ショートショート:僕と彼女と軽トラック
大学1年の秋。
遂に手に入れた運転免許証。
遂にと言うのは別に何度も試験に落ちたからと言うわけではない。
僕の住む地域は、福岡の中でも群を抜いた田舎なのだ。
一軒家なのは嬉しい。
ただ、スーパーはおろかコンビニさえない。
あるのは海、山、田んぼ、そのくらいだ。
最寄駅だって、歩いて行こうものなら徒歩で2時間はかかる。
自転車でも30分だ。
そんなパスポートが必要なのかと思うほどの秘境に住む僕にとって、免許証を手に入れられた事は非常に大きい。
何より僕には今年の6月に出来た彼女がいる。
同じ大学の同級生だ。
その彼女と遂にドライブデートが出来る。
そう考えると、この免許証は僕にとってディズニーランドのチケット以上に価値があるものなのだ。
その日の夜、僕は父の帰りを今か今かと待っていた。
すると、ガチャリと鍵を開ける音が鳴り父が帰ってきた。
「ただいまー」
「お帰り親父!」
「珍しいな、お前が出迎えなんて。何か良い事でもあったんか?」
「これ見てや!」
僕は父に向かって堂々と免許証を見せつけた。
「おお、取れたんか」
思った以上にリアクションが薄い父に僕はがっくりきた。
「何でもうちょっと驚かんと?」
「取ったところでお前が運転する車はうちになかろーもん」
僕はぐぬぬと唸りながら顔を歪めた。
すると、急にニヤニヤしだす父。
こういう時の父は大体何か悪い事を考えている。
「何なんニヤニヤして」
僕はわざと聞いた。
「お前、彼女出来たやろ?」
「うん」
「ドライブするってなったら、車レンタルせないかんなぁ」
「まぁそうやな」
「毎回レンタルしよったら、手間も金もかかるなぁ」
「何が言いたいん?」
この時、僕は父が言おうとしている事がほとんど分かっていた。
しかし、ニヤつきそうな表情筋を押さえ込み、あえて何も分かっていないフリをした。
「お前のために車買っといた。中古で悪いけどな。今週の土曜日に納車されるけん、まぁ待っとき」
予想は大当たりだったがそれでも飛び上がるほど嬉しかった。
「親父ー!」
「分かった分かった、鬱陶しいけん離れろ」
抱きつく僕を面倒臭がるように言う父だが、してやったり顔で決して僕を引き離そうとはしなかった。
「ちなみに車種は?」
「驚け? ベンツや」
「マジで!」
「ただ、母さんには内緒やぞ」
「うん、分かった!」
僕と父は男同士の約束を交わし、2人してニヤニヤしながらリビングに戻った。
「なに2人ともニヤニヤしてんの?」
気味悪がりながらそう言う母をよそに、僕と父はにやけ顔のまま顔を合わせた。
来たる土曜日。
僕は前日にドキドキとワクワクで眠れず、結局昼過ぎに目が覚めた。
「おはよー」
「おう、やっと起きたか。来とるぞ」
「そうや!」
僕は慌てて駐車場へ出た。
その瞬間、僕は言葉を失った。
「ん?」
「どうした?」と父。
「ベンツ、どこ?」
「目の前にあるやん」
「いや、これ軽トラやん。」
「やけん、『田舎の』ベンツたい」
「はぁ?」
振り返ると父と母がニヤニヤしている。
僕は完全に嵌められたのである。
「いやーこないだの夜のお前の顔ときたら最高やったわ!」
と、1人で大笑いしている父。
その父を見て可哀想よと言う母もどこか笑って見えた。
その2人の様子を見て、僕は怒りと悲しさで感情がぐちゃぐちゃになり、ただただ涙が流れた。
「いや、これは、流石にあんまりやろ」
僕はエベレストのてっぺんからマリアナ海溝の底まで突き落とされた気分だった。
しかし、膝から崩れ落ちた僕を見て父は真剣に言った。
「馬鹿お前、車が手に入っただけでもありがたく思え。大体ベンツなんて学生が乗るもんやないやろ」
確かに、言われてみればそうだ。
文句を言える立場ではない。
移動だって楽になる。
ただ1つの問題を残しては。
「そうやな、車買ってくれてありがとう。でも、これでデートはなぁ」
「実はね、私とお父さんが初めてドライブしたのも軽トラだったとよ」
頭を抱える僕を見て母が言った。
「え、そうなん?」
「そうたい。軽トラのドライブば経験せんで結婚なんか出来んとよ」と、これは父。
「そうやったんか〜」
単純な僕は、その話を聞いて親子2世代で軽トラドライブを経ての結婚というストーリーはなかなか面白いなと思った。
思い立ったら即行動。
僕は、次の土曜日にドライブデートをしないかと彼女に連絡した。
返事は即OK。
当日は僕の地元を回る事にし、まだ運転が不安な僕は彼女に最寄駅まで来てもらうようにお願いした。
それからは地元のカフェや景色の良いスポットなど、調べに調べまくった。
迎えたデート当日。
僕は慣れない髪のセットで戸惑っていた。
1時間洗面所を独占し、やっとそれっぽくなった。
