持たざる者のサバイバル・タロット愚者の旅第8話
執事のジャンは春祭りの準備に漏れはないか
屋敷の中を点検して回った。
「そうなるとグラスが少し足りないようですがどうしますか?」
「料理は大皿に盛り付け、小皿に取り分ければその問題は解決です」
「花瓶は去年と同じにならないよう今年はコチラを用意しましたがいかがですか?」
執事と共に歩き回りながら指示を仰ぎ、屋敷の召使たちにテキパキと指示を伝えているのは今年17になるガロだった。
5年前、ジャンは大奥様のご命令でガロを躾けることになった。
ゆくゆく大旦那様の小姓にするつもりだから
それなりにしっかりと躾けるようにと言われ、なんと無謀なと思った。
いつも腹を減らし、物欲しげな上目遣いでこちらの様子を伺ってくる小汚い小僧を
大旦那様のお側に仕える小姓に仕立てるなど、何年たっても無理だと思った。
ところが、この痩せて小さくみすぼらしい子供は、教えたことは一度で覚え、指示したことを上回った働きをし、同じ失敗は繰り返さない、
あの小さなガロの中に、こんなに利発で目端が利く子供が隠れていたとは思ってもみなかった。
特にガロは計算ができた。それを知った時、ジャンは唸った。
占い婆が数字と計算の仕方を教え込んだという。
薬草や調合した薬を売ったり、占いで稼いだ金の計算から
薬草や薬の在庫、薬の調合の為の数字を教わったのだとガロは言った。
「本当は文字を読みたいから教えて欲しいって言ったんだけど、婆ちゃんは『お前に文字を教えてくれるのはワタシじゃあない、もっと大きくなったら教えてくれる人が出てくる、それまで生き抜け!』って、婆ちゃんはいつも『生き抜け!!』って言うんだ」
この5年間でジャンは持てる知識を、もちろん読み書きも含めてすべてガロに注ぎ込んだ。
今ではお屋敷の帳簿もジャンのチェック無しで問題ないほどだ。
大旦那様は機転の利く小姓と有能な執事という
大変な財産を手に入れたのだ。
ジャンは既に自分の背を追い抜いた少年の横顔を見つめた
日の光が眩しいのだろう、ガロは目を細めた。
その美しい目元を見るたびにジャンは、あの日藁の中で冷たくなっていたエマを思い出した。
17年前のあの朝は、客人が多く集まる日なので粗相のないように気を張っていて
いつもより早く目が覚めた。
まだシンと静まり返った屋敷の大階段を、誰かが駆け上って行く気配がした。
何かがあったのだと勘が働き、ジャンは急いで身支度を整えた。
案の定、顔を洗い髭を剃っている時に、大奥様の小間使いサルルが白っちゃけた顔の周りに乱れた髪を張り付けてやって来た。
いつもなら陽気に大声で話すサルルが、小声で大奥様がお呼びだと言った時、嫌な予感がした。
大奥様からは、後始末をしてくるように、とだけ命じられた。
サルルの案内で屋敷から一番離れた牧草小屋に行き
藁の中からエマの遺体を運び出した時、この場でお産があったのだと分かった。
「赤ん坊の死体はどうした?」
ジャンに聞かれたサルルはドギマギしながら
「あ、赤ん坊は、あの、死んで生まれて、それで・・」
「占い婆が薬の材料にするために持ち帰った、そういうことだな」
サルルは悲鳴を堪えるため震える両手で口を押え激しく頷いた。
『そうだ、そうだよジャン、アタシらにとっちゃあ
赤ん坊なんぞ、どうなろうと知ったこっちゃない
赤ん坊は死んだって事になってるし、本当に死んだかもしれないんだ』サルルは心の中で叫んでいた。
ジャンが穴を掘りながらフっと息を漏らすように言った。
「お前は赤ん坊の目を見たのか?」
サルルの喉から悲鳴が漏れた。
「ヒッ!あ、あ、あ、アタシャ見てないよ、
赤ん坊は死んでたし目を閉じてたんだ、だ、だ、だから」
「そうだサルル!お前は何も見ていない、赤ん坊は死んだ
エマは粗相があって奴隷商に売り払われた、それでいい
