不登校は繊細さの顕れ
クロ現プラスの高校生ドロップアウトを止めたいと奮闘する都立高校の話を録画してあり、ようやくじっくり見る事ができた。
元不登校児をいま似たような高校(都立ではない公立の三部制定時制)に通わせている親の、個人的な意見だけれど、書いてみる。
学校というコミュニティは、専門学校や大学は分野ごとで分かれるからそれなりに居心地がいいようにも思うが(それでも合わない人は居るものだと私は感じている)、
小中学校とくに公立校は特殊で、様々な分野をまんべんなく学習できる反面、同調圧力が強いと思うし、それを6〜15才に半ば強要していること自体が不思議というか、批判覚悟で言えば虐待に近いとさえ思ったりする。
そのくせ個性を大事にする教育などとうたう学校は、ちょっとどうか?
高校もまだまだ小中の延長である学校が多く、校則にがんじがらめに縛られている生徒もかなりいるだろう。
だけど高校生は、自分で自分の食いぶちを稼げる。社会に出て仕事してお金をもらっていい年齢なのだ。
少し手を離してあげることも大事なんじゃないか、でも見守りの目は忘れずに、と私はいつも心がけている。
また、説明会や公開授業などで学校を見てもらうイベントがあるけれど、受験前に何度も見たとしても、本当の姿や空気感は入学してみないとわからないものだ。相性が悪いことだってもちろんあるだろう。
だから、退学ゼロを目指す、という言葉に違和感を感じた。
だって、高校は選べるはずなのに、入学してしまったら好きなようには動けないなんて、つらすぎるじゃないか。
もちろん、歯を食いしばり単位を取るために必死で食らいつける高校生はいるし、偉いなぁと感心する。
けれど、ヒトは見かけどおりあからさまにみんな違うのだ。
だから、退学はしてもいいんじゃない?と思ってる。
辛いときは学校、行かなくてもいいんだよと、苦しむ生徒に声をかけてやりたい。
そんな風に感じた。
自分の気持ちに正直に生きていこう。