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寡黙と無関心の許容

家人が庭の草むしりをしてくれた。頼まなくともやってくれるし、キレイに仕上げてくれることに感謝と尊敬である。

…できれば抜いてほしくなかった植物まで抜かれてしまったけれど。


家人の祖母がずいぶん前に、まだ健在だった草むしり中の祖父を横目に言っていたことを思い出した。

「庭をキレイにしてくれるのはいいけど、何でもかんでも抜いてしまう」

「せっかく植えたんだけどお構い無しで」

「かと言って自分でなにか植えるわけでもないし」

「だからここには私の好きな花がなかなか咲かない」


…隔世遺伝?(笑)


祖父は寡黙な方だったが無関心ではなかったと思う。植木鉢のものまでは抜いたりしない。祖母はキレイ好きだったそうで、草むしりは祖母への「貢献」のつもりだったのかもしれない、祖父なりの。

しかし、地植えにしないと花をつけにくい植物があることも事実。祖母はそんな花を楽しみたかった思いがあるのだろう。


確認しながら草むしりして欲しかったと思う。

けど折角やってくれているのに邪魔するのもなぁ…という気持ちもある。


私の父は、草むしりも庭の掃除も全くしない人だったから、やってくれるだけマシだと思うのだ。


けど、抜かれた植物は根っこが残ってなければ、そこにはもう生えないんだよね。


だから、家人には

次からその葉っぱに気をつけてほしい

と伝えた。


あ、ゴメン、知らなかった。

謝った家人。


庭のレイアウトに無関心だったのだから、わかるわけない、許容しよう。




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