私の中国語レベル

私の体感で、中国の約80%くらいの人は、相手が外国人だろうとゆっくり喋ってあげるとか英語で話してあげるなどということはせず、容赦ない中国語でガンガンに話しかけてくる。

以前ラランドの西田さんがラジオで、日本に観光に来ている外国人に対し、
日本に来ているのはお前の方なんだから堂々と"Excuse me "じゃねぇよ、「すみませーん」くらい予習してこいよ、というのを熱弁していた。

それを聞いて、まぁ確かにそうだよなぁと非常に納得させられた私は、最初の方こそ容赦なく中国語で話しかけてくる人物に対して嫌悪感を抱いてはいたものの、

こちらがお邪魔している立場なのだから理解する努力をしなければならない、それがリスペクトを示すということでもあるな。と思い初め、
出来るだけ中国語で会話するように努めていた。

そのような意識の変革の甲斐もあってか、今年4月の下旬に中国に拠点を移して半年以上が経過し、ある程度中国語で簡単な会話くらいはできるようになってきた。

正式に文法をめっちゃ勉強したとかいうわけではないが、分かる単語が増えてきて、

文章全部が聞き取れなくてもこのシチュエーションでこの単語が聞こえたと言うことはこういう事が言いたいんだな、じゃあこうやって答えてみたら伝わるかな、とか、

こういうシチュエーションのとき大体みんなこう言うよなーてことはこの言葉って〇〇って意味なのかも?みたいなことを毎回しているうちに上達したと思う。

中国人と中国語で会話していて、君がこんなに中国語が話せるなんて知らなかったよー!!凄いね!!などといわれてることも増えた。

(とはいえ、全然ペラペラと言うわけではない。日本人の中ではまだすこし喋れる方かなぁ。ぐらいのレベルだが)

その度にセットのように毎回聞かれる質問が、「どのくらいの期間中国にいたの?」という質問である。

この質問には、「どのくらいの期間滞在し、その中国語レベルに至ったのか」という意図が含まれている。

私は毎回この質問に非常に気まずい思いで答えている。

前述した通り、今年は4月から中国に来ているから、今回の滞在期間は約半年である。

しかし、私はその前にも、去年は中国のダンス番組のため半年間滞在しているし、
実は幼少期に中国に住んでいたと言う経験があるのだ。

その期間なんと10年である。

所謂帰国子女で、私は2歳から12歳までの期間上海で育ったのだ。

私の中国語レベルは、
半年しか滞在していなかったとしたら「めっちゃすごい」けど、
10年(+半年+半年)滞在しているとしたら「どうやって生きてきたん?」レベルである。

「(今回の滞在では)半年だよ」と答えて、言語学習能力ゲキヤバ女の仮面を被ることは簡単だが、

私が昔上海に住んでいたということを知るものも多数いるので後々色々と辻褄があわなくなるのは面倒くさい。

正直に幼少期に10年暮らしていたことを告げると、「めっちゃすごいやん」という眼差しがみるみるうちに「…ほなしょぼいやないか」とミルクボーイのごとく暴落していくのを見てとることができる。

私ももしギリ何喋ってるか分かる日本語カタコトの外国人が、10年も日本に暮らしていると知ったら同じ反応をするだろうから仕方ない。

ちなみに私は中国滞在10年目、12歳の時に日本に帰国したのだが、その時点で中国語はまっったく話せなかった。

今思えば非常にもったいない話である。

なぜ10年も暮らしていて全く中国語が話せなかったかというと、そもそも話す必要がなかったのだ。

私は幼稚園から日本人学校に通い、住んでいたマンションも日系で、中国にいながら周囲の人々はほとんど日本人という環境で育った。

バスの運転手さんや、マンションの受付の人は中国人だったが、みんな日本語が話せたし、今みたいに中国語を話さざるを得ないみたいなシチュエーションは全くと言っていいほどなかった。

幼少期を海外で過ごした事は、誰もが経験できることではないし、日本で生まれ育った人に比べたら色々な文化や価値観に触れる経験も多かったように思うので、ラッキーだったなと今となっては思うけど、当時は日本がとてもとても羨ましかった。

日本のみんなが持ってる魅力的な文房具は中国では手に入らない。

中国でゲットできるのは、せいぜい白目の色がドブぐらい緑になっているパチモノのミッキーマウスグッズぐらいだ。

私もいい匂いのするねりけしとか、ぷっくりしたシールとか、開けたら二段ベッドみたいになって消しゴムだけの収納場所もある筆箱とかが欲しかった。

日本で流行っている面白いテレビ番組も中国では見れなかったので、なぜか放送されていた「オレたちひょうきん族」や、「ボキャブラ天国」の再放送を見るしかなった。(これはこれでとても面白かったし、お笑いのベーシックという感じがしたが、はねるのトびらが羨ましく感じる時もあった)

このように環境的に中国語を話す必要がなかったことと、日本へのあこがれ心から、中国に住んでいながら中国語を話せるようになりたいなんて微塵も思ったことのない幼少期であった。

もうひとつ、私が中国語を話す必要がなかった非常に大きな理由が私の母である。

私の母は大学時代に北京に4年間語学留学しており、その後中国で通訳としても働いた経験があるので、当時から中国語が話せた。

日常生活で直面する中国語を話さなければならない場面では全て母がなんとかしてくれていたのだ。

物心がついた頃からそんな様子だったので、私にとって母が中国語を話せるのは当たり前、なんで話せるんだろうとか考えたこともなかった。

しかしよく考えみると、鳥取県の田舎出身の母が、高校を卒業していきなり北京の大学に進学するというのは、進路選択としてはあまりにトリッキーすぎる。

今でこそ中国語の人気は高まっているように感じるし、ビジネス的にも重要視されているが、当時発展途上の中国にわさわざ留学するって一体どういう発想か甚だ疑問である。

かなりの少数派であることに間違いはないだろう。

この激シブ進路選択女である母になぜ中国に留学したのか聞いてみたところ、
幼少期に母の姉が中国に行った際に買ってきたお土産がきっかけらしかった。

中国のお土産がそれはそれは怪しかったことが彼女の心を射止めたらしい。

スーツケースいっぱいに詰まった変な匂いのする謎の人形や、謎のお菓子に「怪しい〜…!!!」と心をきめかせたというのだ。

そこから興味を持ち中国語の勉強をはじめたらしい。

ヨーロッパの素敵でおしゃれなお菓子や人形に心をときめかせるのはよくわかるが、中国の怪しくしかも謎の匂いのする人形に心を奪われて、さらに留学までするほど中国に興味を持つなんて。。。

我が母ながらヤバすぎるやろと思うのと同時に、中国の怪しさに魅力を感じることは少し共感できた。

中国のぶっ飛び具合は結構おもろいのである。

それが私が中国に住んでみようかなと思った理由の一つでもあったのかなと今更ながら気付かされた気がした。

幼少期には話せるようになりたいなんて微塵も思ったことのない中国語を今勉強していて、さらに中国に住んでいるなんて、不思議な縁があると感じざるを得ない。

ぶっ飛びすぎておもろいと同時に非常に疲れるのでもう帰りたい気分ではあるが。

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