長銀団地という生き方 その3
長銀団地という生き方 その2より続く
会葬お礼のあとは、セットリスト作りである。
打ち合わせの最後の方、
「お好きだった音楽はありますか?」兄がすかさず
「テレサ・テン?」と応ずる。
というのは、お世話になっていた施設の看護師さんのみみちゃんから、
父に「私の好きな歌手に似ている」と言われたことがある。
と聞いたばかりだったからだ。その方は父の部屋に見えるたびに父の名を楽しそうに呼び、両手で胸の辺りをわちゃわちゃしてくださるのである。
その歌手の名がテレサ・テンだった。
だが、別の看護師さんから数週間前に聞いていたのだ、私は。
「ずっとテレサ・テンのCDがかかっているので、お好きなのですか?と聞いたら、ううん、というように首を横に振られて。おかしいですよね?」
おかしい。
担当の方は、「でしたらこちらで静かな音楽をご用意いたしましょうか?」
私の口からすっとでたのは「ムーン・リバー」だった。
「一曲でよろしいですか?」
読経の時間以外の待ち時間に流れるという。
「わかりました。今日中にセットリストを送ります」
という訳なのだった。
ムーン・リバーを父が歌ったかはわからない。だが
とにかく父の好きな曲を集めよう、と夫に電話をかける。
父の手帳を家に置いてきてしまっていたからだ。
父はこまめな人で、普段使いの手帳にカラオケの曲名が記されていたのを見た記憶があったのだ。
写真を撮って送ってもらうと、自分のお気に入り以外に他の方の、誰が何をその日に歌ったのかも記されていた。
そこでできたのが以下のセットリストである。
・ムーンリバー
・夢の途中
・男の背中
・心の旅
・青葉城恋歌
・今日でお別れ
・千の風になって
・冬のリビエラ
・ランナウェイ
・時の流れに身をまかせ
・別れの予感
・マイウェイ
聞く人には父の声で聞こえるかもしれない。自分の曲も入っていることに気づいてくれる人もいるかもしれない。そんな思いで選んだ。
後から、父が「For you」を歌っていたことを知った。
二日後、通夜の前の納棺を始めようという時に、1時間違えて早く到着した、と言って現れた方があり、あ、でもそれだけ色々お話しを伺えますから、と申し上げると、「堰」が、切れた。
お父さんの出身地は大島のどの辺りで?大島のおたまじゃくしの形のこの辺りですね。そうですか、先日も申し上げたんですが私も近くの出身なんですが・・と話すうちに、
ああ、一昨日に自宅にいらしていただいた時にも一生懸命にお話をしてくださった方だと気づいた。そのうちに係の方がにっこり笑って
「始めさせていただいてよろしいですか?」「お願いします」
旅支度をその方にも手伝っていただきながら始めた。
その間も一生懸命は続いた。
そうして、納棺が終わると、待ち合いを兼ねている後ろのテーブル席に移ってお話を続けた。ソファに座ったその方は一生懸命に父から、カラオケでいろんなことを学ばせていただいたんです、と語ってくださる。お父さんは我々が絶対に歌わないような曲を選ばれるんです。あの年で、あの声で、あの曲とくれば、これは絶対に受かるんじゃないかと、皆んなで随分がんばったんですがね〜。
確かにNHKのど自慢の話は聞いていた。あんまりみんなが出ろ出ろって言うから、最初に書類選考があって、応援団があるかないか、応援団からのメッセージとか、色々大変なんだよ。と嬉しそうに語っていた。
さらに一生懸命が続く。
私たちがもっと頑張るべきだったんです。本人は自分がどんな人だなんてななんもいいやしない。周りが「この人はこういうひとだから」って、もっとアピールすべきだったんです。
その時の曲が「For You」だった。
あぁ、入れてあげれば良かったな、と思った途端、
私は別のことに気づいた。
このテーブルや、椅子、祭壇の配置はどうも妙だと思っていたが、これはまさしく”スナック”と言う場所だ。
私は着物を着ていて、その方はソファに座っておられる。周りには黒服に着替えた一層キラッキラでワクワクの表情をした紳士と淑女の方々が集まっていらっしゃり、
私は、なんと、知らぬうちに「スナックのママ」になっていた。
そして父が眠るその場所は、紛れもなく、かつての
「カラオケの舞台」だった所だったに違いない。場所であった。