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ショートショート:相棒との夢

コンコンコン
「はーい!」
301号室のドアを叩くと、いつも元気のいい返事が返ってくる
「よう、生きてるか?」
「おう、絶好調だぜ」
海斗は白い歯を見せて笑った。
さらさらした春の小川の様な心地良い風が病室のカーテンを優しく揺らし、その隙間から差し込んだ光が海斗の顔を明るく照らす。
「包帯ぐるぐる巻きで何言ってんだか」
僕は荷物を机に置き、鞄から紙を取り出した。
「はいこれ、今日の授業のコピー」
「いつも悪いな」
先週の初め、海斗は原付を運転している最中に信号無視をした軽自動車に跳ねられ、頭を強打し、入院している。
今年受験生である僕らにとって、この時期に授業を受けられないのはかなりきつい。
だから僕は見舞いがてらに毎日ノートをコピーして持ってきている。

「今日は差し入れもあるから。ちょっと待ってろ」
僕は慣れない手つきで皮を剥き、ところどころ赤い部分が残った形の悪いリンゴを海斗の手元に差し出した。
「お前って本当不器用よな」
文句を言いながらシャクシャクと音を立てリンゴを食べる海斗に向かって、うるせえよと僕は軽く殴るふりをした。



親同士の仲が良かった関係で、海斗とは生まれた時から一緒に遊ぶことが多かった。
幼稚園から高校までずっと同じ道を二人三脚で歩いてきた。
ヤンチャな海斗。
大人しい僕。
スポーツが得意な海斗。
勉強が得意な僕。
フレンドリーな海斗。
コミュ障な僕。
何もかもが正反対だった僕らは、磁石のS極とN極の様にピッタリとくっついた。
だが、そんな僕らにも共通点が1つだけあった。
それは、宇宙に行くという夢を持っている事だ。
僕は月から地球も見てみたいという思いがあった。
海斗には月には本当にうさぎがいるのか見てみたいという思いがあった。
そう考えると、やはり結局は全て正反対な存在なのかもしれない。


「そう言えばさ、ガキの頃に夜の公園で夢語ったの覚えてるか?」
最後のリンゴを食べ終わって海斗は言った。
「ジャングルジムのてっぺんに登って話したやつ?」
「そうそう。チビだった頃の俺らにとっちゃ、あそこが1番月に近いと思ってたもんな。今考えるとただのアホだな」
そう言ってケタケタと笑う。
「笑い事じゃねぇよ。お前が宇宙を感じるために夜まで待とうなんて言い出したせいで、帰ったら門限破った罰として家から締め出されたんだぞ」
至って真面目に話す僕に、海斗はおもろ過ぎるとやはりケタケタ笑う。
「でも、あの頃ってめちゃめちゃ楽しかったよな」
急に落ち着いた声で言葉を溢しながら、海斗は窓の外を眺めた。
外は青かった空が徐々に橙色に染まり始め、病室全体を柔らかい雰囲気に変えていった。
突然の落ち着き様に、僕はああとしか答えられなかった。
外を眺める海斗の目は何を見ているのだろうと考えた。
窓から見える住宅街か、それとも登りつつある夕日か、それともその先にある宇宙か。


2つ目のリンゴを剥き終えて、僕は帰り支度を済ませた。
「じゃ、また来るわ」
「おう、ありがとな」
「勉強もちゃんとしろよ。折角授業のノートも貸してやってんだから」
「わかってるよ」とだるそうに答える海斗。
そうして病室を出ようとした時、背後から声が飛んできた。
「瑛太!」
「ん?」
振り返ると海斗が体を起こし、親指で宇宙を指す様にグッドサインをしていた。
「いつか、絶対に2人で宇宙に行こうな!」
海斗は白い歯を見せてそう言った。
「ああ。ただ、まずは怪我を治さないとな」
そう言って、僕は病室を出た。


翌日、いつもの朝がやってきた。
海斗以外友達がいない僕は、着席して朝のHRが始まるのを待っていた。
しかし次の瞬間、いつもの朝はいつもの朝はではなくなった。
普段明るい担任が、厳かな雰囲気を纏って教室へ入って来た。
どうやらその雰囲気を感じ取ったのは僕だけじゃない様だ。
ついさっきまではしゃいでいたクラスメイト達も担任の様子を見て急に静まり返った。


担任はゆっくりと教壇に上がり、俯いたまま出席簿を教壇に置いた。
重苦しい空気の中、担任は口を開いた。
「皆んなには今日、大切な話がある。落ち着いて聞いて欲しい」
ざわつく教室。
僕は全身に嫌な汗をかいた。
こういう状況で担任が話す事は大体内容が決まっている。
僕も何となくそれを感じ取ってはいた。
だから、担任の話を聞く前からどうか僕の勘違いであることを祈っていた。
「静かに!」
担任はざわつく教室内を一瞬で静寂に戻した。
一呼吸置いて、担任は僕が最も聞きたくなかった言葉を発した。
「昨夜、谷川が亡くなった」
谷川は海斗の苗字だ。
再度ざわつく教室。
その中には、何で海斗君がと泣く女子生徒もいた。
「ご両親が言うには、頭部を強打したことによる硬膜下血腫が原因で…      」


