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長銀団地という生き方 その8

長銀団地という生き方 その7 よりつづく


お昼前に、お隣さんから電話が入っていた。
「受付に、私と会長で立たなくて良いですか?」

私は、
「我が家の優秀な次男が相勤めますので大丈夫だと思います。お香典をいただかないので、お名前を書いていただくだけなので」

ただ一つ、ここには問題があった。私たち家族はご近所のかたの顔と名前がほとんど一致しないのだ。そこで受付にビデオを設置して、お名前を言って頂くようにした。

もう一つ、予測していなかったトラップがあった。
受付表の右隅に番号を書く欄があり、来てくださった方に引換券をお渡しし、そのナンバーを控えないといけない。しかも親族は米屋の羊羹を栗羊羹にしていたので、それは別の引換券にしないといけない。いかに冷静沈着な次男、名前は悟天というのだが、今日は相方の長男の悟飯がおらず、スパーサイヤ人にもこれを一人で捌くのは、無理、ということで、ビデオの傍に私が立つ。ギリギリまで家でオンラインで仕事をしていた義姉と姪も到着して受付を手伝ってくれている。

私の夫は母を施設に迎えに行っているので、親族席に座っているのは兄だけ、という奇妙な状態で、てんやわんやになりながら、なんとかみなさん着席される。

母には前日「明日はお洒落してきてね!お友達皆さん見えるからね!」と言ってあったのだが、会場に到着して、表情が凍りついた。
「だれが、亡くなったの?」
ここで、さすがに「パパ」とは言えなかったので、私は勤めて明るく「お父さんだよ」といった。

母は崩れ落ちるように椅子にすわり、読経を聞きながら一心に考えている。
そして「『槇三郎』が亡くなったの?」と尋ねる。槇三郎は母の父の名前で、私は、「そうだね、槇三郎さんは亡くなったね」と答える。

父が亡くなる前日同じ施設内の別のフロアにいた母を迎えに行った。その際「パパに会いに行くの?うーん、今はちょっとね。昨日、池の端に立っていたのは見たんだけど。」
その火の夕方、母を再び誘うと、「じゃあ行こうかね。」と腰をあげ、まだ目を開けている父の枕辺に座った。

私がインタビューする。
「パパと最初に出会ったのはどこだったの?」
ー私の職場に着いたら、朝、そこに来ていたのよ。
「パパとの結婚生活はいかがでしたか?」
ーそうねーお姑さんとの関係も良かったし、そこのところは問題なかったわね。

私たちみんな、母と祖母の確執はよく知っていて、祖母が亡くなる際に1週間病院に泊まり込んだ母が、なんか恨みもつらみも全部おかげさまで晴れました。という様な関係性であったのだ。

それを聞いていた父は、無言で涙を流していた。

通夜の会場で、私は母を抱き締めて号泣していた。読経は続き、親族の焼香が始まった。喪主である兄に続き、私と母が焼香に立つ。義姉と姪はまだ受付にいたのである。

母の手を取り、摘んで、パラパラしてね、と手本を見せると、母は、こういう儀礼は覚えているのか、型通りの「拝んで、パラパラ」を3回やって、手を合わせている。

親族に続き、お客様の焼香が始まる。
思いもかけない、ご近所の同級生の顔を見つけ、名を呼び手を振る。

最後に小さいあどけない方たちが見えた。うちのお向かいさんである。父も母も団地で生まれた兄弟を大変慈しんでいた。

精進落としの会場をどうするのかは果たしてどのくらいの人数が見えるのか私たちには全く見えていなかったので、担当さんの方でどちらでもできる様にしておきますが、人数が多ければ、お二階で、とのことだった。

その後も読経は続き、私の気持ちの中の号泣の種も消えていった。

親族様のお席はこちらにご用意させていただきました。と一階の先程まで皆さんが座っていた一角に案内される。

母に何を召し上がりますか?と問うと、
「こういう時はビールをいただきましょう」という。ノンアルのビールを注ぎ、お寿司をさらに取り分ける。お客様には握りを頼んだのだが、こちらには握りと巻物を一つづつ頼んだ。巻き物は素手でつまめるので、母も心置きなく頂ける。「この煮物、美味しいね〜」と従兄弟の昭ちゃんがいう。そう言えば、上の方々の、食べ物足りたかしらん?ご挨拶にも行かないとね」と兄がいうと、担当さんが、静かに「お客様は、もうお帰りです」とおっしゃる。「全員?」とさらに聞くと「はい、もうどなたもいらっしゃいません。」
あの粘りと、この潔良さ、誰が、どのように仕切っているのだろう?

そう考えながら、記念写真用に祭壇の前に椅子を並べて頂く。
母を真ん中に兄と私が座り、後列に義姉と姪、夫と次男、従兄の昭ちゃんが並ぶ。

はいチーズ、と言っても母はカメラに顔も向けず、目も閉じたままである。
「ママ、あのカメラ持っているの、担当の根本さん。本当にお世話になったの」
ーまだ目を開けない。根本さんはカメラから目を外して顔を見せてくれる。
「ママ、根本さん、すごいハンサムなの。見ないと損するよ」
ー母はまだ目を開けずに微笑んでいる。私は、申し訳ないと思いながら、奥の手を出した。
「ママ、根本さんには、目の上にほくろがあるんだよ、とっても可愛いんだよ」
そういうと、母はぱっちりと目を開けた。

写真は、私と母が抱き合ったような格好で聖母子像のように見えた。


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