Kotoko Yamadori

Kotokoです。

Kotoko Yamadori

Kotokoです。

最近の記事

長銀団地という生き方 その6

長銀団地という生き方 その5よりつづく お通夜の朝、兄は目玉焼きを作り、トーストを焼き、紅茶を入れている。 それが全てぴったりのタイミングで出来上がるように細心の注意を払っている。 私は風邪を引いて、何とかしなければ、と手当たり次第に飲んだ薬のおかげで胃が荒れて、ほとんど何も食べられなくなっていた。 昨日買ってきたお気に入りの”食事の時に飲むヨーグルト”を湯呑みに注ぐ。湯呑みといっても母の食器棚にあったものであるから、小振りで薄手のレリーフ柄の柔らかい緑色の青磁のような

    • 長銀団地という生き方 その5

      長銀団地という行く生き方 その4よりつづく 話は前後するのだが、打ち合わせの後、お通夜までの間、ほんの少しだが自分の家に帰ることにした。まずは喪服を持ってくる。できれば、もう限界を超えている喉と鼻の治療をしに病院へも行きたい。そして学校に立ち寄ることである。 学校というのは私の職場で、小さな私学である。 小さい、といっても3歳から18歳まで15学年になるので、生徒数は300人くらいになる。 学校に到着すると、すぐさまあみちゃんがが私を見つけて、ベランダ越しにムギュウッ、

      • 長銀団地という生き方 その4

        長銀団地という生き方その3よりつづく だいぶ脇にそれたが、というか、それっぱなしで、このタイトルの訳がわからなくなっているのだが、兄が私に「会葬お礼の文章の原案を作って送って、」と言っての帰りしなに、私から兄にきいてみたのは、 「私さ、絶対にお兄さんのほうが文才あると思うんだよね。」 「うん。」 「でね、ここの、この長銀団地の方たちって、ほかの地域の、いわゆるお年寄りとは全く違うよね。」 「そうだね。」 「私は正直、こんなに素敵な年齢を重ねた方々の集団を見たことがない、け

        • 長銀団地という生き方 その3

          長銀団地という生き方 その2より続く 会葬お礼のあとは、セットリスト作りである。 打ち合わせの最後の方、 「お好きだった音楽はありますか?」兄がすかさず 「テレサ・テン?」と応ずる。 というのは、お世話になっていた施設の看護師さんのお一人から、 父に「私の好きな歌手に似ている」と言われたことがある。 と聞いたばかりだったからだ。その方は父の部屋に見えるたびに父の名を楽しそうに呼び、両手で胸の辺りをわちゃわちゃしてくださるのである。 その歌手の名がテレサ・テンだった。

          長銀団地という生き方 その2

          長銀団地という生き方 その1よりつづく 途中でケアマネさんが見えて、リビングの片隅で座ってその光景を眺めておられた。 嵐が引けるように人が去り後には、お隣さんと、ケアマネさんと私達兄妹が残った。 私はお隣さんに「これは・・・祭りですよね?」と素直に感想を述べた。 初めてそこでお茶を入れ、腰掛けると、ケアマネさんが「ご人徳ですよ」とおっしゃった。 「人徳」と言われても我々にはピンとこない。 お隣さんが色々なエピソードを話してくださる。 いろいろあってここには書かないが

          長銀団地という生き方 その2

          長銀団地という生き方 その1

           埼玉県越谷市に「長銀団地」と呼ばれる場所がある。検索しても決して出てくることはないのだが越谷駅でタクシーの運転手さんなどに尋ねると、「ああ、長銀団地ですね!」と地元の人には通じるのだ。  そこに私の両親は、昭和40年代に居を構え、今年の3月に父が倒れたことで私の実家が空き家になった。母は認知症とパーキンソン系の難病で、一人では生活できなかったからだ。  数日前に父がとうとう亡くなって、葬儀はご時世に従い  ・家族葬にしましょう  ・ご近所さんで父に会いたいとおっしゃってくだ

          長銀団地という生き方 その1