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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか79】8月(5)婿との摩擦⑤
バルセロナ行きのバスの中で、婿宛に手紙を書いた。英語にした。お互いの第一言語じゃない方が公正な気がして、冷静に、伝わりやすい文章が書けるかと思ったからだ。
手出ししすぎてごめんなさい。私はあなたを助けるつもりだったけど、あなたの気持ちを考えてなくて、一方的で、押しつけがましかったね。この一年が過ぎたら、私は娘とべべさんに頻繁に会うことはできないでしょう。でも、あなたにとっても、毎日毎日が新しい家族として暮らす、二度と来ない貴重な日々だということを、私は理解していなかったと思う。できるものなら、娘とべべさんと一緒に過ごすことを許してもらえますか、難しければ別にホテルなどを取ることも考えています、などなど。A4で1ページを超えてもた。娘に送信し、娘が読んでから婿に転送した。
娘から、婿が私の手紙を読んで、ここまで考えさせてしまって申し訳ない、これから気持ちを溜めずにちゃんとコミュニケーション取る、きっと良い方向に行くと思う、と言っているとLINEがあった。良い方向に行くと思う、その言葉で十分だ。本当に気持ちが軽くなった。
日曜日の昼頃、婿自身から手紙を読んだとLINEがあった。先日の行動は大人げなかった、申し訳ない、という謝罪が最初にあった。自分は感情を溜め込んで爆発させてしまうタイプで、コミュニケーションを取るのも得意ではない。そのことが分かって、これから努力して改善しようと思う、勿論、娘と孫のそばにいたいというのは理解できるし、今まで通りで良い、という内容だった。
ほっとして、涙が出そうで、イカ墨パエリアとビールの味が一気に変わった(飲み食いしながら読んだんかい! だって、お昼どきだったんですもの、食べてるところにLINE来たんですもの)。甘いものが好きな婿のために、バルセロナの伝統的なお菓子、トゥロンを山ほど買って、帰りのバスに乗り込んだ。
日曜日の夜遅くに家に戻った。月曜日、婿と話し合った。このときは日本語だった。娘が時折、助け船を出してくれる中、真摯で率直な話し合いができたと思う。
私からは、婿のペースを尊重すること、婿から仕事を奪いすぎないことを申し出た。自分の考えで、よかれと思って行動してしまうことが、婿の気持ちを無視していることになると、分かったから。
考えてみたら、これって、自分が姑にやられて嫌だったことだな、と後で思った。姑は自分の刺身の醤油に味の素を入れる人で、自分の息子=私の夫には入れるかどうか聞くくせに(そして夫は頑として断っていた)、私には聞かないでぱっぱと味の素を振ってくれる人だったのだ。事ほど左様に、自分の基準、自分の思いが全ての人だった(過去形にしたが、まだ存命である。「まだ」に棘があるな)。
大島弓子も猫の漫画で言っているように、「『あんたのために』という言葉は常に美しくない」。
婿からは、親として責任のある行動を取ること、もっと家事や育児の役割を自分から積極的に果たしていくこと、不満を溜め込まないように言葉にすることなどが語られた。
お互いに、日仏の文化の違いだとか今まで思ってきたことだとか、和やかな空気の中でいろいろな話をした。最後は、「雨降って地固まる」という日本の諺が、英語ではAfter a storm comes a calm、フランス語ではAprès la pluie, le beau temps(雨の後には良い天気)というんだ、みんな一緒だねえ、と笑い合うことができた。
で、これでめでたしめでたし、と思うじゃないですか。次は第二ラウンド、私が壊れました。