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「学力」とは「学ぼうとする力」

「学力」というと、
学力というと、学力調査テストなどのの結果で
自分がどのくらいのレベルか、
あるいは
学校、地域でどのくらいの位置にいるのか、
を客観的に見て決められるものです。

自分の知識や技能がどのくらいなのか
自分では分かりにくいけれど、
数値で見ることで習熟度合いがわかる便利さもあります。

数値が上がれば「学力が高い」とも解釈され
数値が高ければ評価が上がる。

テストの結果、成績で
学力が高いとか低いとか評価されるわけです。

そうなると、ズルをしても、一夜漬けでも、
テストの時にできていればOK!とも取れる。

それって、どうなんだろう。。。
と考えてしまいます。

「興味がない、好きではないけど、
とりあえず今頑張って数字さえ取れればいい」
「成績低いと恥ずかしい」
「今、頑張って勉強して学力つけないと
後になって困るらしい」
「結果さえ良ければいいんでしょ」
「親うるさいし、とりあえず成績さえ良ければいいや」

それに、私は違和感を感じるのです。

「興味がないけど、やらなきゃいけない。」
「成績悪いは悪。よろしくない。」
「いつどのように困るが分からないけど、きっとそう。」
「結果重視なら何してもいい?」

極端に言えば、そうとも取れます。


勉強って楽しいもののはず。
根性や我慢してするもの何か。
成績良いのが善で、悪いと悪なのか。
いつか困る、という漠然とした不安の妄想で勉強することが大事なのか。

「学力」とは「学ぼうとする力」
だと思うのです。

知りたい、わかりたい。
できるようになりたい。
どういうこと?
そういうことか!なるほど!

そういう好奇心、主体性こそが「学力」なんじゃないかと。

「学ぼうとする力」を大切にしたい。

「学び」は一生続くから。

「学ぶ」ということに
子どもたちは、どのくらい「楽しさ」や「価値」を感じているのだろう。
そういう意味で、今の子どもたちに「学力」はあるのか。


”人が学ぶとは何か
昨日、今日と生きてきた自分に
変化をもたらそうとすること
変わろうとすること
学べば変わることができると
信じること”

これは私の師匠の図師先生の言葉。

2020年の児童生徒の自殺の原因、動機の1位は
「進路に関する悩み」
次いで、「学業不信」だそうです。

「学ぶ」って何だろう?
「勉強する」意味や価値は何だろう?

本来なら
新しい自分にバージョンアップできる楽しい「学び」が
「数値化された学力評価」という言葉に変換されて
子どもたちを苦しめていないか。

親として先生として
これからも問い続けていきたい。







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