手荷物を準備した後、僕は黒のパンツに白のニット、それにキャメルのコートという軽トラに最も似合わないコーディネートに身を包んだ。
家を出て、中古の軽トラに乗り込む。
そこで1つのミスに気づいた。
「うわ、このにおい大丈夫か?」
中古ならではのにおいが狭い車内に漂っている。
僕は一旦家に戻り消臭スプレーを手に取ると、車内に吹きまくった。
「よし」
ようやく僕は鍵を捻り、エンジンをかけ、彼女の待つ駅へと向かった。
駅のロータリーに着くと、白を基調とした服装にマスタード色のスヌードを巻いた、こちらも軽トラックに全く似合わない格好の彼女が見えた。
僕は彼女の前で軽トラを停め、驚き顔の彼女に向かって気まずさ満載で言った。
「お、お待たせ」
こんなに格好のつかないお待たせは世界のどこを探しても見つからないだろう。
「車買ってもらったって聞いてはおったけど、軽トラやったん?」
「うん、言っとらんやったね。ごめん」
そう言って僕は目を伏せた。
「めっちゃ面白いやん」
「え?」
そう言う彼女の顔を見ると、目を爛々と輝かせていた。
「うち、軽トラに乗るの初めてなんよね!」
キャッキャとはしゃぐ彼女を見て、僕は安心した。
そして、同時にこの子が彼女で良かったと心底思った。
「よーし! じゃあ行こうか!」
そうして乗り込み景気良く出発しようとすると、アクセルの踏み込みが足りず、軽トラは見事にエンストした。
恥ずかしいやら情けないやら、僕は穴があったら入りたかった。
「ご、ごめん」
しかし、彼女はこれがエンストか〜なんて言ってエンストさえ楽しんでいる。
もう僕は絶対この子と結婚しようと思った。
それからのドライブは順調だった。
お互い先に昼食を済ませていた僕らは、まず初めに有名なカフェへ行った。
カフェの前まできたところで、入口から外にかけてかなりの行列が出来ているのが見えた。
「人多いな」
「その分美味しいって事だよ!」
ポジティブな彼女は嬉しそうに行列を眺めている。
駐車場に軽トラを停めると、列に並ぶお客さんの視線が痛いほど突き刺さる。
業者が来たのかと思わせて降りてきたのは若い男女。
それはそれはびっくりするだろう。
「やっぱり目立つな〜」
「この人気者!」
「それとはちょっと違うと思うけど…」
そうして何気ない会話をしていると、1時間ほど待ってようやく店員さんが中へ案内してくれた。
最初は長く待つのが億劫だと思ったが、彼女と話していると1時間なんて時間はあっという間に過ぎた。
「う〜ん美味しい!」
「待った甲斐があったね」
「本当!それにうち達ツイとるね!」
カフェの1番人気である100食限定の季節のパフェは、僕らの注文で丁度売り切れとなったのだ。
やはりこれも、ポジティブな彼女が運を引き寄せたのだろう。
偶然だと言われてしまえばそれまでだが、僕にはそう思えてならなかった。
カフェを出た僕らは再度軽トラに乗り込んだ。
それからは、綺麗な景色が見える山へ登ったり、紅葉が映えるスポットを回ったりして楽しんだ。
やはり楽しい時間はあっという間だ。
気づけば赤い夕陽がゆらゆらと空を綺麗な橙色に染めていた。
「そろそろ帰る時間やっけ?」
「そうやね〜」
名残惜しそうに彼女が言う。
「最後に行きたいとこある?」
「行きたいと言うか、ひとつお願いがあるんやけど」
言いにくそうにモジモジしている彼女。
「どうしたん?」
「その、走っとる軽トラの荷台に乗ってみたいなって思うんやけど」
なぜか照れる彼女。
変な事をお願いしていると思っているのだろうか。
それとも荷台に乗りたいなんて言うのは小さな男の子だけだという先入観でもあるのだろうか。
「だめ?」
「だめじゃないけど、流石に公道を走るわけにはいかんけん、うちの近くの海辺を走る程度ならいいよ。多分ばれんし。」
「やったー! 軽トラの荷台に乗るの夢やったんよ!」
荷台に乗るのが夢とは、これまた変わった夢だが、僕もなんとなくその気持ちは分かった。
「よし、ここからならいいよ」
「なんかちょっと緊張してきた」
僕は実家に着くと、彼女を荷台に乗せてあげた。
「ゆっくりよ、ゆっくりやけんね!」
「分かっとるって」
自分から乗りたいと言い出した割にはかなり慎重だ。
「ちゃんと捕まったー?」
「うん!」
「じゃあ出発進行〜」
僕はノロノロと20キロくらいで海岸沿いを走った。
「どんな感じー?」
窓を開けて荷台の彼女に声をかける。
「夕陽が綺麗! 最高ー!」
顔を見ずとも最高の笑顔をしていると容易に伝わるほど、彼女の声は喜びに満ちていた。
今の僕らを写真に撮れば、夕陽が逆光になり最高のワンショットとなるだろう。
僕はエンストしないように気をつけながら、ゆっくり、ゆっくりと海辺の道で彼女を運んだ。