ココロ#3 自然体の【心の広さ】
こんにちは!【“心の健康”サポーター】ひろまるです。今回のテーマは「心の広さ」についてです。皆さまのお役に立つ情報がひとつでもあれば良いなと思います。
「広い」のイメージ、「狭い」のイメージ
みなさんは「広い」と聞くと、どんなものをイメージしますか?
例えば、家の庭、公園、運動場。あるいは海、空、宇宙、でしょうか?
逆に「狭い」でイメージするものはなんでしょう?
自分の部屋、車の中、トイレ。エレベーター、クローゼット、引き出し。
他にこんなことばにも「広い」「狭い」が使われる場面がありますね。
「世間は狭い」「世界は広い」「心が広い(狭い)」などです。
あの人は心が広いなぁ、とか、心を広く持ちたいなぁ、といったことは、誰しも考えたことがあるでしょう。心に関しては、やっぱり「狭い」よりも「広い」自分でいたいと思うのが自然ですよね。
では、この「心が広い」というのはどういう状態のことを言うのでしょうか?自分なりの視点で考えていきます。
心が広くなるとき、心が狭くなるとき
私が考える心が広い、の捉え方のひとつは「心が開けている」状態のことではないかと思います。前述した「広い」もののイメージ、庭、公園、海、空などは、閉ざされたものではなく、一部、または全部が外部に開放されています。
反対に「狭い」のイメージで取り上げた、部屋、トイレ、クローゼット、引き出しなどは、常態では閉鎖的なものばかりです。ですから、心が狭いとは「心が閉ざされている」という解釈もできます。
要約すると、心が閉ざされているとき、心は狭くなり、心が開けているとき、心は広くなる、と考えることができます。
もちろん、いつどんなときも心が開いている人はいないでしょうし、反対に閉ざしっぱなしという人も珍しいでしょう。
自分事として振り返ってみても、やっぱり心が開けているとき、開けていないときはあったと思います。またどういう対象(例えばどんな人)になら心を開けるか、どんな領域(私の場合ホラー映画や絶叫系アトラクション)には心を閉ざすのか、なども色々とパターンがあるなぁと感じています。
心は常に「広い」「狭い」のではなく、状態として日々変化しているものなんだと思います。
心の倉庫のメンテナンス
心の状態は毎日変化し、私たちの日常に大きくも小さくも影響を与えていきます。人間関係でも、心が広くいれるときもあれば、意図せずとも狭くなってしまうときもあるでしょう。
どちらにせよ、メンタルの浮き沈みは誰しもあることなので、変に特別視する必要はありません。それよりも、「自身の心がどんな状態か」に耳を澄ますことの方がより大切です。
例えれば、「心の倉庫」の状態を定期的にチェックしておくことです。
なんでもかんでも開きすぎて、容量オーバーになるのをコントロールして、逆に閉ざしすぎて在庫不足になるのを未然に防ぐ、といったイメージです。
きっとあなたの周りにもいる「心が広い」という人は、この心の倉庫のメンテナンスが上手なんだと思います。開放するときは開放する、閉ざすときには思いきって閉ざす、というように。いわゆる、オンとオフの捉え方とも似ていますね。
倉庫の大きさは人それぞれです。競い合うものでもないし、優劣があるわけでもない。その人に適した状態で、ただそこにあるだけです。
自然体の心の広さ
現実の倉庫でも、建てるにはお金と工期がかかりますし、扉の無い状態では雨風にさらされ内部が汚れたり、純粋に防犯上のリスクがあります。無理に心の倉庫を大きくしようと増築したり、いつでもオープンにしておくことは、心に無理をかけるのと同じようなことだと思います。
まず必要なことはメンテナンス。大きさや強度は人それぞれです。ものさしは必ず自分の中に持つ意識が大切です。
倉庫に入れる品物、つまりは身の回りで起こる出来事や自分の気持ちに対して、心を開けると思えば開く。今は開けないと思えば開かない。扉のオープンとクローズを、ちょっとずつでも自らの手で行えるようになると良いですね。
繰り返し意識していくうちに、段々と自分の感覚の傾向なども掴めていくと、自分への理解も深まり新しい自分の発見につながるかもしれません。
そして、自分のペースで心の倉庫の大きさを広げていけると素晴らしいと思います。より多くの価値観や考え方を取り入れるチャンスが生まれますからね。
あくまでも、自然体で心と向き合っての話です。無理に力ずくで広げようとせず、あるがままの自然体の心の広さ、それがひとつの目指すべき方向性だと思います。
少しずつでも、確かな一歩を。あなたを応援しています。