いたつき
※画像は、2019年8月22日岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』で配布された会場図
何を隠そう、学生時代は演劇部員だった。
中3で突然演劇部に入部した。中3と言えば受験生じゃないか、普通なら引退する時期じゃないか、中3から始めるってどういうことだよ。しかし、わたしはどうでもいいことに関しては異常に克明な記憶力が発揮される代わりに、重要なことほどスカッと忘れてしまうという歪な能力者であるので、そこらへんは端折る。
特に演劇部員でなくても、保育園幼稚園のお遊戯会に始まり、小学校の学芸会、中高の文化祭などで何がしかの舞台経験がある人は多いと思う。わたしの印象に残っている舞台の記憶は、小4の学芸会で上演した『ハーメルンの笛吹き男』である。ベートーヴェン第九の合唱隊のように配置されたコロスの一員でねずみの群れの場面で「♪ちゅーちゅーちゅーちゅーはしーれはしーれ♪」と歌ったのを覚えている。6年生では『アラビアンナイト』で、「歌うナレーター」3人組のひとりだった。幕開け第一声がわたしの歌で「♪むーかしのむかしのそーのむかしーお国はペルシャのものがーたりー♪」…ねずみはともかく、ナレーションを歌にする必要性って。
そして、何の因果か中3でまたしても『ハーメルンの笛吹き男』を下敷きにした作品をやるのである。しかも今度は笛吹き男役である。これは熾烈なオーディションを勝ち抜いた!とか、埋もれた才能を見出され大抜擢!とかでは全然なく、男子部員が極端に少ないため背が高いというだけで自動的に男役が回ってくる、という演劇部あるあるの配役であった。この笛吹き男、ただの笛吹きではなくて「少年たちの千年王国をつくるのだグヘヘヘヘ」という、どこかの芸能事務所ばりの野望を秘めた男だった。そして顧問がアングラ好きの女性の理科教師で、演技経験のない女子中学生のわたしに対して「若い頃の三國連太郎みたいにギラッギラッした感じで!」という熱血演技指導をするのだった。はい無理。しかし、稽古を覗きに来た男性の理科教師に「○○は意外に声も出てるし結構上手いな」と褒められた。「俺も昔は演劇部だったんだ」…理科教師って。
高校の演劇部は、都大会常連だった過去の栄光もあったりして、なかなか独特だった。入部初日の顔合わせで先輩に「なんて呼ばれたい?」とあだ名を自分で決めさせられたり(ちなみに先輩のこともあだ名で呼ぶ、変な上下意識をなくすということらしい)、新入生の品定めに来たOB・OGに誕生日を尋ねられたので答えると「あれ山羊座?役者とか向いてないんじゃない?」という統計学的に無意味なご意見を賜ったりもした。SNS全盛の今なら、古今東西の山羊座生まれの演劇人をディスりやがって、と晒してやるところだ。だがそんな演劇部で、わたしはすっかり演劇にハマってしまったのだった。世の中にこんなに夢中になれる面白いことがあるかというくらいに。将来はこの仲間で劇団としてやっていきたいと、なかば本気で考えもした。
実際に、卒業後に一度だけ、有志で公演をしたこともあった。母校で現役生が行う新入生勧誘公演に乗っからせてもらったのだ。現役生たちは学内向け公演ということもあり、気楽な感じで「新入生のみんな!演劇部に入ってね!(⌒∇⌒)」みたいなノリの軽いものを用意していたらしい。しかし、我々は劇団を名乗り、チラシを作り、旗揚げ公演として、短いものではあったが創作台本でがっつり稽古をしていた。
そしてゲネプロの日。一切の無駄なくガチでゲネを進めていく我々卒業生を見て、のほほんとしていた現役生たちが次第に真顔になり青ざめていく姿がそこにあった。我々はとにかく公演の機会を得たい一心で「いやほらそもそも学内の新勧公演だしメインは君たちだしあたしらはついででちょこっとお邪魔させてもらえればそれだけで御の字よ!」と息継ぎなしで頼み込んでいた、それを言葉通り素直に受け取った現役生は「OGがなんかやりたいんだってさ〜」的な気軽さだったのかもしれない。ほんの数年の人生経験の差がものをいうこともある。
ゲネが終わった後、集まって何やら話し合っていた現役生から、上演の順番を逆にしてもらえないかという申し出があった。ごめんね大人げなかったね、でも君たちがどういうものを作っていたのか知らなかったし、少なくともあたしたちの時は新勧公演も作品のひとつとして真剣に作っていたから、君たちが何だかヘラヘラしているなと実は思っていたけど、とはもちろん言わず、申し出は謹んでお受けした。そして彼らは当初予定していた内容をだいぶ修正したらしかった。それが結局どういうものだったのかは見たはずだが覚えていない、何しろ自分たちの芝居で精一杯だったから。
そんなこんながあり、しかし我々の劇団としての活動はそれが最初で最後であった。
その後のわたしは、劇場の裏方バイトで知り合った児童劇団を主宰している方に誘われて小学校を回ったりしたこともあった。カルチャーセンターの「やさしい中国健康体操」講座を気まぐれに受講したら、講師が北京舞踊団の元ダンサーで、「皆さんはダンサーです!」とバーレッスンから叩き込まれ、中国でオーダーメイドした衣装を着てガチの中国舞踊で発表会をしたこともあった。その講座では、最終的には身体から香りが出るという気功(香功)←っていうかシャンゴンって打って普通に変換されたことに驚愕、そういうもの?まで習得した。さすが中国、入り口から奥までが深過ぎる。
こうして振り返ると、舞台という場から付かず離れずの距離をなんとなく漂ってはいたのだった。
板付き、という言葉がある。幕が開く前から舞台に役者がいる状態のことだ。演劇をはじめ、舞台で何事かを表現する者は皆、足裏と板の間に磁場が発生して惹きつけられてしまう稀な病なのかも知れない。
ちなみに現在のわたしはポエトリーリーディングで年に数回、オープンマイクの小さな舞台に立っております。気が向いたらどうぞお運びくださいませ。
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