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恋愛ストーリー 『遅刻厳禁? せっかちな彼』

午後3時の待ち合わせ。
彼女は、この日のデートを楽しみにしていた。2週間も前からだ。

なのに、なのに ここまで辛い体験をするとは...
バスの中で焦る彼女。進まないのだ。
普段は流れの良い場所で、停止してから5分が経つが全く前に進まないのである


 大型の道路工事があるのは 事前の告知で知っていた。だが工事がある国道までの道で渋滞するとは予想していない。
 乱暴運転のトラックが軽自動車と接触。この事故のせいで更に酷い渋滞となっている。

《う〜ん、ヤバい。せっかく早く家を出たのに。急がなきゃ》
だが、焦ってもバスは進まない

どれだけ乗客が焦っても。どれだけバスを蹴飛ばしても。逆に皆で励ましても。バスに羽が生えて渋滞を越えられるわけではない。

 一方、カフェで待つ彼。待ち合わせの時間より40分も早く入店していた。
 コーヒーを飲みながら彼女を待つ。スマホには、彼女からのLINEが3つ届いていた。
《私も家を出たから。コンビニで用事を済ませてから行くね》

《ゴメン。少し遅れてしまうかも。渋滞でバス、進まないの》

《15分くらい遅れそう。渋滞から抜けて緑が丘の交差点を過ぎた》

 朝からの雨は、弱くなっていた。バスを降りた彼女は、傘をささずに早足で約束のカフェへと向かった。
 歩きながら何度も腕時計を見る。どう急いでも20分は遅れる... 遅刻の原因となった道路工事と、事故を起こしたトラック運転手を彼女は軽く恨んだ。
《こんな日に限って工事と事故なんて酷いわ。とにかく急がなきゃ。彼に ちゃんと謝らないと...》

 天気が優れないせいかカフェの客は少ない。普段は明るく無邪気な彼女だが、誰もいないテラス席の光景を不吉に感じた。
《彼、許してくれるかしら...》

 扉の前で呼吸を整えてから店内に入る。扉から2番目のテーブルに彼の横顔を見つけた。その表情は暗く、固い。
 《ああ、やっぱり怒ってる...  怒って当然よね。だって...》
 壁に掛かってる時計を見た。約束の時刻に25分も遅れてしまったのだ。

《謝るしかないわ》
 テーブルに着き、表情を強張らせた彼の目を見た。
「遅れてゴメンナサイ...」

 バスが渋滞にかかったのだから仕方がない。早足で駆けつけた。こうしてすぐ謝った。だから彼女に罪はない。
 この時、言い訳もせず謝った彼女は、その場にいた誰よりも美しく聡明であった。

 誠実に謝る彼女。だが、場の空気は氷のように冷たく張りつめていた。その空気を察してか、チラリチラリとアルバイト店が2人の様子を伺っている。

 彼は黙ったまま彼女から目を反らした。その表情は、怒りを抑えながら言葉を探しているように彼女には見えた。
 相手が恋人であれ、友達であれ、これくらいの遅刻に本気で腹を立てる者は少ない。いつもは温厚な彼が本気で怒るはずはないのだが
 固い表情を崩さずに、彼がつぶやいた。
「もう、本当にイヤになるよ...」

「ゴ、ゴメンナサイ。本当に私が悪いから...」   
 椅子に座らずに謝る彼女。その謝罪を彼は、舌打ちして拒否した。
「チェッ!本当に呆れるぜ。こういうの僕は嫌いなんだよ」

 ここまで怒る彼を初めて見た。動揺しながら謝り続ける彼女。
「ゴメンナサイ。さすがに こんなに遅刻するなんて... 酷いよね。怒ったのね」

「ああ、怒ってるさ。一体、どうしたって言うんだよ!」
 声を荒げた彼。手は握り拳となっている。しかもプルプルと震えている。

 2人が出会ったのは高校時代だった。
 同じクラス。彼は学業が優秀で、おまけにスポーツ万能。クラスだけでなく、全学年の女子からの憧れの的だった。
 彼女は、そんな彼とは真逆で目立つタイプではなかった。引っ込み思案で、内向的。恋愛については赤面症ということもあり、好意を持っていても相手に近付く事すら出来なかった。

 不釣り合い。

 だが、面白い。恋とはテレビドラマや漫画などよりも面白いものなのだ。

   不釣り合いだとしても恋は生まれる。

   恋が生まれたのは高校を卒業して4年が過ぎてからだ。彼女が高卒で就職した会社に彼が遅れて入社してきたのである。
 彼が大学に通った4年間、会社では彼女の方が先輩となった。そして入社オリエンテーションで総務課の彼女が新人をサポートする機会があり、それをきっかけに交際に発展したのである。
 
