新しいデジタル生活のルール
下でルールの背景を書いていますが、先に要点だけまとめました。
1.スマホからSNSアプリを削除。使うSNSはデスクトップで
2.アプリの機能を他で置きかえ、スマホと一緒の時間を減らす
3.スマホ画面を白黒に
4.アプリの通知はオフにする
5.夕食後は小さなスクリーンはみない
全部合わせてもたった5つ。ほとんどがスマホに関連するものになりました
(私の新しいルールつくりの目的は「気分よく暮らしていくこと」です)
「かっこわるい」
サイエンスとか言っておきながら、いきなりこんな切り口ですみません。
私の便利な暮らし、このままでいいのか?は、10年以上前「かっこわるい」と思った経験から始まりました。
その頃は、ソフトウェアの営業として忙しく出張にあけくれる日々。ある金曜日の夕方、私はドイツの空港のラウンジで2つの別々のグループの間に座ることになりました。
一方は一緒に座ってはいるけど、メールを各自処理しているらしく、それぞれ狂ったようにノートパソコンのキーボードを叩いているビジネスマン、ウーマンのグループ。もう一方はゆったりと腰掛け、なにかおいしそうなものを飲みながら、楽しげに低い声で話している40代くらいの女性3人。
私自身もその時は血眼でメールを書いており、パソコンの画面からふと目を上げた瞬間に視野にはいったこの2組のグループの対比は強烈でした。
”オフィスの外で、必死でメール書くの、かっこわるいかも。私はこっちの、「チームゆったりさん」側に参加したい”
この時にそう思ってから、移動時はなるべくパソコンを使った仕事はしないことにしました。驚いたことに、それは自分で決めるだけよかった。なんだ、私が自分で決めて実行するだけでいいんだ?変革って思ったより簡単?
でも、そうこういっているうちに、スマートフォンがやってきて、仕事以外でも自分からすすんでこの小さなスクリーンを見つめるようになってしまいました。
デジタル・ジャンクカロリー
お酒が好きでも安いからといって毎日飲み放題にいく人はあまりいないと思います。でも私たちのスマホとの毎日は「デジタルコンテンツ浴び放題」。
食べすぎた時や飲みすぎた時、特にジャンクなものを体に取り入れすぎた時の影響は理解しやすいと思いますが、デジタルジャンクカロリーと「気分よく暮らしていく」ことの関連性はそれよりはちょっとわかりにくい。
(ここからは、主にスウェーデンの精神科医アンダース・ハンセンの著書を参照しています)
快感報酬系と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンは、新しい情報を求めるように私たちを促し、行動をとらせようとします。それは生き延びるために作られたメカニズム。
もともとは食べ物や周辺の脅威などに関する情報を積極的に探すことを促すためだったこの脳内のメカニズムが、SNSでのいいねや新規メッセージを求めて、ついついスマホに手が伸びる原因になっているようです。
好奇心が強い、旅行が好き、新しいことへの学習意欲が強いといった、私と同じような人ほど注意が必要かもしれません。これらの行動で得られていたドーパミンを、スマホは簡単にひっきりなしに与えてくれるのですから。
そしてこの報酬システムは、それが得られるかどうかわからない状況のときに一番快感を得られるという事実も抑えておくべきでしょう。私のツイッターがもしかしたらバズっているかも?少しだけなにか起こってないかチェックしよう! ついさっきチェックしたことも忘れて、またチェック。
平均的な人は起きている間中、10分に一回スマホを手に取るそうですが、これは、やめられなくなるカジノのスロットマシーンと同じ仕組み。SNSでの自分のアップに、いいねがつくのか?バズるのか? その不確実性が私たちをとりこにし、時間を奪っていきます。
そして頭に入れておく必要があるのは、これは偶然の産物などではなく、広告に支えられたSNSやYoutubeなどのサービスは、私たちの脳の報酬システムを極限まで理解した人たちが設計しているものだということ。私たちの時間とドーパミンを、広告費という莫大な収入と引き換えるためにに、チューニングされつくしたシステムなのです。
私たちがSNS上で使った時間 = SNSへの莫大な広告収入
スマホやSNSの使用を、自分の意思の力だけでコントロールしようとするのは限界があります。こっちは無防備な一ユーザー。相手は世界最高の知識と技術で、私たちのスマホの使用時間を増やすことを仕事とする専門家やエンジニア、さらにはそこに大金を投入している投資家たち。
このあたりの話に興味のある方はぜひTime Well Spentのトリスタン・ハリスや、Irresistibleのアダム・オルターの名前でも検索してみてください。
そして、ひっきりなしに新しい情報を求めることにより、脳は集中することができなくなります。
マルチタスキングと集中力問題
私の夫は集中力の達人。
彼は、普段の仕事とは別に、編・共著も含めてこれまでに10冊ほど本を書いていますが、執筆中は声をかけても返事もこないし、食事することさえ忘れてしまう。もちろん電話やメッセージの返事もかえってきません。パーティーなどで誰か他の人と会話している時も、私が話しかけても聞こえてないようです。
皮肉たっぷりにつけたアダ名が「集中力の達人」ですが、どうしてちょっと電話にでるとか「はい」のメッセージだけでも送れないのかと長年思っていました。5秒もかからないのに?
