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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか88】9月(2)術後の娘

 乳腺炎の手術の後しばらくして、8月下旬からsage-femme(助産師さん)の指導により、授乳の後の搾乳がなくなった。これは大きい変化だった。
 今まで、授乳した後、15分間の搾乳タイムがあり、その間に婿や私がミルクを与えていたのだが、搾乳の必要がなくなったことで、娘の時間に余裕ができた。15分を1日8回やったら2時間だもん。24時間中2時間は人間じゃなくて牛。
 搾乳のための道具の準備や煮沸消毒もなくなったので、婿や私も楽になった(哺乳瓶の煮沸は5分だが、搾乳器の煮沸は10分。しかも鍋が小さくて、全部いっぺんに済まない)。時間に余裕ができるというのは大事なことだ。心身の健康、クオリティ・オブ・ライフに関わる。

 娘は手術後の回復も順調、というよりも順調すぎて、9月初めの診察では「信じられない」くらいの回復ぶりだと評価された。この調子だったら、ひょっとしたら左胸からの授乳が可能かもしれないとお医者さんに言われた。このドクターは手術のときにもう左胸からはダメ、ひょっとしたら右胸からもダメになるかも、と言った人だ。一緒にドクターの話を聞いていたsage-femmeが、「まあ、悲観的なことを言うのがあの人の仕事だからねえ」と後から言ったそうだ。

 朝と午後、ガーゼを交換しにやってくるナースも、日ごとに傷口が塞がっていくのに感心してくれた。なんなら朝と夕で治りが進行しているという。このガーゼ交換で必要な消耗品は、ナースから処方箋を受け取って、近所の薬局に行って、薬剤師さんに用意してもらう。薬局の存在感が非常に大きくて、街のあちこちに、緑の十字の看板が目立つ。

そのうち、ナースのガーゼ交換が朝だけになった。ただ、完全に傷が治らないことには、左胸からの授乳はしてはいけない。そこの見極めのために、ナースが毎日しっかり見てくれる。これはもう傷口が塞がったんじゃないかと思ったら、ナースに棒?を入れられて、中が埋まっていないからまだダメ、と言われたこともある。

 そして9月下旬、手術からちょうど一か月後、傷口が完全に塞がったことがお医者さんにも確認され、左胸からの授乳が可能になった。一度は、もう無理と言われたのに、ほんと、ここまでよく頑張ったよ。授乳のゴーサインが出たと聞いたときには、ちょっとうるっとした。

 とはいえ、今までずっと巨大なバンドエイドで押さえられていた左胸は、べべさんのお口には合わなくて、飲ませるのはちょっと大変だ。べべさんも頑張ってはいるが、搾乳器さんにも頑張ってもらうことになった。再びの牛生活。でも、べべさんと娘のwell-beingのためであれば、どうってことない。
 娘は搾乳で時間が取られる。復職したら今の頻度の搾乳は難しいかもしれない。そりゃ在宅勤務だけど。とはいえ、どんどん牛としての能力に磨きが掛かって(?)、今や、両胸を搾乳しながら、スマホの操作はおろか、食べ物を口に運ぶこともできるようになった。牛、いや、人間、必要なら能力が開発されるのである。

 ところで、搾乳って、日本ではそんなに一般的に行われてましたっけ? 私がめんどくさがってやってなかっただけかな? 欧米では日本よりも、あったりまえに行われているみたい。出産したとき、病院のsage-femmeに「直接母乳を吸わせる、人工ミルクを与える、搾乳したものを飲ませる」のどれがいいかと聞かれたそうだ。娘は、sage-femmeが出してくれた処方箋に基づいて、薬局で電動搾乳器をレンタルしている。

 10月中旬には復職するので、それに向けて、授乳の頻度や1回に掛かる時間、タイミングの計画性もいろいろ夫婦で相談して考えている。べべさんの生活リズムを整えておくことで、娘が仕事と授乳のタイミングを予定できるようにしたい。昼間、娘が仕事に集中できるように、私も頑張らないとね。
 それにしても、私は自分の子育てのときに、ここまでちゃんと考えてなかったな。テキトーで、そして思ったようにいかなくて、無駄に気持ちだけジタバタしてた。まあ、それでも二人の子どもが無事に社会人やってるから、よしとするか。

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