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彗星をさがしにちょっと西まで

あらゆる天文現象はそれ自体が今を生きる人間のプレッシャーになる。
宇宙は人間の尺度では測り切れないほどにダイナミックなものだから、一生に一度しか見られないなんてザラにある。
だからせいぜい80年くらいしか生きられない矮小な人間は、その機会を逃すまいと躍起になってしまう。

この「一生に一度」病が酷かった子供の頃は最終回というものに絶望的な恐怖を感じていて、今まで見たこともないドラマを「もう二度と見れなくなるんだ…」などとわざわざ最終回だけビデオに録画していたし、意地でもリアルタイムで見るんだという気持ちが強かった。終わってしまう=死と同じ感覚だった気がする。

しかしそれも追えなくなるうちに自然と諦めるようになってきた。
だいたい終わりを見続けるなんてそれこそあちこちにアンテナを張っていないといけないし、最終回だけ見るのも疲れる。第一その終わってしまうドラマになんの思い入れもないのだ。一種の強迫観念のために労力だけ掛かるなんて馬鹿らしい、成長するに連れてそう思うようになったんだと思う。

ところがどっこい、その「一生に一度病」がぶり返す出来事があった。
それが彗星である。

最近「天使になるもんっ!」というアニメにハマっているのだが、その物語の中でもとりわけ重要な存在であるのがドリアン彗星と呼ばれるふざけた名前の彗星なのだ。これはアニメ放送の1999年がノストラダムスの大予言で地球が滅びるとされた年で「巨大彗星(恐怖の大王)が降って来る」なんて説もあったらしく、宇宙への関心が特別強かったことにも関係あるのかもしれない。今の流行りからすれば彗星といえば「君の名は」になりそうなものの、私はマイナーアニメ体験として彗星を見ることにした。

しかし勿論それだけではない。今回の紫金山・アトラス彗星は8万年に一度しか見られない彗星だというのだ。つまり一生に一度しか見られない彗星…それも2011年以降まだ表れていなかった肉眼で見れるレベルの大彗星で、大彗星自体次はいつ見られるのかもわからない……

だからニュースになって以降必死で探し続けた。肌寒くなった秋の夕暮れから夜にかけて西に向かって歩いていく。ちょうど彗星の見れる方向が日の沈む位置なので太陽を追いかければいい。

だが天文現象というのはそう易々と拝めるものでもないらしい。ここずっと雨や曇りの天気で雲が西の空に広がって彗星どころか金星すら見えない始末…そんなんで一日一日が非情に過ぎていく。この彗星が見られるのは14日から20日までだという何かのニュースを信じた私はずっと内心焦りっぱなしだった。(実際は12月まで見れるが見やすいのがその期間だという)

「見れなかったらどうしよう…」
「もう見れる日は来ないんだ…」
強迫観念のはじまりである。そんなんで最終日の昨日は夕方4時過ぎから見張っていた。


いつもは家に引きこもりっぱなしだから白鳥がもう飛来してきたことにも気づかなかった。川沿いには秋を知らせるススキの穂。

薄い生地のジャージに申し訳程度のカーディガン、裸足スリッパで来たから寒いのに空を眺める事は辞められない。途中犬の散歩をしてる飼い主とすれ違ったが完全に防寒着だった。

家にいると時間は早く進むのに外に出るとゆっくり時計の針が進む気がする。それなのに日が暮れるのは早くて、空のキャンバスは急に塗りつぶされたかのように色が変わる。そのうち西の空に金星が見えてきた。

何度も何度も彗星の位置がわかるアプリで確認してるのにどうやら彗星は肉眼では見れないらしい。ツイッターではスマホのカメラ越しになら見れると呟かれていたので真似をしてみても旧型の13proでは無理らしい。

そのうち空も暗くなってくると。いよいよスマホは黒のうにゃうにゃの画面になってしまいフラッシュを焚かないといけなくなってしまった。

位置もあっているはずなのに、天候の条件もよかったはずなのに、それなのに彗星が見られない……絶望していた時、何枚か撮った写真の中に彗星の写真を見つけた。目では見えないけど確かにそこに彗星があったらしい。70枚近く撮ったうちの一枚にくっきりと彗星が写っていた。

なんかもう脱力した。肩の荷が下りた。ようやく彗星を発見できた。
確かに彗星の下にいたんだという実感が急激に湧いてきた。

何度も何度も空に浮かび上がった小さい星たちと睨めっこして目星をつけてスマホアプリと格闘して悪戦苦闘した後にようやく報われた気がした。

2時間近い戦いだった。それなのに全然疲れた感じはしない。
しかもこの彗星の写真を撮った後、同じ方角から大きな流れ星が流れた。
これにも感動してしまった。今ならどんな願いだって叶えられそうな気がする(今の一番のお願いは天なる視聴者が増えることなんだけれども)

そういえば流し星の観測を昔はよくしてたなぁ。多い時は一晩で26個くらい見てた。ただ空を眺めて仰け反りながら見てた。頭に血が上ってもおかまいなしで深夜2時までとか朝方になるまでとか。一番感動したのは陽が登り始めて空が黄緑じみた色のなかにたくさんの星々が浮かんでいる光景。

今は大人になったから家の庭である必要はなくて、ちゃんと星が見えるところで、防寒もしっかりして。ホットココア飲みながらとか、アウトドアチェアに座りながらとか色々試せるのにしないんだなぁって。なんか急にもったいなく思ってしまった。

よくよく考えれば天文現象は何もない田舎での最高のエンターテインメントだったかもしれない。外に出ればすぐ始められるお手軽なイベントでもあった。それなのに今は町の明かりもどんどん発達したのかむやみやたらに街灯も家の明かりも車のライトも明るくなった。星を見るのには適さなくなったのかもしれない。

そういえば妹が長野には阿智村という星が綺麗に見える村があると言っていた。最近デジタルな作業ばかりしているので、たまには息抜きに旅行するのもいいと思った。もちろんちゃんと厚着をして。出かける前に服を買わなくちゃなぁ…

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