 学生時代と変わらず入社してからも彼は優秀で、同期社員よりも積極的に仕事に取り組んでいた。将来性ある人材として上司からも可愛がられ営業成績を伸ばした。
 交際が始まってから半年間は2人が交際を伏せていたこともあり、彼は女性社員から複数のアプローチを受けていた。背が高くイケメン、仕事も出来るのだから当然である。

 モテるのは当然。
 だが、彼女が彼に惹かれた点は別にあった。

   彼女は学生時代から、彼の優しさと謙虚さに惹かれていたのである。病気がちの父を持つ彼は、高校時代のある時期 、アルバイトをして家計を支えていた。両親やまだ幼い妹のために。
 その彼のアルバイト先は、彼女の親戚が経営する新聞販売店だった。

 イケメンだからではない。頭が良いからでもない。親戚から知らされる彼の優しく家族思いな性格と、自身の能力をひけらかさない謙虚さに彼女は惹かれた。
 
 彼女は、彼の人柄に惹かれたのだ。

 なのに なぜ...

 なのになぜ今日の彼は、別人のように冷たく固い表情をしているのだろう?
 なぜこんなに怒っているのだろう?

 今まで彼女が遅刻した事は無かった。だから気付かなかったが、もしかしたら彼は時間については完璧主義者で、恋人や友人の遅刻も許せないのかも知れない。
 「怒ってるのね。本当にゴメンナサイ。どうしても許せない?」

「ああ!怒ってるさ。だってありえないだろう?25分なんて... 25分は酷い!」

 この言葉を聞いた時、彼女の疑念はほぼ確信に変わった。彼は時間については《病的なまでに神経質》な人間であると。

  肩を落とす彼女。だが、この確信を即座に打ち消すかのように、もう1つの疑念が脳裏に浮かんだ。
 
 《彼が別れを望んでいる...》

 彼女の疑念は稲妻の如く彼女の頭のてっぺんから足のつま先まで突き抜けて、全身に激しい痛みを走らせた。
《彼は今、別れを切り出そうとしている...》

 彼女は酷く動揺した。しかし残念ながら こちらの方が《時間に関して神経質》という疑念よりも真実味があった。

 優しい彼が、恋人の遅刻を許せないはずがない。2年も交際してきたが、時間について神経質な素振りはなかった。神経質どころか、彼の方が待ち会わせに遅れて笑いながら現れたことも何度かあったのだ。
 だから遅刻が怒りの原因ではない。

 彼は遅刻が原因で怒ってるわけではない... だとしたら彼は元々 彼女に別れを切り出そうと思っていたのではないか。今日の彼の振る舞いから導き出される答えは これしかなかった。

 彼女は自分自身を落ち着かせるために、大きく深呼吸をした。そして彼の本心を探ろうとした。
 「わかった。私が悪かったわ。あなたの気分を害して... ごめんなさい。
 でも どうしても許して貰えないなら...」

「僕が許せないとしたら?」
 彼は立ち上がり、冷静さを装うようにシャツの袖についた埃を摘み捨てた。

「ええ、許してくれないなら、私 今日は帰るわ」

  《自分と彼とは やはり不釣り合いかも知れない》《彼の優しさに甘えてばかりで、負担をかけているかも知れない》これは彼女がずっと胸に抱えていた不安であった。
 常に怯えていたのだ。《いつか別れを告げられるかも知れない》と。
 だから覚悟のようなものは彼女の中では準備されていた。
 はずであった。
 大好きな彼から《永遠のサヨナラ》を言われるのは辛い。余りにも突然過ぎる。
 彼女は酷く動揺し、呼吸は乱れ目には うっすら涙が浮かんでいた

 別れは辛い。
 この恋は彼女にとって初恋だったのだ。
 
 《二十歳を過ぎて?》と友人らは笑ったが
 初めての恋。

 そして今 迎えようとしている、
 初めての別れ。

 だが、みっともない姿は見られたくない。
 どうしても彼が別れを望むと言うのなら仕方がない。大好きなのだから。困らせたくない。
 彼の思いに従おう。本当に100%、彼が別れを望んでいるのなら それに従おう。
 だけど もしも...  もしも少しでも彼の胸に愛情が残っているのなら...