そんな私も、今は、注意残余(Attention Residue)が与える影響を理解して、以前よりイライラしなくなりました。
効率的に物事を運ぶつもりで、やっていることをほんの少し切り替えるだけでも、脳は行為と同じ速度での切り替えができず、眼の前のタスクに集中できなくなります。作業の合間に、ちょっとメールやLINEをチェックするだけでも、集中力が途切れるだけでなく脳が疲れ、疲労もたまっていきます。
この脳の動きを経験なり知識なりでわかっている私の夫のような人は、集中力を必要とする作業中は無駄なことをしません。
でも、集中力は落ちるのに、なぜ常に新しいことをチェックし最新の状況を確認してしまうのでしょうか? はい、そう、その行為はドーパミンがでるのでした! よってタスクをつぎつぎと切り替えていくスピード感のある働き方は、はっきりいって気持ちいいのです。
でも、集中力を必要とする仕事には向きません。そして集中力がなければ私のような凡人はたいしたことはできません。一日が終わっても、なんだか、とっ散らかった時間の使い方をした虚しさと共にベットへとむかうだけ。
集中力の低下は、作業の合間にスマホでちょっとチェックするといったタスクの切り替えによるもの以外にも、スマホが近くにあるだけでも起こるので、この点にも注意したいところです。
このように常に新しい情報を求め続けることにより、ひとつのことに集中できない原因をつくるスマホは、使用だけではなく、その存在だけでも集中力を妨げる。
新しいニュース、出来事を常にチェックすることはドーパミンを分泌させる魅力に満ちた行為だ。でも、スマホ中毒気味な自分にうんざりして、スマホをチェックしないと決めても、スマホを物理的にも意識的にもしめださないかぎりは、私たちはまだスマホにコントロールされたままだ。
スクリーンをみるという行為をとっていなくても、無意識下で、ドーパミンの報酬をえるためスマホをチェックしたい脳と、チェックしないと決めた意思がずっと戦い続ける状態になってしまう。常にスマホをチェックしたいという衝動を抑えるために、脳は働きつづける。
「デジタル・ディシプリン」より
150人というサイズとSNS
さて、有名なダンバーの研究は、霊長類の脳の大きさと平均的な群れの大きさの関連性から、私たち人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であろうと指摘しています。
私は2015年に会社員をやめフリーになった時まで、フェイスブックもインスタグラムもツイッターもやったことがありませんでした。毎日、仕事してご飯食べて寝るだけで精一杯で、SNSに使っている暇はないと思ってました。
ただ、フリーになってすぐ参加した起業家向けセミナーで各SNSのアカウントをつくって使いはじめた時に、インスタグラムは離れて暮らす家族に近況をシェアするにはいいと思い、すぐに母や姉にも始めるようにお願いしました。フェイスブックもやってみました。
これまで音信の途切れてた同級生のすばらしい活動を知ることができたり、興味深い人や会社と出会ったり、いいこともたくさんあるのですが、そういうものをクリックしていくとあっという間に時間がたってしまいます。
自分や家族の日常にもっと時間を使いたいと思っている時に、もう何年も会っていない人の週末旅行の写真に時間を使っているのは変ですよね?
SNSを使っているというよりは、SNSに使われはじめたようでした。
SNSとの関連で、他にも注意を払っておきたいのが脳の側坐核の働きです。私たちの脳の側坐核と呼ばれる部位は、快感、嗜好、恐怖などに重要な役割を果たしています。食事やセックスといった多彩な報酬システムとも関連しています。
私たち人間は、グループの一員として暮らすことで安全を確保してきた生き物です。そしてどうやら、自分の考えを明らかにし、それを他の人がどう評価するかを確認するという行為自体に、脳では報酬が与えられているらしいのです。人は、自分自身について話している時、この側坐核がビンビン反応しています。
この事実に照らし合わせると、SNSで自分の体験を書くことは、個人差はあるものの、多くの人にとって快感をもたらすものといえそうです。
でも、人と面と向かって話している時は、相手の表情や相づちに合わせて私たちは話し方や内容を変化させていきます。それが、SNSでは一方的に話すだけですから、ついつい対面では話さなかったようなことも書いてしまったり、目の前に3人いたら話さないようなことを、300人に向けて書いてしまったりする。これには注意が必要でしょう。
SNSに関してはあと一つ、自分でもあまり認めたくなかったけど気がついていたこともあります。人と比較することをやめられない結果、焦燥感にかられたり、気分が落ち込むこともあるようでした。
私たちは、所属するグループの中で自分がどのあたりにいるかを把握しながら生きてきました。それは長い長い年月の間、自身の生存確率に関わる重要な行為。
すべてにおいて優れてなくても、自分が勝ち残ることのできる分野を把握するために人との比較は重要です。しかし150人のグループの中では自分の居場所を見つけることができても、SNSでの比較の対象は無限大で常にどこかに自分より優れた人がいる。
