会の理解が追いついていないでは、お母さんがしんどすぎる。