白血病は家族チーム戦で#2
2023年11月、私は急性骨髄性白血病と診断されました。
この文章は、白血病が分かった時の気持ち、いつも一番近くでサポートしてくれる家族について綴っています。興味がありましたらさいごまでお読みください!
47歳女性の私、病気が分かる少し前から「最近なんか疲れやすいな……これが更年期というヤツなのね」と勘違いをしてました。
そして眼のかすみを感じ近所の眼科を受診した所、先生曰く「眼底出血しているから大きい病院で診てもらいましょう」
翌朝、総合病院の眼科を受診して、血液検査を受けた所から状況が一変、血液内科という科の先生に呼ばれ、あれよあれよという間に腰(骨髄)に針をさされ「イターーーイ」と大騒ぎした私は、血液内科の先生に「貧血の数値が低すぎて、いつ倒れてもおかしくない状態です。家での生活は危険なので、今日から入院です」と宣言されました。
この時点で病名を告げられていなかったのですが、すぐに退院できる雰囲気ではなさそう。「とにかくダンナさんに電話しなきゃ、でも何を言えばいいんだろう」とりあえず入院すること、必要なものを病院に持ってきてほしい、この2つだけを夫に伝え、すぐに病院に来てもらいました。
その後すぐ私の頭に浮かんだのは、母と父の顔。とりあえず入院すること、色々な検査をしているから詳細はまた連絡する、これだけを電話で伝えました。「心配かけちゃってごめんね」と母に話すと「謝らなくていいから、ちゃんと休みなさい」といつもの調子で言われました。
次に気になったのは、3つ年の離れた大好きな仲良しの妹のこと。毎日忙しく仕事をしている妹には、今すぐ連絡しないでもう少し状況が分かったら話そう。そう思って入院1日目は眠りにつきました。
翌日、血液内科の先生から、検査の結果と、私が急性骨髄性白血病であることを伝えられました。
「家族になんて話せばいいんだろう……」
治療を受けますという意思表示と一緒に、私の口からでたのはこの言葉。私の隣で先生の話を一緒に聞いてくれた夫も、当たり前ですがフリーズ状態。先生が「病気のこと、ご家族には私からもお話しできるし、必要があれば説明の時間をつくりますからね」と言ってくれてホッとしました。
私自身の話になりますが、47歳の私は、これまで人並みに育ち、学び、キャリアを積んできました。小さい頃から今まで、周りの人からは「落ち着いてるね、冷静だね、しっかりしてるね」と言われることが多いです。感情の振れ幅はそんなに大きくなくて、自分でも穏やかだなと思います。そんな私も自分が白血病だと診断された時は、涙も出ないほど動揺しました。
でも何故か、自分のことより、家族に白血病という病気になったと伝えないといけない事が、とても辛くて悲しくて申し訳なかったのです。
そんな私の辛く悲しく申し訳ないという気持ちとは裏腹に、家族の反応は力強いものでした。
白血病という病気のことを伝えた時、本当はすごくショックで動揺したと思うけど
「これから一緒にがんばろうね」
「何でも言っていいからね」
そう言って家族がギュッと団結した感覚、1つのチームになった様な感覚を、今も覚えています。
夫は毎日のように病室に顔を出してくれ、私の服の洗濯も家の家事も一手に引き受けてくれました。
母とは病気をきっかけに毎日電話をするようになり、お互いその日の出来事をしゃべるようになりました。
父は父自身も癌の治療をしていたので、お互いがんばろうと励まし合い、勇気づけてくれました。
妹は入院生活に必要なものを、素早く細やかに手配してくれて、病室に届けてくれました。
そんな家族の力強く頼もしい行動に支えられて、私の治療はスタートしました。
白血病という病気が分かってから今まで、体調や治療が辛い日も、心も体も穏やかな日も、夫、母、父、妹、この4人に話を聞いてもらい、気持ちを吐き出してアドバイスをもらい、雑談で気を紛らわせ、毎日を乗り越えています。
いつもフットワーク軽く病院に来てくれて、病気のことを私以上に情報収集してくれる夫
毎日のように電話で話し、日々のどんな小さなことでも理解してくれようとする母
自分自身の病気や入院や休職の実体験を元に、落ち着いて前向きな声かけをくれる父
悩みやグチを聞いてくれて、気分転換も付き合ってくれて一緒に笑って過ごせる妹
家族とはいっても、年齢も性別も経験も性格も違う4人。私の白血病を一緒に治そうと、それぞれの関わり方で力になってくれます。私1人ではここまでがんばれなかったと思うと、私にはスゴい家族チームがついているんだと本当に心強いです。
白血病の治療はまだ始まったばかり。これから長い戦いが待っています。私の白血病治療は、家族チーム戦で考え、耐え、前に進んでいきます。