分かったな、忘れるなよ」
振り返ったジャンの顔は土塗れで、ギロリと睨んだ目があまりに恐ろしく、サルルは気を失いそうになり尻餅をついた。
湿った土の感触で我に返った哀れな小間使いは、ジャンと一緒に黙々と穴を掘り
泣きながらエマを埋めた。
あの日からずっとサルルは執事とまとも目をに合わせる事がない。
よほど恐ろしかったのか、サルルは今も秘密を守っているが
ガロの目の色はもはや皆が知っている。
ただし、ガロの母親がエマだということを知っているのは
占い婆と大奥様、大旦那様、都に住む旦那様とサルルとジャンの6人だけだ。
あの後、若旦那様テオはエマが居なくなったことを訝り
大奥様付きの小間使いを追い掛け回してはエマの行方を聞いて回った。
流石に10年も過ぎるとサルルも惚けるのがうまくなり
テオも諦めたようだった。
日が高く昇り、屋敷は春を祝う祭りで賑やかだった。
今年は噂のサーカスまでがやってきて
火吹き男や、樽乗り、ジャグリングや歌、踊りと賑やかだった。
賓客や近隣の招かれた人々は皆笑顔で、用意された食事を楽しんだ。
賓客の奥方たちは、占い師の前に集まった。
「あら、今年も占い婆がいないの?占い婆に手相を観てもらうの
楽しみにしているのに、このところなかなか会えないのね・・」
「これはこれは美しい奥様がた
こちらに控えるは、その占い婆から直々に秘術を学んだ
一番弟子のカリスと申す者でごぜえます。
愛と美の女神と同じ名を持つこの者から
愛のお告げを受け取りなさいまし」
「あら、そうなの?占い婆の弟子?
なら実力はかなりなものなんでしょうね」
サーカスの親方の口車に乗せられた奥方たちは
キャーキャーいいながら我先にと占い師に両手の平を差し出した。
その様子を大奥様であるカロリーナは2階のテラスから眺めていた。
カロリーナの隣にはテオが手すりに寄りかかりながら
ワインを味わっていた。
「このワインは良い出来ですね、去年のものですか?母上」
「そのようですよ。で?お話があるとか・・」
「慌てなくても、祭りの夜は長いですよ」
「私はお客様方のお持て成しの準備をしなくてはなりませんから」
「お客のお相手はお手のもの、準備など不要なのでは、母上」
「テオ、貴方に母上と言われるたびに首筋がゾワゾワするわ
言いたいことがあるならハッキリ仰ったら?」
「これは失礼、確かに貴女は私の父上の妻ですが
年齢は私とほぼ同じですから母上とお呼びするにはいささか」
「あら、よろしくってよ、確かにワタクシは貴方のお父様の正妻ですが
無理して母上などと呼ばなくて結構よ」
「さすが、懐の深いお方だ、その広い懐で何人の男を」
「侮辱は許しませんよ!」カロリーナは気色ばんだ、
「これはこれは、そこが母上の弱点でしたか、
もっと広いお心の」
カロリーナは不機嫌を隠さず椅子から立ち上がった。
「まぁまぁそう怒らずにカロリーナ、それともベッラとお呼びしたほうが良いですか?」
手入れの行き届いた美しい背中に緊張が走った。
「貴方の素性を知ったところで驚きはしませんでしたよ、
ただ屋敷の者たちや祭りに集まった賓客たちは」
ネズミをいたぶる猫のように、テオは酷薄な笑みを浮かべた。
「何が望み?」
「話が早い、流石ですカロリーナ。
望みはエマの行方です」
「エマ?あぁアナタが奴隷商から買って連れてきた?
あの子はある日突然居なくなったんじゃないかしら?
もうかなり昔の事よ、覚えていないわ」不機嫌さを隠さず、それでも貴婦人は答えた。
「居なくなった?奴隷商に売り払ったと聞きましたが」
「どうだったかしら?いちいち覚えていないわ、たかが奴隷一人」
「その奴隷が、ただの奴隷ではなかったとしたら?」
「どういう意味?」
「その女が、都にいる兄さんの愛人だったとしたら?」
「レオナルドの?」カロリーナは振り返りテオの目を睨みつけた。