見出し画像

『清掃する女』を観た

※画像はイメージです。今回の舞台とは関係ありません。

台風が近づいているという9月8日の夜、時折、出の悪いシャワーのように雨がぱらつく中、早稲田どらま館へ向かった。
出演の安藤朋子さんは、かの有名な沈黙劇『水の駅』(太田省吾作)で少女役を演じた方。なんていかにも知った風だが、わたしはそんなことも全く知らずに昨年7月、ドイツ同時代戯曲リーディングという企画で初めて拝見し、その存在感に惹きつけられた。今年2月、現在所属されているARICAの『孤島』を観てやっぱりすごいと感嘆した。3月、『水の駅』が杉原邦生演出で新たに上演されたのを観て、YouTubeで昔の転形劇場版を観た。4月、その安藤さんが講師を務めた「いとなみ派ワークショップ」にも素人だてらに参加してしまった、そのくらい、今やすっかりファンなのだった。
なので、今回の『清掃する女』も楽しみにしていた。シネマの再創造、と銘打たれた七里圭演出も、BATIK主宰のダンサー黒田育世さんも気になる。
舞台は、上手からセンターにかけて細く残して後は紗幕で覆ってあり、そこに映像が映り込む仕掛け。
映像はどこかの公衆トイレになったり馬が馬場を駆けていたり雨の流れる窓ガラスであったり海であったり、部屋のようでもあり檻のようでもある。
紗幕の外や中でデッキブラシを手にした安藤さんの姿と動きと音、あらかじめ録音されたセリフと実際に発話しているセリフ、映像とが重なり合う。そこに生まれるいくつもの奥行きが、虚構だとわかっているのに不思議とリアルにも感じられる。
生演奏の歌とバイオリン、声明のような謡のような悲鳴のような。
まったく人の気配を感じさせずに客席から現れた黒田育世さんにぎょっとさせられる。母と娘、死んだ母の若い亡霊と白髪の娘の相克。ふたりの打打発止の動きと間合いは決闘だった。やはり安藤さんは只者でない、なんて、にわか仕込みのわたしが言うのもおこがましいが。
それにしても、まだ演劇でやれることはあるのだと、可能性はまだ残っているのだと、希望を抱かせる舞台だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?