いつまでも分かりたくない"悔しい"という気持ち
「悔しいね」
ふとした瞬間に思い出す、中学時代の先生の言葉
その先生は定年後も教員を続けている、おばあちゃんの先生で1年間ほど理科を教わった。おばあちゃんと言っても背筋がピンと張って、気品があり、バイタリティーに溢れている。指導はストイックで、怠けている生徒は容赦なく怒られていた。今思えば、僕らゆとり世代にとっては、やや堅苦しい先生だったのだと思う。
そんな先生が、ひらひらとスカーフをなびかせて、スクーターで出勤していた姿は忘れられない。ヘルメットをしっかり被り、規則正しくお堅い感じがどこか愛らしかった。
彼女は、たいそうな読書家で、よく読書の必要性を説いていた。他の先生と比べると期間は短く、思い出は少ないけれど、いつかの授業で話したこの言葉を、今でもなぜか鮮明に覚えている。
この歳になっても
まだまだ読めない本があるの
文字が読める
読めないの話ではなくてね
理解するための知識や背景を
知り得ないから読めないの
知識は積み上げていくもの
これまで何千冊も本を読んできたけれど
それでもまだ到達できないの、悔しいね
読めない本があるって、本当に悔しい
当時、中学3年生の私に、その台詞の重みは、到底理解できていなかったと思う。けれど、自分より何十年以上も長く生きている勤勉な先生が発した ”悔しい” という言葉は「時間は大切」という定型文より、よっぽど心に響くものがあった。
先日、とある方が言っていた。
自分の人生を生きてる人と、そうじゃない人、何が違って、そうなるのか。それは「人生が有限である」と、身を以って体験したか否かが大きいと。
まさにそうだと思う。
私には、そういった劇的な経験はないけれど、時折浮かぶ先生の話は日々忘れがちな大切なことをハッと思い出させてくれる。
今はもう80歳を超えてると思うけど、元気にしてるかな。
決して分かりたくはないけれど、僕も少しだけ、その悔しい気持ちが理解できるようになりました。
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