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想いに駆られ、うごくことも、ある

なにかに心が動かされる瞬間がある

わたしが日本語教育の道を歩むきっかけは、過去の記事にも書いたが祖父母が日本語で聴いたり話したりできても、読んだり書いたりできなかったことが大きい。

単純に手を差し伸べたい、そう思った。

巡り巡って、教え子が日本で働き、結婚し、出産し、日本への定住を意識するようになるとき、親としての戸惑い・覚悟など気持ちの揺れを垣間見る。

今関わる事業でも外国人生徒等への日本語指導が対象だが、
実に10年前、外国人児童生徒等の保護者に対して日本語教育が必要になるかなと思ったことがある。
親と子の日本語力・母語力の差から、親子の対話の断絶が起こるという。

単純に悲しいことだと思った。

3年ほど前から、大分県における外国人介護人材向けの日本語研修に携わる機会をいただいている。
そこでも出会ったのだ、日本人配偶者等で介護職として働く彼女らに。

「せんせい、わたし聴いて話せるけどね、ひらがなよめんの、ローマ字でかいてもいい?」「ひらがなは読めるけど、カタカナはちょっと、、かんじはもう、みよう見真似でかいてるの」

胸が苦しかった。そしてその姿が祖父母に重なって、目が潤んだ。

わたしは介護職ではないが、彼女らのコミュニケーション力、共感力や傾聴力の高さは介護職の資質として適していると思っていた。
研修の短時間で、日本での生活を通し自然に習得してきたであろう日本語力を知る。

ひらがなが読めないこと
漢字が書けないこと   悪いことじゃない。けれど、大変だったこともあるはず

同時に、彼女らが誰かに教えてもらったり、勉強を自ら計画し、進めて来られなかったということも要因にあるだろうか、、と考えた。
スタート時に誰かが、寄り添ってあげることが必要であり、
やればできる経験を持つ、自分で学ぶ姿勢をサポートする必要性があると判断した。
いつか、サポートする人がいなくなっても
じぶんでできる、その経験が必要なのである。

わたしは普段日本語で給料をもらい、事業をしているため
基本「ボランティア」的なことはしない。

けれど 知った以上なにもしないことは、できなかった。
こころが、動いたのである。

研修を終え、大分の状況を聞き、定住者の方への日本語研修は、大分の介護現場を支えていくものになるだろうと訴え、依頼されたわけでもないが、研修案作るから待っててと、年明けに始動したのである。しかも、年度末にぶっ込んでしまったよ、研修。(ごめんね)

ただ仕事のためのことばを学ぶだけじゃない
日本で長く生きていく、生きてきた彼女らにとって
やればできる体験
自信を持って生きていく、一手段としての読み書きをも意図している
また裏の狙いとして、支援者の育成へも考慮している。それは次のステップだが。

自信を持って生きるーその経験はより良い「生き方」をもたらすと思っている。
時にわたしも自信をなくす。自己肯定感が基本低いほうだ。だからこそ。

コロナ禍で、オンライン授業があたりまえのように普及した、メリットを活かしたと言っても良い。

そして、わたしの思いを具体的に形にしたのは、大分県社会福祉協議会の方々である。お互いできることをした。

そんな研修が今月開講する。




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