この時、僕の耳にからは、教室のざわめきも、海斗の死に泣く女子生徒の声も、担任の話の続きも遠のいていった。
ただただ、昨日、白い歯を見せてグッドサインをした海斗の笑顔が蘇る。
いつか、絶対に2人で宇宙に行こうな!
いつか、絶対に2人で宇宙に行こうな!
いつか、絶対に2人で宇宙に行こうな!
頭の中で頭蓋事の中を反射する様に海斗の声が延々と響いていた。


しかし、無情にも時間は進んでゆく。
1人で悲しむ時間さえくれず、早速1限目の時間がやってくる。
いざ授業が始まっても全く集中出来なかった。
考えるのは海斗のことだけ。
涙ひとつ流れないのは何故だろう。
まだ現実だと受け止め切れていないからだろうか。
理由は分からないまま、自分が冷静な今の自分を非情だと責めた。


来たる放課後、僕はノートを持って職員室へ向かった。
「失礼します。3年3組、高橋瑛太です」
奥からどうぞーという声が聞こえ、中へ入る。
すると、すぐに心配そうな表情で担任から呼び止められた。
「どうしたんだ高橋?」
「いつも通り、ノートのコピーを取らせて頂きたくて」
「もしかして、谷川のか?」
そう言われてハッとした。
「お前たち、本当に仲が良かったもんな。毎日ノートのコピーを持って行って。クラスで1番辛いのはお前だよな」
泣きながら僕の肩に手を置く担任。
そうか。谷川はもういない。いないのだ。
しかし、実感が湧かないのだ。
まだあの病室で、今日も絶好調だと谷川が笑って待っている気がしてならなかった。
そして、僕はそのままコピー機の前へ立ち、必要な枚数分印刷した。
「おい、何やってるんだ高橋」
「コピーです」
もう谷川はいないんだぞ!
担任はそう言いたかったのだろう。
担任は言葉を選ぶように言った。
「高橋、もうやめよう」
それでも僕はコピーをやめず、必要な枚数分のコピーを終えると、失礼しましたと一礼して職員室を出た。


時間は16時を過ぎているが、空はまだ明るい。
夏の生暖かい風が僕のシャツの袖を通り、じんわりと染み出した汗をぬるく撫でた。
僕はハンカチでその風ごと汗を拭うと、自転車に跨り海斗の待つ病院へ向かって全力でペダルを漕いだ。
病院が近づくにつれ汗の量は増していく。
自転車を漕いでるせいなのか、海斗の死を実感する事が怖いからなのかは分からない。
ただ、とにかく体からは汗が噴き出していた。


病院へ到着し自転車を乱雑に停めると、僕は受付も無視して301号室へ向かった。
部屋の前に立つと、ドクンドクンと耳元で心臓の音が聞こえる。
コンコンコン
いつもの元気な返事はない。
寝ている可能性もある。
僕はそっと扉を開けた。


分かっていた。
担任からも今朝聞いたばかりだ。
あんな事、冗談で言うはずはない。
だが、自分の目で見るまでは信じたくなかった。
自分の目で見なければ信じられなかった。
がらんとした301号室を見て、僕はようやく涙が溢れた。


その後、僕は外のベンチへ腰掛けて忍び泣いた。
周りには人がいるから声は出さない様に我慢した。
しかし、次第に嗚咽が止まらなくなり、人目も憚らず、僕は泣いた。
いや、やっと泣けた。
頭の中では分かっていた事だが、ようやく現実に僕が追いついた。
そうして泣き疲れた後、気持ちだけ少し重い鞄を籠に入れ、ゆっくりとゆっくりと自転車を漕いで帰路に着いた。


翌日の夜、海斗の通夜が行われた。
焼香の順番が回ってきた僕は、あの日以来、久しぶりに海斗の顔を見た。
棺の中の海斗はまるで眠っているようだった。
しかし、青くなった唇と温度を感じさせない白い肌に、僕は海斗の死を改めて突きつけられた。
そして僕は翌日の葬式にも参加した。
黒く光る霊柩車が天を裂くほどの音を鳴らして式場を後にする。
海斗との夢を必ず果たす。
そう覚悟し、僕は遠のく霊柩車をいつまでも見つめていた。


30年後

海斗が逝った後、僕は大学受験の為に猛勉強し、国立大学の工学部に合格した。
そして卒業後は宇宙飛行士になる為、研究者として実務を経て、晴れてこの歳で宇宙飛行士となった。
しかし、隣に海斗はいない。
幼い頃、ジャングルジムで海斗と語った夢は、今や叶わぬ夢となってしまった。
しかし、僕が宇宙飛行士になるまでの間、密かに考えた事がある。
高校生の頃、全力で自転車を漕いだ先の病院にいなかった海斗は、先に宇宙に行ったんじゃないかと。
しかし、それも違ったようだ。

「ここまで来れば、お前に会えると思ったんだけどな。どうやら天国とやらは宇宙より遥かに遠い場所にあるらしいな。あと、月にうさぎはいなかったぞ、海斗」
そして、僕はあの日渡せなかったノートのコピーを、船内に撒いた。

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