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間違えるのは悪いことだという思い込み

ミスや間違いを指摘されると烈火のごとく怒る人や、言い訳をしたり、絶対に認めない人がいる。
間違えることを極端に恐れているから。

子どものころの体験からの思い込み

ある日、勉強を教えている中学1年生の女の子からこう言われた。

「私、ダメなところとか悪いところを指摘されるの無理なんです。」

彼女は怒っていたように見えた。

何のことだろうと一瞬戸惑ったけれど、すぐに意味がわかった。
解答の間違いをチェックしたからだった。
つまり、解答に間違いがあることが許せないらしい。

「本当はわかっていたのに書き間違えただけです!」
そう言って急いで間違えた箇所を乱雑に消しゴムで消して書き直した。

きっと彼女は幼い頃から間違いを正され続けててきたのだろう。
解答のチェックは後回しにして彼女に伝えた。

「間違えることはダメなことなのかなあ。
 今、勉強してるところだからできなくてあたりまえ。
 間違えるのは悪いことじゃないよ。全然悪くない。
 大丈夫だよ、たくさん間違えても。」

彼女はまだ悔しそうな表情をしたままだったけれど、それからは間違えても怒りを見せることはなくなった。

いそういう子どもはたくさんいる。
怒りを見せる子、言い訳をする子、間違えるのが嫌でやらない子。

彼らはなぜ間違いを認めたくないのか。

幼い頃からの周囲の反応が大きく関わっている。
間違えた時に、指摘されて正しい答えのみを求められる。
または、笑われてバカにされる。
もしくは、正しく答えた子だけが褒められてかわいがられる、など。

周囲の大人はもちろん子どもたちを傷つけたいわけではない。
本人が困らないように正しいことを教えているだけだったり、間違いがかわいいと思って笑っただけだったりする。
それでも中には傷ついてしまう子がいる。

間違いは正す必要があるのか

では、間違いはいけないことなのか?
必ず正す必要があるのか?
恥ずかしいことなのか?

そんなことはない、ですよね。

間違いを指摘するにしても言い方がある。
たとえば足し算の答えを間違えた時にいきなり「違う!」とバツをつけられるのはやはり傷つく。
いったん「ああ、そう思ったんだ。」と受け入れ、「なぜその答えになったんだろうね。」と原因を探してから正しい考え方を引き出せばいい。

場合によっては何が正しいのか曖昧なことにも、型にはめた正しさを求めることがある。

幼稚園や学校で集団生活をするようになると、人と同じことをすることが正しいことになる。
自由気ままな行動は間違いで、厳しく指導され正されることになる。
先生に言われた通りにみんなと同じことをする子がいい子で、勝手に動く子は悪い子とされる。
実際に見た光景だが、少しでも列からはみ出すと蹴飛ばされる。

間違いは正さねばならぬ、正すことが正義だと信じているらしい。
その人も間違いを恐れる人なのだろうと思う。

そして自信と自由を失った大人になる

間違えることが恥ずかしいことだと思って恐れる人たちは、新しいことに挑戦をしたがらない。
間違い、つまり失敗を恐れるから。
いつも「自信がない」「うまくいくかわからない」「人から笑われる」と言って先に進もうとしない。
かといって現状に満足しているわけでもない。常に実力以下のことにしかチャレンジしないから。

大きな目標を持って、夢を抱いて誰かに笑われてもいいじゃない。
失敗したり、間違ったりしてもいいじゃない。
そんなことたいしたことじゃない。困ることなんかひとつもない。

別に立派な人生でなくてもいい。ささやかな生活でもいい。
ただ、こんなはずじゃなかったと、ぶつぶつ言いながら不満足な人生を送ることの方が恐ろしい、と私は思っている。

まずは育てる人、教える人が、間違えることはダメなこと、正しいことをしなければならないという思い込みを手放そう。

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