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有償と無償の間で

むすびめプロジェクトを始動した。トライアル段階だが、外国人介護人材向け
勉強会のプラットフォームとして展開していく予定である。

さて、講師業で、現場を自分で選んで、かつ自立できるだけ稼げるようになったのは私の場合、学位取得後である。
そのぐらい日本語講師の実施現場・報酬・業務内容は多岐にわたる。

私は新人講師の頃、教育機関に所属する非常勤講師だった
だから先人である先生方から無償で色々な技を教えていただき
実践を通して自分のものにしてきた
一人前の教師になることの方が、その先生にとってはよっぽど恩返しであったと思うが、その先生には、趣味でもある「美味しいもの探し」をしては、美味しいものを共有させていただいた。

だからこそ、今は学び始めた方へと自分の得てきた学びを伝えることもある
恩送りである。その一つに本の執筆、論文執筆、アウトリーチ、これらは私にとってはボランティアの概念に相当する。こういう媒体を通し、社会と対話するのである。

しかし、考えてみれば、その教育機関としての方針もあり、徒弟制のような形で学ぶ機会があったともいえる。

最近はどうだろうか。
私も初め、フリーランスとして活動したり、また活動フィールドが多様化している。
そして、無料の研修とも多く開かれるが、一回限りで終わることもある。続かないのである。つまり、研修への参加姿勢が受け身となっていることを時折感じずにはいられない。

多面的に学び続けられる工夫
共に学ぶ仲間一人一人の強みを活かし、お互い敬意を持って学ぶ
学びに集う中は、単なる「仲良し」ではなく、困ったときに助け合える関係性に発展していくことを願う

こういった学びの場が実現するにはどういった形がいいのだろうかと考えた時に

無料ではない方がいい、という考えに至った。

それは有償にして研修実施で稼ぐ!こととは異なる。

自分ができる事・してきたことを提供し、対価を得ること
有償で自分自身が学びの場を整える行動を起こすことは、やはり「学びたい」からだと側から見て思えるからだ。

補助金事業との研修が参加者にとって無料であっても
税金を通してやはり、私たち一人ひとりがお金を違う形で収めているのである。
企業等であれば、無料セミナーは広告の代わりでもある。

個人の考えに過ぎないが
講師業としてありがたく、幸せだと思うのは
「学びたいと思っている人と、巡り会えて、一緒に学べること」である

それは学習者であっても、研修等への参加者であっても

私自身、報酬等気にせず、やってしまうことももちろんあるが
補助金等の活動だけでなく、参加者で学び続ける場を創ることがあってもいいかと考えている。


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