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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか85】8月(11)乳腺炎③

 全身麻酔の手術を受け、一晩の入院から娘が帰宅した後、毎日、朝と午後、近所のクリニックから看護師さんが家に来て、ガーゼ交換をしてくれる。ガーゼ交換の前にはシャワーを使って身体を温めておくようにと言われたので、新たなルーティンとして一日二回のシャワーが加わった。
 朝のシャワーは、産休明けの婿が出勤の準備をする時間帯で、私が夜中の疲れから起きられなかったりすると、娘がシャワーを使っている間、婿が自分の支度と並行してべべさんのケアをしなければならない(だから起きろよ、私)。ただ、婿の勤務先は大変ホワイトで、娘の病院にアテンドするなどの必要があるときは、100%休むことができる。オフィスは歩いて2分だし、本当にありがたい。
 勿論、制度としては多くの日本企業が、育休だけでなく、年次有給休暇は勿論、家族看護、介護のための休暇を設けているだろう。しかし、制度があっても職場の理解が追いついていなくて利用しづらければ、何の役にも立たない。
 業種によっては、急に休みを取ることが実際には難しいということはあるだろう。私も自分の授業の代わりができる人はいないと自負していた(コロナに罹ったときには、動画を配信した)。それでも、敢えて言うけど、大人の世界のことは、何とかなるのよ。一人の人間が欠けて何ともならない、一日も回らない、持たせられないのだったら、それは組織としてダメだと思う。

手術前の痛みのことを思えば、娘のQOLは向上したように思う。やはりしばらくは、いろいろ考えてしまい、涙がにじむこともあった。それでも、建設的に、前を向いて進んでいこうとできるのは、ひとえにべべさんの存在そのものが支えになっているのだと思う。そりゃそうだよ、べべさん元気だし、ひとときも休むことなくお世話することが必要なんだし、泣いてる場合じゃないもの。

 手術の二日後、娘夫婦は病院に行き、お医者さんやsage-femmeと話をした。これからどういう可能性があるか、選択肢をいろいろ示され、一つずつ疑問に思っていたことを確認する時間が持てたようだ。
 ここからどうなるかは、まだわからない。なるようにしかならないとも思う。でも、いずれにせよ、全部が笑って話せることに変わっていくはずだ、いつか。だって、べべさん元気だもん。小さな身体ながら、今を生きるエネルギーの塊のようなべべさんに、大人たちが支えられている。

 娘が、「怪我の功名」といったことが一つある。今まで婿は、フランスではどこの夫婦も二人だけで子育てしてるんだから僕たちだってできるはずだ、という思いがあって、二人目のときには僕たちも育児に慣れて、お母さんの手伝いは要らないんじゃないか、と思っていたらしい(それを聞いて娘は、だから産後鬱になる人とかいるんじゃね? 絶対私の方が大変になるに決まってるじゃん!と思っていたとのこと)。

 が、子育ての中では予期しないトラブルが頻繁に起きる、ということを改めて実感したことで、余裕はあった方が良い、と、婿の認識が変化したらしい。
 手伝いを期待できる人がいたら、それは便利に使えばいい。そして、誰の手助けも望めない状態のお母さんも世界にはいっぱいいる。それでも生まれてきた子どもが守られるように、社会的な支援が充実してくれるといいと思う。

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