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徳を積むより、まずは自分が今、欲しいものを買ってあげる。
徳を積むということは、善い行いをするということ。
素晴らしいことです。
一日一善。
見返りを求めない善は必ずあなたの元へと返ってきます。
誰かの助けになることは、いつかあなたを助けてくれるエネルギーとなる。
ただ、見返りを求めない愛は紙一重です。
自分が満たされていれば「善」
真実の愛、無償の愛。
自分が満たされていなければ「犠牲」
身を削って誰かを良くしている自己犠牲。
地の時代には美談です。
しかし、風の時代はエネルギーが現実化していく時代です。
やっている行動自体は素晴らしいことでも
そのエネルギーが愛なのか、犠牲なのかで、未来に自分が経験するものが変わってきます。
徳を積むことは本当に素晴らしいこと。
ただ、その前に「自分が今、欲しいものを買ってあげる」
例えば自分が欲しいものに対して「もったいない」という言葉を使っては、毎日を懸命に生きている自分をあまりにも酷使しすぎです。
物でなくとも、行きたい場所、やりたいこと。
寝たいなら寝る、休みたいなら休む。
何もしたくないならしないであげる自分への優しさを。。
いいことないかなぁ。
もうこれ以上、辛いことが起こってほしくない。
そう思うから人生が良くなる方法論は多くの人に支持されます。
口角あげて感謝をして
人にいいことをして優しくしましょう、時には日頃のお礼にプレゼントしたりして、チャンスは人が持ってくるから人との付き合いを避けずに積極的に行動しましょう。
確かにこういうことをすれば、きっと人生は良くなります。
嬉しくなるし、ある意味「満たされる」のです。
ただ、外側に意識を持って行動すればエゴが満たされるだけの一時的な充足感しか得られません。そこから現実化されるものそれと同じものです。
確かに人との関わりからチャンスは運ばれてくる側面はありますが、人との関わりを避けていても「魂の目的」に必要なことなら半ば強引に運ばれてきますから(笑)無理しなくて大丈夫。
「誰かのためにこうしてあげたい」はエゴが満たされる。
「自分のためにこうしてあげたい」は魂が満たされる。
魂が満たされた状態ならば
自分の一挙手一投足は自然に善行に繋がっていますし
「人には優しくしないといけない」という強制的な愛ではなく、自然と優しい気持ちになれるのです。
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