そして、この、自分では積極的にするつもりがなくてもしてしまっているSNS上での人との比較が、気分の落ち込みを助長するという事実はきちんと理解しておきたいと思います。
決めれば簡単、シンプルなルール
さて、ここで冒頭にまとめたルールへ戻りましょう。
こうしてみてくると、私がやるべきことは意外とシンプルでした。
1.スマホからSNSアプリを削除。使うSNSはデスクトップで
家族との連絡用のLINEはスマホにも残し、それ以外のSNSアプリはスマホから削除しました。「SNS×スマホのドーパミンシャワー」に意思の力で勝てる見込みがないからです。
フェイスブックはつい先日、「未来はプライベート」として運営方法の大きな方向転換を発表しました。また広告の他の収入源(送金アプリの手数料など)を模索しているようです。ユーザーを意図的にアプリ漬けにしてきた責任と、ビジネス拡大の限界も感じているでしょうから、この先さらに大きな方向転換が起こる可能性もありますが、とりあえず自分でできることから。
2.アプリの機能を他で置きかえ、スマホと一緒の時間を減らす
今は、どこに行くにもスマホと一緒ですが、これは歩数計とカメラと音声コンテンツの再生機としてもスマホを使っているからでもあります。
集中力などの脳の働きはスマホが近くにあるだけでも妨げられるので、これらの機能を活動量計、カメラ、ipodなどに戻してみようと思います。
他に使っているアプリも、その機能、テクノロジー自体を諦める必要はないので、スマホで使うのが一番よい方法であればスマホで使い続ける。AllinOneで便利という理由だけでスマホで使っているのであれば、他のやり方に切り替えることにしました。
3.スマホ画面を白黒に
ドーパミンがあまりでないので、使う魅力にかけます。
4.アプリの通知はオフ
メールと、夫からのメッセンジャーとLINEの通知はオン、それ以外のアプリの通知はオフにしました。オンでも画面を白黒にしたら、通知があってもあまり気が付きませんがw。
5.夕食後は小さなスクリーンはみない
動画は何を見るか予め決めて、映画やドキュメンタリーや積極的にみたい番組は、夕食後も大型スクリーンや映画館で見るのはよしとしました。(そもそもそのために、スマホでの無駄な時間の使い方をコントロールしようと思ったのですから!)
デジタルで本を読む場合は夕食前までにして、寝室には夜は ”スクリーンもの” は持ち込んでいません。
動画のサブスクサービスに関しては、今ちょうどオーディオブックで聴いている『デジタル・ミニマリズム(Digital Minimalism)』にNetflixやYoutubeを見る時は、いつも誰かと一緒のソーシャルイベントにする、という賢いやりかたも紹介されていました。
私はNetflixは、エピソードを連続して観てしまい廃人化するか、何をみるか選ぶのに時間を費やす割には観ることに時間がとれてない、という自分のアホらしい使い方にあきれ、今は一旦やめてしまってます。
そのかわりに映画館の回数券を買って、またアート系の映画が月2本まで無料でみれる図書館のオンデマンドサービスも使いはじめました。
こうしてみると、デジタルとの付き合い方を変えて「もっと気分よく暮らす」のは、私の場合は結構シンプルで簡単なことのようです。
グローバルな運動で「かっこよさ」が戻る?
現代の思想や人間のあり方をリードする偉大な知性は、私がやっと決めることができた小手先のテクニックだけではなく、もっと先をみています。
この『サピエンス全史』『ホモ・デウス』のユヴァル・ノア・ハラリとの対談で、トリスタン・ハリスは気になることを私たちに問いかけていました。
いまぼくたちがとるべき行動は、人間的なテクノロジーを軸として、ここで取り上げたような問題について地球規模のムーヴメントにしていくことです。自分のスマホ画面をモノクロにするとか、たったひとりで議員に嘆願するとかではなく、グローバルな運動に参加するのです。
私は、毎日気分よく暮らしたい→自分が時間をかけたいことに集中してアウトプットしていきたい→時間と集中力を奪うものを排除したい→スマホとSNSの使い方をコントロールしたい→ルールを決めた、と、いうところまで来ることができました。
こんなふうに考えて行動を起こす人は、私以外にも毎日毎日世界中で増え続けていると思います。これがグローバルな運動、ムーブメントになる日も案外近いのかもしれません。
また、私はこれまで街中で、スマホの画面をみたり触ったりしている人をみて、その佇まいや仕草をかっこいいとかエレガントとか思ったことがありません(ましてや自分の様子を考えると恐ろしいばかり)。
ムーブメントがどういう形になるかはさておき、また街中にかっこいい人が増えてくるといいなと思います。
さて、新しい暮らしのルールでは、デジタル生活が落ち着いたら、次に食べることに進む予定ですが、その際には、今日ここで決めたルールをどう実施することができたかもご報告したいと思います。
ではまた近いうちに!Tack och Hejdå!
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