見出し画像

放てば手に満てり。

 道元禅師の言葉に、
「放てば手に満てり」がある。
「欲や執着を手放したとき、
大切なものが手に入る」という意味だ。
しかし我々は、手放すどころか、
さらにもっとつかもうとしてしまう。

どの時代の、どこの国の、
どの地位の人も「100%の幸せ」は、
つかんでいない。
だからこそ、人類は文化を発展させ
、智慧をつけてここまできた。

良きにつけ悪しきにつけ、
足りないという気持ちがあったからだ。それがなければ、人類は未だ
木の上に座り、
バナナを食べていたかもしれない。

その反面、いつも物足りないという気持ちがある。


 「苦しいときもあり、
幸せではないときもある」と思えたら、
人は意外と安定した人生が送れるものだ。

誰も苦しみの受け入れ方は
教えてはくれない。

幸せになれ、夢を追え、と言うが、
夢など見なくとも、
普通に現実を生きていくだけで
いいではないか。

いろはかるたに、「浅き夢見じ」という歌がある。

色は匂へど散りぬるを

我が世誰そ常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

仏教では夢を説いてはいない。
夢ではなく、現実を見ている姿こそ、
仏教の教えである。

ここにある現実を受け止め、
執着を捨て、ただ生きる。

あえて夢を見よとは説かないし、
求めもしない。

呼吸をし、水を飲み、ご飯を食べ、
夜は屋根のあるところで
寝ることができれば、
これ以上の幸福を求める必要は本来ない。

いいなと思ったら応援しよう!