 彼女は決意した。軽い目眩を起こしながらも勇気を振り絞り、彼女は最後の賭けに出たのだ。
 この場は彼に背を向けて立ち去る。もし彼が引き止めてくれないなら、静かに身を引く。
 そして もしも彼が引き止めてくれるなら、 こんなに激しく怒っている本当の理由を話してもらおう。

 大好きな彼を試すようなことはしたくはない。だが、この状況では仕方がない。
 涙が溢れる寸前の目で、彼女はその場を立ち去ろうとした。
「今日は、今日は本当に 
ごめんなさい。さような...」

 彼女の声は小さく、震えていた。だから彼には聞き取れなかったのだが。
 彼には聞き取るつもりもなかった。

 彼女が背を向けて去ろうとした瞬間。彼の大きな手が肩を掴んだ。そして、

「バカだな。君が帰ってどうするんだよ?」

 うつむいて隠したから目に浮かんだ涙は彼に見られていない。
「それに先ほどから なぜ謝ってるの?」
さっきまでとは違う優しい彼の声。

 キョトンとした表情になり、確かな言葉を返せない彼女。ゆっくりと彼を見上げて
「なぜって... バスが事故で... 遅刻がイヤで あなたが...」

「さっきから深刻な顔して。そして目に涙なんか浮かべたりして。どうしたの?
まあ、悲しい顔しないで座りなよ。一緒に 美味しいコーヒー飲もうよ」

「だって、怒ってるんでしょ?私が遅れて来たから許せないんでしょ?」

「そうさ、僕は怒ってるのさ。そして もちろん許せないさ!」

 だが発する言葉と異なり、彼はニッコリ笑っている。この不可解な笑顔のまま彼は立ち上がり、まだ事態を把握できない彼女の顔に グッと自分の顔を近づけた。
「よく聞いてよ。僕は君に怒ってるんじゃないよ」

「えっ、怒っていないの?どういうこと... 遅刻したから怒ったんでしょう?」

「違うよ。遅刻くらいで僕が怒るわけないだろ?僕が怒ったのは世界に対してだ!
 僕は、デタラメなこの世界が許せないんだ」

「デタラメ?何のこと?全然、意味がわからないわ...」

「いや分かるさ!」
彼の顔には怒りの感情は 全く見られない。

 バイト店員の興味本位の視線に気がついて、彼が座るように促した。
 「ねえ、どういうこと?説明してよ」

 軽く咳払いして彼が応えた。
 「わかった。ちゃんと説明するよ。
 君がこの店に着いた時に、3時を過ぎてただろ?君の腕時計も、スマホも3時25分だったよね?この店の時計も3時25分だった」

「ええ、そうよ。私、25分も遅刻したわ。そしてあなたを怒らせたわ」

「いやいや、僕は君に怒ってなんかいないさ。よく聞きなよ。
 君が到着した時に、日本中の時計が3時25分だったかも知れないが。僕の時計は3時ちょうどだったんだよ。
 なぜ僕の腕時計は3時なのに、僕以外の世界中の時計は3時25分で狂ってるんだ、バカヤロー!

と怒ってただけさ。ハハハッ!」

 そう言うと彼は、彼女の目を見ながら《ごめん、ごめん》と合掌のポーズをとった。
「バカ!あなたの方こそ、バカよ。私、本当に嫌われたかと思ったじゃない。」

 つまり、彼にとっては遅刻はなかったのだ。彼女の遅刻をユーモアで打ち消してくれたのである。いや、彼女の失敗を笑いで打ち消そうとして、失敗したのだ。彼の演技は、上手いものでは無かったが。その下手な大袈裟な演技が 彼女にとってはリアルに見えたのだ。

 今度は逆に彼女の方が、彼の突拍子もないイタズラ心にプンプンと怒った。だが、その怒りも半分は演技であった。《別れではない》安堵感が、演技に表れていた。
 彼女の怒りもすぐに消えて いつもの2人の明るい会話に変わった。

 時間を忘れるほど談笑してから、カフェを出た2人。時刻は午後5時を過ぎていた。
 11月下旬にもなれば 辺りは夕闇だ。歩きたい気分だと言う彼に従う彼女。しばらく歩くと ひっそりとした街角の小さな公園にたどり着いた。

 公園の隅で彼が伝えた。
 「細かな時間など気にしなくて良いんだよ。なぜなら僕は せっかちでもないし。それに君は... 愛する君は...
僕の永遠なんだからね」

 その囁きに、少し緊張したような声で彼女は応えた。
「ありがとう。それでも私、これからも遅れないように努めるわ。だって何度も世界中の時計を狂わせるの悪いもの。

 それにね、私、この大きなイタズラっ子のことが...」

 最後のセリフについては、彼女はうまく伝えられなかった。少し顔を赤らめながら彼女が愛情を伝えるより先に、

 彼のせっかちな唇が、
 それを優しく ふさいだからである。

《完》

ひろまる愛理

2024年11月下旬
恋よ栄えよ!と伝えるためだけに。

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