ブルーを受け止めてくれるブルーな音楽
このところ、いまさらながら宇多田ヒカルさんにハマって6枚ぐらいのアルバムを繰り返し聴いていた。曲も、声も、なぜこんなにも魅力的なんだろう。聴きながら何度泣いたかわからない。
心地よい音と、決して難しくないのにハッとさせられる言葉。どの曲にもどこか寂寥感、ブルー(ス)のようなものが隠れていて胸が締めつけられる。
歌詞の奥に痛みの痕跡。
宇多田さんの痛みを想像はできても本当の意味で共有することはできない。けれど痛みを知っている人の表現は、違う誰かの違う痛みにも届き、その人を助けたりするものなのだと思う。
痛みの記憶を久しぶりに思い出した。
その昔話をしたら聴きながら友人が涙したのを見て慌てた。そして、もう終わったことだと思っていたのに私自身本当は泣きたいくらい傷ついたまま蓋をして知らんふりしていたことに気づいた。昔の私の代わりに泣いてくれてありがとう。優しさと、美しい心が、とても嬉しかった。
そして、もう、違う人間に生まれ変わったのかも、というぐらい普段忘れていたとしてもやっぱり昔の自分は今の自分とひとつづきなのだ。
「ただ生きることがなぜこんなに苦しく辛いんだろう」「自分なんか、初めから存在しなければよかった」そんな袋小路に今まさに入っている誰かや、入っていた自分のことを、自分はもう入ることもないだろうからといって鼻で笑いたくはない。
いつ抜けるとも知れぬ冷たいトンネルを歩く孤独感のような、諦念や絶望のかげを誰かの曲や表現の奥に見つけるとき、私は、そんなふうに感受性を手になお世界を受け止めようとする人のことをこれからも心のどこかで密かに信用するんだろうな、と思う。
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![Hiroko Arakaki](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20541902/profile_221ea912ce977a308d8f7d5d963ce4b7.png?width=600&crop=1:1,smart)